10話 一路、ファルタへ

「すみません、命を救っていただいた上にこんなことまで……」

「気にするな。私がしたくてしているのだ」


 回収できるだけの物を回収し、弔うべきは弔って惨劇の現場を後にしたぺス商会の一行。

 紙一重で助かった母子はすっかり元気を取り戻し、ケンタウロスのシルヴィエの背中で揺られている。誇り高きケンタウロスは滅多なことでは背に人を乗せないと言うが、本人のたっての希望によりそういう形になっている。


「……なにその、なんだ。後でまたその子を抱かせてもらえればそれでいい」

「まあ、シルヴィエ様ったら」


 そう。

 シルヴィエの野生的な美貌の下に秘めた可愛いもの好きが爆発し、ついに自分にも笑いかけてくれた赤子から一切離れようとしないのだ。お陰で親子の移動手段をどうするかという問題はあっけなく解決し、一行は移動速度を落とすことなく旅程を進めることができているのだが。


「それにしても、まさかリリアナ殿がブシェクの小麦農家の若奥様だったとは。とんだ里帰りになってしまいましたな」

「ええ、亡くなった他の方々には申し訳ないのですが、まさかこんなことになるとは」


 すぐ後ろで荷馬車を馭しているオットーも会話に参加している。

 親子を乗せたシルヴィエを隊列の先頭に出すわけにもいかず、こうして二台の荷馬車の間へとその配置を変えたのだ。


 そして、どうやらリリアナとタチャーナという名のこの蚕人族の若い母子は、出産のためにファルトヴァーンにある実家に里帰りをしていたらしい。嫁ぎ先がブシェクにある大規模な小麦農家で、収穫が押し迫って家中が戦争のように慌ただしくしている中、のんびりと蚕人族特有の出産繭を作っている訳にもいかずにやむを得ずその里帰りを決断したとのこと。


 お陰で出産と産後の肥立ちは順調に推移したのだが、その帰り道で怖れていた事態に遭遇。融通の利きそうな若い隊商に便乗を依頼したのが、結果的には仇となってしまったのかもしれない。


「あれはトゥーマ商会の隊商でしたかな? 我々に先駆けて朝一番で元気よく出立したというのに、彼らも運のないことだ。主だった遺品と荷は回収したので、ファルタに着いたら彼らの商会に届けてやる予定です。商人同士、商会の場所ぐらいは知っておりますので」

「私の同乗を快く請け負ってくれた、とても気立ての良い方々だったのに……。本当に何から何まで助かります」

「いえいえ、それがザヴジェル商人の間の暗黙の了解なのですよ」


 ため息混じりに小さく肩をすくめてみせるオットー。

 そうなのだ。商隊に出ている者が商会の全てではない。店番の者もいるし、それぞれに家族もいる。今回のような事態が起きてしまった場合、命を落とした者も悲劇なのだが、残された者にもある意味でそれと同等の苦境が待っているのだ。


 荷はそれだけでひと財産だし、場合によっては買い主が決まっている物もある。

 もし商隊に参加していた商会幹部の全員と、その荷がまとめて帰らぬものとなってしまった場合――。


 残された者のその後が少しでも楽になるよう、惨劇を発見した商隊は可能な限り遺品と荷を持ち帰る。それが彼らザヴジェル商人の間の暗黙の了解だった。


 そしてそれはけして無私なだけの行いではない。

 そのような場合、得てして起こり得るのが。


「あの、今回の一件、どのようにお礼をすれば良いのか。ブシェクに戻ってからになりますけど、主人も連れて必ずお礼に伺いますので」

「いえいえ、お気遣いなく。……ただ、そうですな。これもなにかの縁ですし、私も商人の端くれ。せっかくご主人とお会いできるというのなら、お礼だなんだというより出来れば双方にとって益のある、末永い商売の話でも――」


 こうしてオットーはブシェクの有力な小麦農家との縁を得て、これもあの神父を商隊に加えたお陰と、自身の商運に強い手応えを覚えるのであった。



 そして、そんなことを思われているサシャはと言えば。



「前方、右、左。ぜーんぶ異常なーし!」

「おいサシャ、本当だろうな!? お前さんのその哨戒にこの商隊の安全がかかってるんだぞ?」

「くく、心配いらないよボリス。あの坊やはアレでなかなか適任じゃないか。あたいはそろそろ後ろに戻ってもいいんじゃないかい?」


 サシャはボリスと豹人族三兄妹のうちのレナータに見守られつつ、意気揚々と隊列の先陣を切っていた。癒しの代償である苦行を無事に終えた反動で、今の彼のテンションは異様に高い。


 隊列の先頭は、親子を乗せて中陣に下がっていったシルヴィエが務めていた場所だ。

 当初は豹人族のレナータがその代わりに先頭に立とうとしていた。シルヴィエが護衛に加わる前、元々はそんな形だったのだからごく自然な流れだ。だが、それをサシャが引き止めたのだった。


「ねえねえ、シルヴィエの代わりでしょ? やろうか? ていうか、やらせて!」

「おう? そうしてくれりゃ助かるが、サシャ、お前さん出来るのか? それに疲れたんじゃなかったのか?」

「そうだよサシャ。もの凄い癒しをしたっていうじゃないか。あたいに任せてボリスの隣で休んでていいんだよ?」

「もう完全復活した! むしろ前より元気!」

「お、おう……」


 そんなやり取りを経て、サシャは飛び跳ねるような小走りで商隊前十五メートルの位置へと駆けていったのだった。


 護衛隊長であるボリスの心配は、サシャの疲れだけではない。

 隊列の先頭に立つ者は魔獣の気配をいち早く察知し、後続に警戒と戦闘準備を促すという重要な役割を持っている。もちろん可能ならば単独先制して排除してしまっても構わない。そんな全体の安全の肝ともいえる位置、それが隊列の先頭なのだ。


 だが、そんな重要なポジションを引き受けたサシャは足取りも軽く、そんなボリスが思わず心配するほどの上機嫌さでスタスタと歩いていく。


 そして。


「ふんふふん、何ごともこのサシャさんにお任せあれーと。……お、あっちに何かいるよ? こっちに来ないでちょうだいね、っと」


 時おりそう言って不意に足を止めるサシャは、そのたびに足元の小石を拾って街道脇の木立の中へと投げつけるのだ。見た目にそぐわぬ鋭い風切音と――しばしの間を置いてから後ろで見守るボリスたちの耳に届く、くぐもった魔獣の悲鳴。そして何かが林の奥へと逃げ出していく、茂みを踏みしだく音が聞こえてくる。


 そう。

 さっきからこの調子なのだ。


「ほら、また魔獣が逃げていくよ。あはは、面白いことするもんだねえ。あたいも練習してみようか」

「……やめとけレナータ。あれは簡単にやってるように見えて、その実かなり難易度が高いぞ? 急所を外したり打撃が弱かったりしてみろ、逆に魔獣が怒って襲いかかってくるってもんだ。便利は便利だし、ああして小物を露払いしてくれるだけで隊列の速度も安全度も上がるんだけどな」

「へえ、そう言われてみればそうだねえ。魔獣が逃げ出すほどの強さで、それを林の中に潜む魔獣の急所に一撃で、か。ちぇ、面白いと思ったのに」


 心底残念そうに悔しがるレナータ。

 豹人族はその種族柄、戦闘に関することについては非常に好奇心旺盛かつ貪欲だ。サシャの投擲がよほどその琴線に触れたのか、どうやら本気で習得を考えていたらしい。


「ま、練習するのを止めはしないがな。サシャの様子じゃ先頭は任せても大丈夫そうだし、きちんと護衛をするんだったら後ろに戻って試してみててもいいぞ? なんせシルヴィエがあの様子だ。守る人数も増えたし、いざって時を考えれば後ろに人数はあった方がいいからな」

「よし、見ときなボリス。絶対にモノにして驚かしてやるからね」

「いやだから練習より護衛の方が主であってだな……って行っちまったよ」


 興味を持ったら一直線、そんなレナータの後ろ姿をボリスはため息で見送った。


「……はあ、サシャの奴も面倒な小技を面倒なレナータの前で見せてくれやがって。ありゃしばらく使いモンにならねえぞ」


 そんなことが過去に何度もあった。一番最近の例を挙げれば、シルヴィエがこの護衛隊に加わってきた時だろう。新しい武芸者に会って、新しい刺激を得るとレナータは決まってそうなるのだ。


「新しい武芸者……サシャ、だよな。神父ってそんなモンなのかねえ。剣を使えて、小石で魔獣を追い払えて、俺たち豹人族より反応が早くて、ケンタウロスより速く走れて、もの凄い癒しを使えて――おいおい、芸達者にも程があるだろ」


 そんな独り言を呟いているボリスの視線の先で、当の本人が至って気軽な調子で先頭を歩いていく。時おり見せる小石の投擲が、後ろで見ていたレナータの豹人族の血に火をつけたなどとは全く知らぬことだ。


 それもそのはず。

 サシャ本人は、小石の投擲を自慢できるような、しかも戦闘に関係するものだとはこれっぽっちも思っていない。そもそもが空腹に耐えかねた幼き日の孤児サシャが、王都近郊の森で狩りをするために習得したものなのだ。


 その頃は森といってもまだそこまで魔獣に席巻されてはおらず、比較的安全に入ることができた。が、弓などといった高価な物を無一文の孤児が持っているはずもない。その頃から身体能力だけは大人顔負けに持っていたサシャは、兎や雉を見つけてはそこらに堕ちている小石を投げたのだ。


 初めは全然当たらなかったが、切羽詰った飢えに追い立てられるように徐々に命中率も上がっていき――と、そんな切ない思い出が詰まった小技なのである。立派な武器を持った豹人族の傭兵が、目の色を変えて練習を始めているなどとは予想もしていないことであった。


「ふんふふん、サシャさんが通りますよー。魔獣の皆さん、いたらあっち行ってちょうだいねっと」


 成長をして、当時の数倍の身体能力を得たサシャ。

 今の彼の投げる小石は魔獣を殺せるところまではいかないものの、充分に脅威と言えるものであった。


 魔獣の気配を感じ取るやいなや、鼻歌混じりでそんな小石をめったやたらに投げまくるサシャ――周辺の魔獣は恐れおののいて極度の警戒と共に退散し、結果としてぺス商会の移動速度は大幅に上がっていく。


 そして。

 なんと目的地であるファルタを見下ろす丘まで、日没前に到着してしまったのだ。急げば本当に陽のあるうちに街へと入れるかもしれない。ぺス商会、直近数年間における最短記録である。




  ◆  ◆  ◆




「うおお、これがファルタ……!」


 商隊を軽快に先導していたサシャが足を止め、感動に打ち震えている。

 それもそのはず、まず眼前に雄大にそびえるのは霊峰チェカル。懐に古代迷宮群を抱えることで有名なその霊峰が、沈みゆく夕陽を背負って優美な稜線をくっきりと夕焼け空に描いている。


 それは麓に降りるにつれ、徐々に名物である霧に覆われていく。そこまではこれまでも見えていた。が、長々と続いた丘を登りきった途端、そんな霧に今にも飲み込まれそうになっている美しき古都、目的地であるファルタがその姿をいきなり眼下に現したのだ。


 古の時代より数多の迷宮ラビリンスと共存することによって栄えてきた、霧の都とも呼ばれるファルタ。円形の石壁に囲まれ、無数の尖塔が林立するその古都が、一行の前に街門を開いて待ち構えている。


「おうサシャ、先頭ご苦労さん。お陰で本当に夜営なしでファルタに着け――そうか、ファルタは初めてだよな。すっげえ街だろ。物語にも多く出てくるんだぜ?」

「そうなんだ……こんな街、初めて見た。見てよあの塔の数、ちらほら灯りが点き始めてるけど……まさか今も使われてるの?」

「もちろん。まあ今じゃ大半は街が賃貸に出してて、みっちりと人が住んでるがな」

「なにそれスゴい! いいなあ、あんなところに住んでみたい!」


 がばりと振り返り、一足飛びにボリスに詰め寄るサシャ。

 中には宿として営業しているものもあるとの追加説明を受け、絶対にそこに泊まるんだとひとり息巻いている。


「がはは、ファルタの歴史は三千年とも四千年とも言われてるからなあ。こないだ滅んじまった旧スタニーク王国より、このファルタの方が全然昔からあるのさ」

「おおう……」

「くかか、口が開きっぱなしになってるぞ? ま、サシャはここでちょっとファルタを眺めててくれ。ちょっとオットーさんのところへ行ってくるからな、荷馬車も見といてくれよ」


 そう言って荷馬車を街道の脇に停めたボリスが、馭者席から軽やかに飛び降りて後続の面々の方へと走っていく。


 考えてみれば、朝ファルトヴァーンを出発した時に比べて蚕人族の親子が増えている。襲撃を受けた商隊の報告など、相談したいこともあるのだろう――頭の片隅でそんなことをちらりと考えつつ、サシャは尚も眼下のファルタを見詰め続ける。


 それはサシャの生国アスベカでは到底お目にかかれない、長い長い歴史を持った街だ。人並み外れた視力を持つサシャの紫水晶の瞳には、夕陽に輝く無数の尖塔の苔むした石組みがはっきりと見えている。


 いや、尖塔だけではない。道も建物も全て苔むした石で造られているのだ。不規則に立ち並ぶ尖塔はもちろん、その下の家々のどのひとつを取っても雄大な時の流れを感じてしまう。実に美しい街並みだった。


「こういうの、見たかった!」


 丘の上で一人、誰にともなく力説するサシャ。

 彼がはるばるこの地にやってきた、大きな理由のひとつがそれなのだ。


 このザヴジェル独立領は大陸で唯一、北の魔の森に接する土地である。そこにはこのファルタのような歴史ある迷宮都市や巷で評判の精鋭騎士団などなど、観たいもの行きたい場所が指折り数えるほどにサシャの頭の中にリストアップされている。


 例えばこのファルタには未だ彼の知らない、かの有名なラビリンスがいくつも隣接しているはずだった。霊峰チェカルの古代迷宮群は現在も健在であり、ディガーと呼ばれる大勢の迷宮採掘者たちが一獲千金を狙ってこの街から日々通っているのだ。


 遠くサシャの生国までその名を響かせている古都ファルタ。

 ザヴジェルに来て初めに訪れたそこは、聞きしに勝る、目にしただけで実に心躍らせる街だった。


「……いやいや、ここから見てるだけじゃダメでしょ。中に入って、最低でも一ヶ月は暮らして満喫しないと!」


 どうやらサシャの中では、ただ眺めるだけでは足りないらしい。

 中に入り、実際にそれなりの時を過ごして全てを肌で実感するところまでが必須条件のようだ。……騎士団を見に行った時はどうするのか、そこまでは考えていないサシャであった。


「お待たせしました、サシャさん。素晴らしい護衛ぶりでした! お陰様で本当に今日中にファルタが見えてきましたね」


 そんなサシャの背後から、オットーが弾んだ声をかけてきた。

 サシャが振り向けば、二台目の荷馬車と共に後続の面々がぐるりと自分を取り囲んでいる。


「お疲れ様だな、サシャ。お陰で赤子に野営をさせずに済んだぞ。よく頑張った」

「いやいや、本当に着いちまったね。昔ここまで魔獣がいない時は一日の行程だったって言うけどさ、これじゃ練習する暇もありゃしないよ」

「おいこらレナータ、お前ちゃんと護衛してたのか!?」

「まあまあボリス、豹人族が武芸の鍛錬に励むのは種族としての義務だろう? それに今日の護衛なら俺一人で充分だったしな」

「おい、なんでそこで俺を見る? 喧嘩売ってんのか」


 賑やかな面々の脇からは、赤子を抱えた蚕人族の母親がサシャに向かって深々とお辞儀をしてきている。お礼は雇い主のオットーに、と照れた笑いを浮かべて逃げていったサシャだったが、自分たちを実際に癒してくれたそんな若き神官に、彼女は心からの感謝をしているのだ。


「じゃあオットーさん、さっきの感じで手続きを頼みますよ。よしお前ら、とっとと街門まで行っちまおうぜ。街門が閉じられる前、本当に今日のうちにファルタに乗り込むんだ!」


 おお!と威勢のいい声を上げて、ぺス商会の面々が一斉に動き出す。

 一日で着いてしまうなど本当に珍しいことだし、彼らとしても野営をせずに街で寝られるのは大歓迎なのだ。


「ひゃっほう! 一番乗りはもらった!」


 そして、もちろん。

 隊列の先陣たるサシャが、真っ先に丘を駆け下っていったのは言うまでもないこと。





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