第17話:襲来
馬車は、魔術によって舗装された街道を走り続けた。
やがて日が暮れて、目的地であるエスメラルダが近づくと、ふと御者が客席を一瞥した。
「お客さん、エスメラルダにはもうじき着きます。ですが……その前に少し、騒がしい事になるかもしれやせん」
「……騒がしい事?」
「ええ、エスメラルダの森に
エスメラルダの森は、塔のように背高い大樹が立ち並ぶと言われている。
だが窓の外に見える森は、街道から数十キロメートルは距離がある。それほどの距離を、馬車の積荷を奪って移動出来るだけの手勢、戦力が余っているのか。
或いは、略奪が目当てではなく都市運営の妨害――つまり兵站の妨害という戦略として攻撃を行っているのか。
いずれにしても、それはゴブリンによる高度かつ強力な侵略行為だった。
「お客さん方も、あの森に挑まれるなら気をつけてくださいよ」
この世界には蘇生術が実在するが、それは決して完全ではない。
肉体の損壊状態や、死亡からの経過時間などで成功率は大きく増減する。加えて――死体が森の奥に取り残されれば、そもそも蘇生術を受ける事すら叶わない。
「……ああ、分かって――」
不意に、西田の言葉を遮るように風切り音が鳴った。
音が聞こえた時には、前方の茂みから放たれた矢が、御者の目の前へと迫っていた。そして――響く、矢のへし折れる乾いた音。
荷室の風精が瞬時に展開した、『
「ああ! やっぱり出てきやがった!」
御者は悪態混じりの悲鳴を上げて、馬車馬に鞭を入れる。
加速する馬車の前方に、全身緑色の小鬼――ゴブリンが五匹、躍り出る。
いずれも、木と骨で作られた杖を持っていた。
護衛の魔術師が、前方の五匹をなぞるように、手にした杖を小さく振るった。
瞬間、烈風の刃がゴブリンどもを瞬く間に両断して吹き飛ばす。
しかし――絶命の間際、ゴブリン達は笑った。
馬の嘶きが響き、馬車が激しく揺れて急停車する。
見れば、馬車の進路がいつの間にか、沼地のように変化していた。
馬は四頭とも前足が完全に地中に沈んでしまって、動けないでいる。
瞬間、西田とシズは車外へと飛び出していた。
馬車は既に十数匹のゴブリンによって包囲されていた。
「お、おいお客さん!? 何やってるんです! 早く中に戻ってくだせえ! そいつらは、あっしらがどうにかしますんで!」
とは言え、護衛の魔術師は恐らく、払った金額相応に腕利き。
この状況でも仕事を仕損じる可能性は、低いだろう。
しかし――西田もシズもこの状況で、己の安全を他人に委ねるような性格はしていなかった。
「悪いな、じっとしてらんなかったんだ」
「ええ、私もです。それに今更背中を向けたら、かえって危険ですので……」
西田が剣を抜き、シズが獣牙の構えを取る。
「こいつらは、私達が片付けます。ニシダ、そちら側は任せましたよ」
シズがそう言って――しかし、西田は答えない。
「……ニシダ?」
続く呼びかけにも応じず――ただ一度、剣を左から右へ鋭く薙いだ。
目にも留まらぬ斬撃を、ゴブリン達に見せつけるように。
それは威嚇だった。
生き物を殺した経験なら、西田にもある。
獣や、一通りの魔物、竜――人と同じ形をした、亜人と呼ばれる種族を殺した事もある。だが、経験がある事と――その行為に慣れているかは、全く別の話だ。
「……何も見えなかったろ。テメーらじゃ、俺には勝てねえよ」
だから――逃げ出してくれ。
西田は内心でそう祈りながら、ゴブリン達を睨みつけていた。
しかし――そうはならなかった。ゴブリン達は己を奮い立たせるべく甲高い怒声を上げて、一斉に西田へと襲いかかった。
「ちっ……!」
剣、短剣、
――これは、チャンスだ。それぞれの武器の強みと弱みを知れば、俺はまた強くなれる。
西田は、殺しの忌避感を塗り潰すように、自分に言い聞かせる。
そしてまず、剣を手にした個体へと距離を詰めた。
不意の接近に面食らったゴブリンは咄嗟に、剣を振り下ろす。
次の瞬間には、その刃が半ばから切断されていた。
そのまま返す刃で、子鬼は袈裟懸けに切り裂かれた。
――剣は、剣だよな。斬れるし、突ける。扱いやすいのは間違いない……その分、実力差がモロに出るけどよ。
西田はすぐに次の子鬼へ視線を移した。戦闘の最中ならば当然だが――自分が殺した相手を視界に留めたくなかったというのも、ある。
次のゴブリンは、短剣の切っ先を西田に向けて飛びかかってきた。
西田は即座にその首を斬り飛ばした。
――こう短いと、何かしら工夫が必要だな。それこそ、シズみたいな事をするか……少佐みたく投げつけるか。
西田が剣を振り抜いた直後を狙って、別のゴブリンがメイスで殴りかかる。
とは言え――西田の身体能力からすれば、容易く迎え撃てる状況。
だが西田はあえて、その一撃を防御した。相手の得物の性質を学ぶ為だ。
――剣よりは、衝撃が響く。突きは使えないけど、単純な殴り合いなら、こっちの方が強そうだな。
つまり――重さは、力強さだ。
スマイリーを闇討ちした際、西田は力任せに彼女を崩そうとした。
そういう事をするなら、メイスの方が便利である――教訓は得た。
西田はゴブリンをメイスごと力任せに押し退け、よろめかせ、斬り伏せる。
次に目を付けたのは、槍を構えたゴブリンだ。
甲高い威嚇の声を上げながら、ゴブリンが突きを放つ。
西田は足捌きによって容易くそれを躱すと――
「……あん?」
反撃を繰り出す事なく、動きを止めた。
避けた後に、何故だか剣が振りにくかったのだ。
無論、身体能力に物を言わせて強引に切り返す事は出来た。
だが――それでは、何の経験値も得られない。
故に、西田はあえて次の一撃を打たせ――再び身を躱す。
それを何度か繰り返す。
そうして五度ほど避けると、違和感の正体が分かってきた。
――軸だ。体の中心を突かれて、体を軸ごと大きく動かされているから、次の動きが取りにくいんだ。
体の正中線を突かれれば、避けるには当然、左右のどちらかへ大きく動く必要がある。つまり回避に足捌きを使わされ、なおかつ体勢も大なり小なり崩される。
反撃に出にくいと感じたのは、そのせいだった。
――なら、逆にどうすれば正解なんだ。
仕組みが分かったのなら、次に考えるべきはその対策だ。
そして、要するに回避と攻撃を両立させればいいと、西田は考えた。
ゴブリンが再び突きを放つ。もう、殆ど破れかぶれといった様子だった。
西田は、それを掴んだ――そして間髪入れずに横へ振り回す。
強烈な遠心力がゴブリンを吹き飛ばし、更に弧を描く柄が周囲の残党を一纏めに薙ぎ払った。
最早、立っているゴブリンは一匹もいない――西田は一度、深く息を吐いた。
「……防御すると不利になったり、避けると不利になったり……色々あんだな。体の軸も勉強になった……いいぞ」
「ニシダ、何を遊んでいたんですか。それに今度はぶつぶつと……」
西田が得た教訓を言葉として形にしていると、シズが不審そうに声をかけてきた。
実際、不審な状況である事は間違いないのだが。
「遊んでた訳じゃねえよ。奴らの武器について、色々確かめて……」
「お客さん! 終わりやしたか!?」
西田の声を塗り潰すように、御者の男が叫んだ。
実際、彼からすれば客が殺されるかどうかの瀬戸際だったのだ。
悲鳴じみた声を上げるのも当然だった。
「……ああ、片付いたよ」
「はぁー……そりゃ良かった……肝が冷えやしたぜ、まったく。さ、満足したなら客車に戻って、待っててくだせえ。馬を泥沼から引き上げたら、出発しますんで」
「どうせなら、それも手伝おうか?」
「勘弁してくだせえ。お客さんをゴブリンどもと戦わせて、その上泥まみれにしたなんて知られたら、あっしら首を切られちまいますよ」
「はは……そりゃ悪かったよ」
そうして、二人は客車の中へと戻る事になった。
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