67話 姉との会話、そして相談(後)

「はああ? 何てことを言い出すんだい!?」

「えええサシャさま、それはさすがに……」


 途端に湧き起こる反発と拒否の声。

 現役の魔法使いであるオルガはもちろん、独自の魔法を使うヴィオラまでもが声を上げている。これは話す順番を間違えたと、サシャは慌てて取り繕いに入った。


「今のはウソ! いや、まるきりのウソでもないんだけど、言いたかったことと違うというか――」

「何だい、びっくりさせないでおくれよ。天人族にそんなことを言われたら、世の魔法使いはみんな失業しちまうよ」

「そうですよサシャさま。今のザヴジェルは魔法ありきで成り立っている部分もあるのです。その魔法を頭から否定するのは、さすがに社会に及ぼす影響が大きすぎますよ?」


 あー、ひとこと言うだけでこういう反応になるのか。


 姉ダーシャが積極的に関わろうとしない理由のひとつを目の当たりにし、サシャは途方に暮れたい気持ちになった。けれども、伝えるべきものは伝えた方が絶対いい。どうすれば角を立てずに話を進められるか、今度こそ慎重に言葉を重ねていく。


「ええと、今のはいったん忘れてもらって。……例えばだけど、世の中にはいろんな神さまがいるよね? 天空神クラールから始まって、魔法とか神殿とかで馴染み深い新世代の神々とか、あとはヴィオラやイグナーツさんの神剣に宿っている古の神さまたちとか」


 そこで一度言葉を切って反応を窺うと、今のところは問題ないようである。皆が「そうだな」という顔で頷いてくれている。


 よし、こんな具合でちょっとずつ。

 サシャは小さく息を吸って、もう一歩だけ踏み込んでいく。


「で、姉さんと話している時に、奈落の話になったんだけど――」

「ふむ。ダーシャ殿が何を言っていたか、非常に興味深いな」

「月姫殿は何と?」


 今度はシルヴィエとイグナーツが、ぐい、と体を乗り出してきた。

 人によって食いついてくる場所が違うのが面白いが、今はそんなことを言っている場合ではない。サシャは言葉を選びつつ、話を展開させていく。


「――奈落って放っておくと、ひとつでもこの大陸をまるまる飲み込んじゃうぐらい危険で異質な存在だ、姉さんはそう言ってた」

「うむ、全く同感だな。サシャの聖光や【ゾーン】といった対抗策が出てこなければ、今回の防衛戦だってどうなっていたか分からん」


 シルヴィエの相槌に頷きを返しながら、とりあえず嘘はついてないもんね、とサシャは大きく息を吸い込んだ。勝負はここから、である。




「でね、奈落の背後には邪悪で異質な存在が絶対にいるはずだって。例えて言えば――邪神、みたいな」




 シルヴィエが、イグナーツが、オルガもヴィオラも、全員が一斉に息を飲みこんだ。そして一拍を置いて口々に喋りはじめる。


「なるほど、邪神とは言い得て妙な表現だね。確かにこれだけ神々が降臨してきているのだから、中には邪悪な存在が混じっていてもおかしくはないさね。奈落の出鱈目ぶりを思えば、そのぐらい強大な存在が黒幕と言われても妙に納得しちまうよ」

「ふむ、敵わぬと見たらあの大群が一斉に退却していく連日の戦いぶり――奴らの神が統制を取っていると思えば、あの程度はいとも容易いことか」

「ああ。クラールがわたくしに神託を下された、その意味が分かりました。つまり、邪な神がいて、それが真の相手なのですね」

「神々の争い、か。まるで古の神話が甦ったような……否、こんな末世だからこそ、新たなる神話の時代に突入していくのだな」


 四人それぞれ微妙に異なる表現ではあるものの、概ね肯定的な反応である。邪神、それはサシャが育った大陸中南部――神殿の権勢が強い地域で広められている、おとぎ話にも出てくる悪の象徴だ。


 姉ダーシャはそんな表現は一切使っておらず、サシャがこの場で勝手に言ってみただけだが、どうやら悪くない表現だったらしい。神殿が衰退してしまっているザヴジェルでは伝わらないかも、などと一瞬よぎったサシャの心配は安堵に変わった。むしろ想像以上に的確に伝わっていそうな按配である。


「で、その奈落の黒幕――とりあえずここでは邪神ってことにしておくけど――は、そう簡単に相手ができるようなものじゃないから、まずは戦えることが判明した先兵を確実に潰していくのが肝要だって」

「ふむ、まあそうなるだろうな」

「サシャさまとダーシャさま、そしてわたくしたち神剣使いの出番というわけですね」

「承った。たとえこの身を盾にしてでも、先兵ごときに負ける訳にはいかない」

「悪いけどあたいたち魔法使いは役に立たないからね、補佐の面で協力は惜しまないよ」


 あ。

 最後のオルガの言葉に飛びつきそうになったサシャだったが、まだ早いとぐっとそれを堪えた。


 あれから色々と考えて、実はオルガや<幻灯弧>の面々に試してほしいことを思いついているのだ。けれどもまだそれはもう少し後でするべき話。今は一歩ずつ確実に進んでいく場面なのだ。


「ええと、それでね。先兵と戦う時のことなんだけど、【ゾーン】とか癒しの聖光とかって、先兵を護っている瘴気を引き剥がす効果があるんだって」

「ああ、それで剣が通じるようになるのか。理屈は分からないが、お陰で戦いに希望が見えるようになったのは事実だな。特に【ゾーン】、あれで一般兵も軍として戦えるようになるのは大きい」


 シルヴィエが大きく頷くと、イグナーツも静かに、けれど力強く頷いた。琥珀の瞳を輝かせたヴィオラがふんわりと微笑む。


「そうですね。わたくしたちだけでは、あの数の相手は限界がありますもの。サシャさまも【ゾーン】が少しずつ使えるようになっているのでしょう? ザヴジェルはまた天人族に救われたのです」


 サシャの言葉に今のところ全員が概ねついてきているようだが、一人だけ仄かに微妙な表情を隠しきれない者がいた。

 魔法使いのオルガである。


「……そのことだけどサシャ、月姫の力で魔法も通用するようにはならないのかい? 現状でも充分にありがたい話で、文句を言えるような筋合いじゃないのは分かってるんだけどさ。魔法が使えれば死蟲の大群なんて一気に吹き飛ばせるし、あたいたち魔法使いだって奴らに一矢報いてやりたいんだよ」

「オルガ……」

「オルガさま……」


 シルヴィエもヴィオラも、しまった、という顔をしているが、その言葉にサシャは更なるチャンスの到来を感じ取っていた。内心の忸怩たる思いを全身から滲ませているオルガに正面から向き直り、頭の中で言葉を選びながら口を開いていく。


「あー、それねえ。でもオルガ、変だとは思わない? 剣が通じるぐらに瘴気の護りを引き剥がしているのに、なんで魔法だけが変わらずにすり抜けていくのか」

「そりゃ変だと思ってるさ! あたいだけじゃない、世の魔法使いはそのことに全員悔しい想いを抱えてるんだ」


 オルガの言葉は紛れもない真実だ。

 そもそも魔法使いは、魔獣との戦いにおける花形職である。高火力で一人いるだけで戦局を左右し、周囲からも頼りにされて社会的地位も高い。


 ほとんどの者がそんな高位魔法使いに憧れ、必死に己の魔法を磨いてきたのだ。

 それが、一番戦力が必要とされる奈落との戦いで、まさかの戦力外通告。これまで積み重ねてきた努力は何だったのかと、やりばのない怒りを抱えている者も多いらしい。


「ねえオルガ。姉さんも言ってたんだけど――魔法って、縁を結んだ神々の力を呼びだして行使するもの、だよね?」

「ああそうだよ。けど、それが今さら何だってんだい」

「ええと、それで……ねえイグナーツさん。イグナーツさんの神剣に宿ってる神さまって誰だっけ?」


 唐突に話を振られたイグナーツは目を見開き、「……古の大地神UbboSathlaだ。この剣はその神遺物と言われている」と静かに答えた。


「そうそう、そんな名前の神さまだったね。で、その古の大地神?の力が宿ったイグナーツさんの神剣は、普通に先兵を斬れるし、神剣由来の防壁も先兵に通用する、と。じゃあ――」

「わたくしのレデンヴィートルに宿っているのは古の翠の女神、麗しのゼレナTulzschaですわ」


 サシャの視線を受けたヴィオラが、ふわりと微笑みながら問われる前に答えを差し出した。


「わ、ありがとヴィオラ。それで、ヴィオラのその神剣も普通に先兵を斬れるし、その神剣由来で放った魔法も普通に先兵に通用する、と。ちなみに僕が使う青い光は姉さんの【ゾーン】と同じで、天空神クラールの関連で」

「ちょっと待ちなサシャ! 天人族が天空神の力を得ているってのも驚きだけど、あんたが言おうとしているのはこういうことかい? ――奈落に通用するかどうかは、大元の神々によって決まっていると。そしてあたいたち魔法使いが使う魔法は……その魔法で力を借り受けている神々は、軒並み奈落には力が通じない神々だと」


 それは誰もが一度は考えたことであった。

 だが、現代魔法で力を借りられる神々の数は少なくなく、その全てが揃って駄目だとは偶然が過ぎると思っていたのだ。


 けれどもサシャは、あっけらかんと頷いて話を進めていく。


「うん、だいたいそんなところかな。ヴィオラたちと一緒に来た神剣使い……先兵にその神剣が通用しなかった二人も、剣に宿っていたのは魔法に力を貸してくれることで有名な神さまたちだったんでしょ? 使い手の力量がどうこうとか、古くて由緒正しい神剣だったからどうこうとかじゃなくて、そもそもの根っこの問題だったのかなって」


 なんてこったい、と悪態を零すオルガ。


 よりによって二人しかいない天人族が揃ってそう主張するとなれば、その説にも俄然信憑性が増してくるというものだ。ましてや眼前のサシャからして全ては話しておらず、伏せている情報があるのが一目瞭然であるだけに。


「……つまり奈落の背後にいる邪神はかなり格が高い神で、魔法で力を貸してくれる新世代の神々だとまるきり歯が立たない、そういうことかい。あたいらじゃ手も足も出ないってのは、まさにこのことだね」

「いや、オルガ。それも微妙に違う気がするんだよね。魔法は力不足で弾かれるとかじゃなくて、まるっとすり抜けちゃうんだよ? それってまるで――」






 ――奈落の邪神と魔法の神々が、味方同士みたいだと思わない?






 意を決してサシャが囁いた結論に、天幕の中に水を打ったような沈黙が広がった。


 それはさすがに誰もが予想だにしていなかったこと。

 新世代の神々は、この魔獣はびこる終末の世で、人々に惜しみなく魔法の力を授けてくれる神々なのだ。奈落と裏で通じ、世界を滅ぼそうとしているなど誰が考えるだろう。


「あー、新世代の神々が魔法の力を授けてくれている、ってことなんだけど」


 誰もが言葉を失った間隙を逃さず、サシャは畳みかけるように言葉を継いでいく。


「あのさオルガ。魔狂いの人について、前に言ったこと覚えてる?」

「……あんたが、魔法使いが魔狂いに至るまでの程度が分かる、ってことかい?」

「そうそう、その辺のこと。魔法使いの人が魔法を使えば使うほど、嫌な気配のようなものが蓄積していくって、そう話したよね」

「…………まさか、あんた」


 信じられない、といった顔でオルガがガクリと顎を落とした。


 目の前にいるサシャは、その身に宿した類稀な聖光で奈落の先兵を打ち倒す英雄である。そのサシャが、熟練の魔法使いほど“嫌な気配”を感じると言っている。


 いや、今言い出したことではなく、それは奈落がザヴジェルに襲いかかってくる前から言っていたこと。


 もしかして、奈落の先兵の天敵たる聖光をその身に宿した、この天空神の使徒アパスルと目されはじめたサシャは。


「……もしかしてあんた、熟練の魔法使いに奈落の気配そのものを感じ取ってそんなことを言っていたってことかい? それはつまり、魔法ってもんが――」

「そう。小さい頃からずっと魔法を見ると怖気が走ってたんだよね。基本的には放たれた魔法が主なんだけど、日常的に繰り返し魔法を使ってる魔法使いの人にも、その怖気のようなものは蓄積されていっててね。そんな人の行きつく先はたいてい、魔に飲まれて魔狂いになっちゃう」

「…………」


 誰も何も言わないその沈黙に、サシャは静かに言葉を重ねていく。


「完全に個人的な主観だけど、魔法ってヤバい力だって昔から思ってたんだ。それが奈落と繋がっている、とかまでの確証はないけれど、感じる嫌悪感は死蟲とかと通じるものがあるんだよね。魔法って便利な力ではあるんだけど、使いすぎた人の気が狂っちゃうのはそれを思えばまあ、さもありなんというか何というか」

「……なんとまあ、クラールの使徒と名高いあんたの目には、そんな風に映ってたのかい。魔法はそもそもからして、怖気立つようなキナ臭い力だと」

「あんまり魔法使いの人に言うべき話じゃないのかもしれないけどね。でもヴィオラの魔法や、オルガたちが精霊に力を借りてやってた古代魔法は全然平気なんだよ? 嫌な気配の欠片もないんだよね。で、その辺を死蟲やらに対する効力と併せて考えてみると――」





 ……現代魔法をもたらしてくれた新世代の神々が、実は軒並み奈落と通じている邪な存在かもしれないってことだね。





 最後はオルガがそう力なく引き取った。


 真剣な面持ちでコクリと頷くサシャ。

 とりあえず、言っておきたいことは大体伝えられた、とサシャは思う。


 幼い頃から感じていた魔法というものに対する嫌悪感と、奈落との関わりの可能性。自分ではほぼ間違いないと思っているけれど、姉ダーシャもそうだろうとは言っていたけれど、今の自分に出来る限りは無難に伝えられたのではないだろうか。


 魔法を否定するのは、すなわち社会を敵に回すということ。


 こうして相談するのに、魔法使いとしての発言力もあり、かつ現代魔法から脱却して古代魔法の復元を目指しているオルガ以上の適任は思い浮かばない。はたして、この話を聞いたオルガはどう反応するのか。




「……失礼。ひとつ、よろしいか」




 ところがそんなサシャの期待とは別に、重苦しい沈黙を真っ先に破ったのは樹人族のイグナーツだった。


 彼は種族特有の長い腕を組み、ゆっくりと予言じみた口調で語りはじめた。



「――彼こそが滅びつつあるこのヴラヌスの正統なる後継、最後の希望。暗黒を迎え撃ちたければ、クラールと共にこのヴラヌスを消滅させたくなければ、数多の無形の侵略者から、かの少年を護れ」



 イグナーツの耳に心地の良い豊かな深い声が物音ひとつしない天幕の中にしばし漂い、そして消えた。後に続いた無言の沈黙を破ったのは、その金に近い琥珀色の瞳を大きく見開いた、ヴィオラだ。


「……イグナーツさま。それはたしか、大地神UbboSathlaの神剣からイグナーツさまが授かった、神託のことば」

「そう。私はずっと疑問に思っていたのだ。悠久の昔から沈黙を守っていた古の大地神UbboSathlaがわざわざ告げた無形の侵略者とは、いったい何者かと。それはもしや、人々に魔法を与えた新世代の神々のことであったのか」

「まさかとは思いますが、わたくし自身も感じるところはあります。少なくとも複数の神が神託で警鐘を鳴らすほどの、それほどの相手なのは確かなところ。そこを考えればサシャさまの言葉を否定するのは愚かなことです。むしろ、なるほど、という思いすら」

「我々の責務は重大、ということだ。だが、そうして見守ってくれる神々もいる」

「はい、イグナーツさま。ともに励みましょう」


 ヴィオラとイグナーツが二人で頷き合い、まっすぐにサシャを見つめてくる。


「は、励むって……」


 サシャとしては、イグナーツの神託の話を具体的に聞いたのは初めてだ。神託を受けた者同士、ヴィオラと話し合っていたのかもしれないし、おそらくはそうなのだろう。いきなりこの場で耳にして、正直なところ全てを理解できた自信はない。


 姉ダーシャと話して、クラールと人々に魔法を与えた邪神群、その構図は分かったつもりでいた。だが、実際のところはそこに更に、ヴィオラとイグナーツに神託を与えた古の神々まで絡んできている、そういうことなのだろう。さすがにそこまでは考えが及んでいなかったサシャである。


 とりあえずは。


 ヴィオラとイグナーツは間違いなく味方で、仲間だ。

 これまでの二人の行動はもちろんのこと、二人の神剣にサシャは何の忌避感も感じないのだ。何より、奈落の先兵群に対する二人の神剣の効果もある。


 この場でもサシャの言葉を真っ先に理解してくれ、応援してくれるようなニュアンスのことを言っている。シルヴィエは黙ったままだが、反論があれば口に出すタイプだ。消極的賛成、おそらくはそんなところなのだろう。


 と、なると。




 サシャは祈るような気持ちで、この話の鍵となるオルガの次の言葉を待った。




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