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 それから三日。


 邸の前に群がる記者や野次馬たちは、日がたつにつれて減るどころか増える一方で、とうとうストレスでクラリスが寝込んでしまうと、カトリーナは一時的に城の中に移ることになった。


 レオンハルトも当初ここまで騒ぎが大きくなるとは思っていなかったらしい。


 このまま、万が一にも未来の息子の嫁に危険が及んでは大変だと、国王もカトリーナが城に居を移すことには賛成で、カトリーナはレオンハルトの私室の隣に、しばらくの住居となる部屋を用意されてしまった。


 どうやらそこは結婚後に王太子妃が使う予定の部屋らしく、内装や調度は白を基調として華やかで、レオンハルトの部屋と接する壁には続き扉がある。その扉は、「結婚前の利用は禁止!」とエドガーによって厳重に鍵がかけられて使用することはできないが、鍵がかけられた時のレオンハルトの拗ねた表情を思い出すとおかしくなる。


 そんなレオンハルトも、ミルドワース伯爵の事件の事後処理に加えて、しばらく城をあけていたせいで溜まっていた政務で忙しくようで、会話どころか、まともに顔すら合わせていなかった。


 母クラリスには止められたが、レオンハルトが好きなだけ持ち込めと許してくれた山のような恋愛小説に囲まれて、カトリーナは一日をすごしていたのだが、ある日、カトリーナの部屋にクリストファーが訪ねてきた。


「クリス様、お久しぶりですわ」


 アリッサは連れてくることができなかったので、城にいる間身の回りの世話をしてくれる侍女たちに、オレンジの皮で香りづけされたフレーバーティーを煎れてもらう。これは先日エドガーにもらったお茶だった。


 クリストファーは裾の長いシャツの腰にベルトを巻いて、細身のズボンにショートブーツを履いていた。髪は後ろに撫でつけている。


 ずっとシャツにトラウザースという楽な格好のクリストファーしか見ていなかったので少し驚いたが、こうしてみると、やはりこの人は王子様なのだなと実感した。


「今回はいろいろと巻き込んでしまってごめんね」


「いいえ、クリス様の方こそ、大変でしょう?」


「うーん……、どうだろう? 一番大変なのは、戻ってくると言ったときに大泣きした父上を慰めることだったかな。それ以外はたぶんレオンの方が忙しいね」


「まあ、そんなことが」


 カトリーナは国王の顔を思い浮かべた。父であるアッシュレイン侯爵よりも十歳ほど年上で、初老と呼ばれる年齢に差しかかってはいるが、若々しい外見の朗らかな方だ。たまにカトリーナが挨拶に行くと、にこにこ笑って、いつもお菓子を勧めてくる。為政者としての威厳はもちろんあるのだが、カトリーナにとっては優しいおじ様くらいの印象だった。あの陛下なら号泣してもおかしくない。


「暇さえあれば、この十年のことを根掘り葉掘り聞きだそうとするんだから……。カトリーナ悪いのだけど、少し非難させてくれないかな」


「もちろんかまいませんわ。陛下にいただいたチョコレートがあるので、お出ししますわね」


 カトリーナはソファから立ち上がって、茶葉やお菓子が煎れてある棚まで行くと、薔薇の絵が描かれている箱を持って戻る。


「あー、それ知っている。父上が好きな店のチョコレートだ。あの人もそろそろ腹が出てきているんだから、甘いものはやめればいいのに」


 中にアーモンドのプラニエが入ったチョコレートはカトリーナも大好きだった。


 クリストファーは薔薇の形をしたチョコレートを一つ口に入れる。


 そうして、クリストファーと他愛ない会話を楽しんでいると、突然断りもなく部屋の扉が開けられた。


「カトリーナ、少し休憩につきあ―――ってクリストファー! 俺の婚約者の部屋で何をしているんだ!?」


 すると、クリストファーはあきれ顔を作った。


「君こそ、淑女の部屋をノックもなくあけるなんて失礼だろう」


「カトリーナは俺の婚約者じゃないか」


「婚約者だから礼儀を欠いていい理由にはならないだろう」


「……くそ、戻って来たと思ったらぐちぐちと小姑みたいに。エドガーがもう一人増えたみたいだ」


 レオンハルトは舌打ちすると、カトリーナの隣に腰を下ろす。


 カトリーナは侍女に頼んで、レオンハルトのために同じフレーバーティーを用意してもらったが、彼が猫舌なのは知っているので、まだ口をつけていなかった自分のカップとさりげなく交換した。


 レオンハルトがそれに気がついてカトリーナを見たので、にっこりと微笑み返すと、その頬が赤く染まる。


 レオンハルトは照れてしまったことを、こほんと咳払いでごまかすと、クリストファーに視線をやった。


「それで、カトリーナの部屋で何をしているんだ」


「……嫉妬深い男は嫌われるぞ」


「お前のせいだ! お前、まだカトリーナを諦めていないだろう!?」


 忌々しげにレオンハルトが言えば、カトリーナは目を丸くした。


 クリストファーはカトリーナに片目をつむって見せて、


「諦めが悪いのは血筋なのだから仕方ないね」


 と悪びれない。


「それはそうとレオン、休憩って言っているけど、廊下からエドガーが君を探す声が響いているよ。さては逃げ出してきたね?」


 クリストファーが扉に視線を投げる。


 耳をすませば、確かにエドガーがレオンハルトを探している声が響いていた。


 レオンハルトは一瞬バツが悪そうな表情を浮かべたが、「いい天気だなぁ」とあからさまに聞こえなかったふりをして窓外を眺めはじめたので、クリストファーが肩をすくめた。


「仕方ないな……、少し仕事をかわってあげるよ。仕事をしていれば父上も来ないだろうし」


 今回だけだからねとクリストファーが立ち上がると、レオンハルトは目を丸くした。


「なんだ、たまにはいい奴だな」


「たまにじゃなくて、僕はいつもいい人だよ」


 そう言って、クリストファーはにっこりとカトリーナに笑いかけた。


「それじゃあカトリーナ、レオンと婚約を解消したくなったらすぐに言うんだよ? 僕が幸せにしてあげるから」


「まあ……、クリス様ったら」


 カトリーナがおっとりと頬に手を当てて微笑み返すのを見て、レオンハルトがソファのクッションを掴むと、クリストファーは投げつけられる前にそそくさと部屋を出て行く。


「なにがいい人だ!」


 そうしてレオンハルトがカトリーナを抱き寄せて拗ねてしまったので、カトリーナは笑いながら、彼の機嫌が直るまで、腕の中でおとなしくすることにしたのだった。

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