第15話:旅立ち1
「……と、まぁ。これがお前達の現状だが」
メイジャは平然と立っている。
一方で西田とシズは憔悴しきった表情で、地に膝を突いたままでいた。
惨敗だった。
「……ご丁寧に教えてくれて、助かるよ」
「ええ。ですが……これで、また私の番ですね。もう一本、お願いします」
しかし――西田もシズも、すぐに立ち上がってメイジャを睨み返した。
一度や二度の敗北で打ちひしがれるほど、二人は軟弱ではない。
「……少しやり過ぎたかとも思ったが……そんな生意気な面が出来るなら、いらん心配だったな」
メイジャは微笑みながらそう言うと、しかし深く息を吐いて、その身に纏う闘気を収めた。
「だが、悪いが稽古はこれで終わりだ」
「勝ち逃げするつもりですか? そんなの……」
「違う。これ以上は公平性に欠くという事だ。私は、あくまでも教練指導官だ」
メイジャが言っているのは、大会の規定や規則の話ではない。
誠実さの話だった。
西田とシズに肩入れしてはいけない理由はない。
だがメイジャは、そうはしたくない。特定の人物への過度な肩入れは、教練指導官――軍人として好ましくない行為だと考えている。
つまりは理屈ではなく、信念と、感情の話なのだ。
「……分かりました」
故にどれほど食い下がろうと意味はない。
その事を、シズも歯噛みしつつも理解した。
「悪いな」
「……いえ。よくよく考えてみれば、あなたにそう何度も負かされるのも、癪ですからね」
「けどよぉ……となると、どうしたもんかね」
西田が腕組みをして、困ったように首を傾げた。
確かに今の実力では、大斂武祭の水準には届かない――それは痛感出来た。
しかしそれは、西田にとっては、スマイリーに負けた時点で大なり小なり分かっていた事だ。
問題は――その課題を、どう解消するかだった。
大斂武祭に出場する為に協会の特別案件をこなす。
異種闘法戦でも通用するだけの技を得る。
一方で、いわゆる初見殺しを避けるには、己には使いこなせない技巧も網羅する必要もある。よって、対戦経験も必要となる。
それも、並の使い手ではいけない。
西田とて、練兵場の高弟程度ならば、相手が魔術師だろうと圧倒出来る。
シズも故郷の森では相手が魔術師でも猟兵でも、負け無しだった。
だがその経験は、メイジャとの戦いではまるで役立たなかった。
戦い、学び取る相手は、それなりの使い手でなければならない。
大斂武祭の開催時期は未定であるとは言え、時間は常に有限だ。
結局のところ――何から始めて、どのような手順で事を進めるべきなのか。
それが分からないのだ。
「……ところで、シズ。それはそれとして、駆け出しの冒険者に助言をするのは教練指導官の義務だ」
「……なんですって?」
そんな時だった。ふと、メイジャが脈絡もなく語り出した。
シズは予想していなかった話の切り口に、不可解そうにメイジャを見上げた。
「冒険者は、一人で何もかもをする必要はない。協会の受付なら、相談すれば大抵の事には答えてくれる。例えば依頼の遂行に際して障害になるだろう魔物は、依頼書には名前くらいしか記載されない。見慣れない名があるなら、恥などと思わず確認を取る事だ」
「……なあ、少佐。その話、今じゃなきゃ駄目なのか?」
「また、見知った名前であっても警戒を怠ってはいけない。特に人型……亜人と呼ばれる連中。例えば……ゴブリンのような奴らはな」
シズは、より一層不思議そうに双眸を細めた。
ゴブリンは知能も身体機能も特別高い種族ではない。
警戒しろと言われても、何故しなくてはならないのかが分からなかった。
「ゴブリン、ですか?」
「ああ、そうだ。ヤツらは基本的にそう強くないが……私達と同じで得手不得手がある。つまり……隠れるのが上手いゴブリンもいれば、魔術の扱えるゴブリンもいる」
「……ゴブリンの魔術師か。なるほどね」
ふと西田が、得心が行った様子で呟いた。
「それに、個体の強さも戦闘経験によって当然伸びる。それこそ、エスメラルダの森を占拠するゴブリンの国家などは、歴戦の勇士を抱えていてもおかしくないだろう」
「あっ……!」
やや遅れて、シズもメイジャの言わんとする事を理解したようだった。
つまり特別案件をこなしながらでも、異種闘法戦への理解を深める方法はあると。
それは今の西田とシズにとっては、間違いなく最適解だった。
「……エスメラルダか。まさしくファンタジーって感じの街だったな。懐かしいぜ」
「ファンタジー……? よく分かりませんけど、行った事があるんですか?」
「ああ。めちゃくちゃいい街だったぜ……魔術師の中には、気難しかったり、いけ好かない連中もいたけどよ」
「それなら話は早いですね――駅馬車の案内や、現地での宿の手配はお願いします」
「ああ、任せ……なんだって?」
「聞こえませんでしたか? 道と街の案内はお願いしますって言ったんです」
「……え? なに? お前一緒に来るつもりなの?」
「そりゃそうでしょう。目的地は同じなんですから。それに私の旅費も浮きますし」
「しかも俺にタカる気かよ。マジで?」
「情報料ですよ。メイジャさんが助言をくれたのは私に対してです。あなたはそれを盗み聞きしただけでしょうに」
「それは確かに……いや、でもなあ」
西田が渋っているのは、単純な気まずさ――或いは気恥ずかしさからだった。
シズは西田よりも背が低く、実年齢以上に幼く見えるが、一方でその容姿は端整だ。
子犬族でありながら、彼女の美貌からは狼のような鋭さと、気高さすら感じ取れる。
そんなシズとの二人旅は間違いなく魅力的だが――だからこそ突然言い出されると、西田は気後れを禁じ得なかった。
「……どうしても拒むつもりなら、別にいいですよ。ですが――」
ふと、シズが西田に歩み寄って――その右脚に下段蹴りを浴びせた。
恐ろしく速く、股の間から膝裏を刈る、崩しの為の蹴り。
これもまた、体格差のある相手と戦うべく、シズが磨いてきた技の一つだった。
油断していた西田は反応も出来ずに片膝を突く。
そうして必然、顔の高さがシズと揃う。
「おい、なんだよ急に……」
「大斂武祭に出たいなら……組手の相手としては私達、お互いに手頃だと思いませんか?」
シズは不敵に、楽しげに笑っていた。
その笑顔を見ると、西田は抗議の声を上げる気が、はたと霧散してしまった。
「……それにあなた、さっき私に何をしたか、覚えてますよね」
シズが表情を笑みから半睨みに変えて、左手で自分の衣服の裾を掴んで見せた。
瞬間、西田の脳裏に彼女の白い肌が蘇る。
西田は、急に彼女を直視するのが気恥ずかしくなって、ばつが悪そうに目を逸らす。
「あー……そういや、そうだったな。いや、悪かった……分かった。埋め合わせは、する」
「そうして下さい。駅馬車も宿も、うんと上等なものじゃなきゃ、嫌ですからね」
「ああ、ああ、それくらいならお安い御用だ」
実際、金銭の負担で済ませてもらえるなら本当に安いものだ。
この世界の裁判は神術を用いた、文字通りの「神の裁き」だ。
嘘偽りは通用しない。一方で、邪念の有無を間違われる事もないが。
だとしても留置場に何日勾留されるかは分からないし、冒険者としての経歴にも傷が残るかもしれない。
最強の座を得た後で、「ただし性犯罪の前科あり」と語り継がれでもしたら、最悪だ。
しかし――どうやらシズにそこまでの深慮はなかったらしい。
西田の返答を聞くと、彼女の表情は、ぱあっと華やいだ。
「ホントですか? なんでも試しに言ってみるものですね。今更やっぱやめたとか、なしですよ」
シズの狼のような美貌が、見る間に子犬のように崩れた。
「私、故郷の森を出るのは初めてなんです。楽しい冒険にしてくれなきゃ、怒りますからね」
そう言って屈託なく笑うシズに、西田は苦笑した。
「……言われなくたって、楽しい冒険になるだろうよ」
本当は同じくらい楽しげに笑いたかったが、どうにも気恥ずかしくて、それを隠す為に浮かべた苦笑だった。
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