第4話:再出発1

 アダマス王国の王都、アウルム。

 その中央区にはアダマス流闘法の巨大な道場が――より正確には練兵場がある。

 石垣に囲まれた、切石積みの無骨な、まるで砦のような建築物。

 国軍の兵士や冒険者の育成に利用される、国の認可を受けた道場だ。

 また望むのなら冒険者でなくともで教えを乞う事が出来る。魔物が存在するこの世界において、戦闘技能を持つ人間はどれだけいても困らないからだ。


 この世界に転移してきて間もない頃、西田もここを訪れた。

 だがその時は入門初日で師範代を打ち負かしてしまった。

 更にその後すぐにアダマス流剣術の免許を貰っている。

 技などなくとも、西田には鋼鉄の剣を小枝のように振り回せた。数十年もの鍛錬を重ねてきた剣士の斬撃も、容易く見切る事が出来た。当時の西田はそれで気を良くして、ろくに剣術を修める事もなく冒険者になってしまった。


 だが西田は今再び、その道場の門を前にしていた。

 帰ってきたのだ。技を求めて。

 力任せでは、この世界で最強になる事は出来ないと。


 西田は木製の巨大な扉を暫し見上げると、それを両手で押した。

 しかし――重い。西田の膂力をもってしても。

 違和感を覚えながらも、西田は更に腕に力を込める。


 そして――門は開いた。

 木材が軋み、盛大にへし折れる音と共に。

 門は重かったのではない。かんぬきがかけてあっただけだった。


「……やっべ」


 すぐに門下生と思しき男が三人、門前へと駆けつけてきた。

 皆、高弟の証である黒い訓練着を纏っている。


「馬鹿な、門が……ここがアダマス流闘法の練兵場と知っての事だろうな!」

「待った、誤解だ。俺はただ門を開けようと……」


 西田が両手を挙げようと動いたその瞬間、眼前の剣士は剣を抜き、刺突の構えを取った。その後方に控えた二人は魔術師のようで、左右に分かれ、懐から短杖を抜き、西田へと突きつける。


「……なんて、聞いてくれる訳ねえか」


 仕方なく、西田も応じるように剣を抜いた。

 そうして眼前に迫る刺突を、刃で押し退け、逸らす。

 己の後方へと転がる剣士を見届け、それから飛来する二つの魔法を目視で確認。

 火球ファイアボール雷矢ライトニングボルト、どちらも一振りで斬り落とす。魔術師達には、その剣閃は残像さえ見えなかった。


 と、体勢を立て直した剣士が、左後方から再び斬りかかる。

 西田はそれを視界の端に捉えると、今度は左手の指先で刃を掴み、止めた。

 剣士にとっては渾身の一撃。

 だが西田にとっては、水中の出来事のように遅く、そして軽い斬撃だった。


 そして、西田はゆっくりと左手を上げて、自分の体の前へと運んだ。

 己が掴んだ剣を握る、剣士もろともだ。


「門を破っちまったのは悪かったよ。でも、道場破りに来た訳じゃない」


 西田はそう言うと腰に吊るした直剣を軽く叩いた。ミスリル銀の飾りを帯びたその鞘は、アダマス流剣術の免許の証として与えられるものだ。

 それを目にすると、男の表情に驚愕が爆ぜ――次いで困惑の色が浮かぶ。


「その鞘……! し……師範代の方でしたか。これは、とんだ失礼を……」

「いや、そんなんじゃない。むしろ、俺は剣術を習いに来たんだ」

「……剣術を、ですか? あなたが?」


 男は一層、困惑しているようだった。

 三人がかりの攻勢を涼しげにいなした男が、剣術を習いたいなどと言っているのだ。当然の反応ではあるが――対する西田は、僅かに顔をしかめていた。

 以前の自分であれば、これで気を良くしていただろうと、考えてしまった為だ。


「いいから、少佐に会わせてくれ」


 西田はこれ以上の詮索を嫌って、そう言った。


「……失礼致しました。どうぞお入り下さい。師範は今、裏庭にいらっしゃいます」


 男は素早くその場を退いて、道を開ける。

 西田は門をくぐると道場へと足を踏み入れた。

 そのまま先の男が言っていた裏庭へと向かう。


 もっとも庭と言っても景観を楽しむような場所ではない。

 建物の外壁と堅牢な塀に囲まれて、雑草の一本も生えていない。

 長年の訓練によって完全に踏み固められた土壌。

 ただ、だだっ広いだけで殺風景な、訓練の為だけの空間。


 一年ほど前に西田が道場を訪ねた時は、この裏庭では大勢の門下生が稽古に励んでいた。白い簡素な訓練着姿の剣士達が素振りをし、横一列に並んだ魔術師見習いが石像相手に火の玉を放つ。そんな初歩的な訓練だった。


 だが今日は少々様子が違った。

 門下生の殆どは胡座かを掻くか片膝を立てて地面に座っている。

 見取り――つまり他者の試合を観戦し、その動きを学ぶ――稽古の風景だ。


 見取りに回った者達の中には、黒い訓練着を着た高弟もいた。

 ならば、彼らの前で試合をするのは、高弟以上の実力者。

 つまり師範代や、師範クラスの人間だ。


「……いや、待てよ。あいつは確か、前に俺がのしちまった……」


 だが更によくよく見てみれば、かつて西田が打ち負かした師範代も、門下生の後ろに立っていた。当然、西田は考える――ならば、これから試合を披露するのは一体何者なのか。


 これを見逃す手はないと、西田は裏庭の入り口から、その奥へと歩みを進める。

 すると見えた。

 後頭部で束ねた金色の長髪、長身、そして隻腕の美女が。身に纏う軍服は彼女が国に認可された教練指導官――つまりこの道場の師範である事の証だ。


 そして彼女と相対するのは――西田よりも頭一つ分以上背の低い、少女だった。

 短めの、深い青色の髪。気の強そうなつり目。瞳の色は金。

 薄手の白い貫頭衣を身に纏い、そして――獣耳と、犬のような尻尾。


 ――めちゃくちゃ小さいな。俺もそう背は高くないけど……あれで戦えるのか?


 西田は眉根を寄せて両者を交互に見遣る。

 ふと、師範――メイジャ・センチネルが模擬剣を抜いた。

 何度か鋭く、虚空に刃を走らせる――まるで印を描くかのような動作。

 瞬間、メイジャの全身から淡い、炎の如き波動――闘気が溢れた。


 気功術だ。この世界において、闘気とは――闘法ジョブによっては剣気、氣、ソウル、オーラなどと呼ぶ事もあるが、とにかく『気』とは曖昧な概念ではない。生物が持つ、その身体機能を増強させる為の、れっきとしたエネルギーなのだ。


 とは言え、この技術に関しては、西田はさほど興味がなかった。

 なにせ西田の身体には本人が意識せずとも常に、強力な気が纏われているのだから。神気――すなわち異世界転移に伴う、神の加護が。


 メイジャに応じるように、獣人の少女――シズが構えを取る。

 印や型を用いる事なく彼女は闘気を纏った。

 熟達した闘士にのみ可能な芸当だ。

 もっとも、教練指導官であるメイジャにも当然、同じ事は出来る。

 彼女は単に見取り稽古の一環として型を用いただけだ。


 ともあれ両者共に闘気を帯びた。

 つまり、試合が始まる――西田は二人の動きに注視する。


 メイジャは切っ先を地面へ向ける。角兎――下段の構えだ。

 下段に構えられた模擬剣は、対手が前に出れば跳ね上がるような突きが打てる。中段との最大の相違点は、下段にある刃は、相手が先端を払いのける事が困難。構えを崩されにくい――つまり牽制を強く意識した、カウンター狙いの、守勢の構え。


 対するシズは――臆した素振りを全く見せず、地を蹴った。

 放たれる迎撃の突き――それを更に迎え撃つシズの裏拳。

 遠心力を帯びた打撃は模擬剣の腹を捉え、弾き逸らす。


 しかしメイジャは、まるで動揺せず、左の前蹴りを打った。

 突きを弾かれ、右にぶれた重心を逆に利用した動作。

 これもまた組討術である。


 攻めを意識していたシズは避けきれず、両腕を交差させてそれを防御。

 体重差により蹴り飛ばされ、一度は埋まった間合いが再び開く。


 メイジャは前蹴りを放った直後――左足が前へと伸びている。

 つまりそのまま前へと踏み込む事が出来た。同時に、大きく弾かれた――つまり「振りかぶり」の終わっている模擬剣を振り下ろす。


 西田がその剣筋を凝視する。より正確には、その剣先に。

 振り下ろされる剣は順手で保持されているにもかかわらず、剣先が下を向いていた。それは、『裏刃』と呼ばれる技法だった。手首を返し、剣先を下に向ければ当然、刃はただ切り下ろすよりも素早く、対手に届く。


 だがシズは怯まない。

 地を踏み締め、前進――裏刃の斬撃よりも更に早く、対手の懐へ潜り込む。

 再び放たれた左の裏拳が、今度はメイジャの右手首を強打。

 剣を振るう腕を制する事は、刃そのものを払い除けるよりも、格段に容易い。

 斬撃は無力化され――同時に、強烈な闘気を帯びた右の手刀が、メイジャの脇腹に突き刺さる直前で寸止めされていた。

 決着である。


 ――やっぱり、戻ってきて正解だった。ここには俺に必要なものがある。

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