自由恋愛万歳!

1

 レオンハルトは半月前のことを思い出していた。


 レオンハルトは普段、舞踏会にはあまり参加しない。どうしても参加しなくてはならないときは王太子の務めとして参加するが、極力人の多いところには行きたくはなかった。


 それは、子供のころにレオンハルトが人込みに紛れて命を狙われたことに起因するが、それとは別に、人に愛想を振りまくのが疲れるという理由もある。


 王太子と言う立場上、どうしても人に囲まれる。彼はそれが煩わしく、誰にも王太子だと気づかれずにのんびりしたいと思うこともしばしばだった。


 そんな彼が、伯爵家主催の仮面舞踏会に顔を出すことにしたのは、本当に偶然だった。


 彼は仮面舞踏会の三日前に、お忍びで城下に降りたときに見つけた赤と金色の仮面が気に入っていた。


 だが、仮面なんて日常生活で使うこともなく、ぼーっと眺めては、何か使い道はないものかと悩んでいたに、伯爵家で仮面舞踏会が開かれることを小耳にはさんだのである。


 仮面をかぶり、こっそりと参加することによって、周りに王太子と気づかれないというのも興奮した。つまり、レオンハルトはあの場にいる間は王太子ではなく、一人の男として楽しめるのだ。


 開放的な気分になったレオンハルトは、参加した仮面舞踏会を大いに満喫した。


 シャンパンを片手に他愛ないおしゃべりを楽しみ、たくさんの令嬢たちとのダンスを楽しむ。そうしてひとしきり仮面舞踏会の雰囲気を楽しんだ時だった。


 少し人込みに疲れたレオンハルトは、伯爵家の中庭で一休みすることにした。


 空を見上げると丸い月が煌々と輝いており、今夜が満月だったことに気がつく。月に気を取られながらベンチに腰かけた彼は、隣のベンチに先客がいたことに気がついた。


「きれいな満月ですね」


 レオンハルトが話しかけると、隣のベンチに座っていた白い羽飾りのついた仮面をかぶった令嬢は、話しかけられると思っていなかったのか、驚いたように顔をあげ、形のいい唇を弧の形に持ち上げた。


「ええ、きれいですね」


「月を見ていたんですか?」


「はい。人込みに酔ってしまったので、休憩がてら。ダンスもいいですけど、こうして漏れ聞こえてくる音楽を聴きながら月を眺めるのも楽しいですわ」


 鈴を転がすように楽しそうに話す令嬢だった。


 レオンハルトはふと彼女に興味を覚えた。


 ブラウンの髪を一つにふんわりとまとめて、小さな顔には黒に白い羽飾りのついた仮面をかぶっている。ドレスは淡いライラックで、袖から覗く手は華奢だった。


 姿勢や雰囲気から、どこかの貴族か、貴族でなくてもそれなりに育ちのいい令嬢であることは間違いなさそうだ。


「あなたはよくこういった仮面舞踏会に参加されるのですか?」


 彼女はゆっくりと首を振ると、「はじめてなんです」と答える。


「注目されないのはとても気が楽で、楽しいんですが、はしゃぎすぎてしまったのか、すぐ疲れてしまいました」


 彼女はくすくすと笑う。


 なるほど、それなりに注目される身分の女性のようだ。


(可愛らしい人だ……)


 飾らない言葉。可愛らしい笑い声。いつも作り笑いを顔に貼りつけている、レオンハルトの婚約者であるカトリーナとは全然違う。


 レオンハルトは名前を聞きたい衝動にかられたが、相手の名前を訊ねてはならないという仮面舞踏会のルールの前にぐっと我慢する。


 レオンハルトは立ち上がると、彼女の前まで行って、すっと手を差し出した。


「よろしければ、一曲いかがですか?」


「ダンスですか? でも……」


 彼女はレオンハルトの手と、離れたところのダンス会場を見やって、逡巡しているのか、中途半端に手を伸ばした。レオンハルトはその手をさっと取ると、軽く引っ張って彼女を立たせる。


「音楽なら、聞こえてくる分で充分でしょう」


 すると彼女は楽しそうに笑いながら、


「強引な方」


 と言って、レオンハルトに捕まれた手をきゅっと握る。


 そして中庭で踊ったゆったりとしたワルツは、レオンハルトが今まで踊ったどのワルツよりも楽しくて幸せな時間だった。


 その短い邂逅のあと、彼女とは別れてしまったが、レオンハルトはどうして仮面舞踏会のルールを無視してでも名前を聞きださなかったのかとひどく後悔した。


 あの日から、寝ても覚めても彼女のことばかり考えるのだ。


 レオンハルトは思い出から現実に意識を戻すと、腕を組んで唸った。


「まず、特徴で絞り込むしかないな。ブラウンの髪に、青紫色の瞳、か」


 レオンハルトはエドガーを呼ぼうとして、彼がカトリーナとの婚約を強引に破棄してしまったことに怒っていることを思い出した。頼んだって協力してくれるとは思えない。


 彼は仕方なくほかの従者を呼びつける。


「王都にいる、ブラウンの髪に青紫色の瞳を持った女性をリストアップしろ。そうだな、とりあえず貴族だけでいい。頼んだぞ」


 従者は怪訝そうだったが、レオンハルトは気にしなかった。


 ブラウンの髪の女性はたくさんいるだろうが、あの青紫色の瞳は珍しい。


(絶対見つけ出してやる……!)


 そういえばカトリーナの瞳も青紫色だったなと思い出したが、彼はすぐに忘れることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る