桃源女学園からの招待状

辰巳京介

六通目、桃源物産株式会社

主な登場人物



今田大作(32)

桃源物産営業一課課長


大泉富士子(20)

桃源物産営業一課の新入社員。

中村栄子(34)

桃源物産営業一課、今田大作の「ワイフ」


秋津陽子(28)

 桃源物産営業一課、今田大作の「ワイフ」


町田純平 (28)

桃源物産営業一課。ワイフのいない、いわゆる『シングル』。


1.


「君、新入社員の大泉富士子をワイフにするんだって?」

桃源物産営業一課の課長今田は、部長にいきなりそう切り出された。

桃源女学園の学園祭で女子学生、大泉富士子の採用を決め、翌日、出社した朝のことである。

ここは「桃源物産株式会社」。

狭山初子理事長率いる桃源グループの企業だ。

「大丈夫か?」

「何が、ですか?」

「そんな、娘みたいな歳の子をワイフになんかして、君、社内でワイフ六人目だろ」

「はあ・・」

今田は、部長があまり大げさに心配するので、逆に不安になってきた。もしかしたら自分は、軽はずみなことをしてしまったのかもしれない。

「しかし、よく許してくれたもんだね、君の五人のワイフは」

「どういうことですか?」

「何を言ってるんだ、新しいワイフをもらうときは、今いるワイフ全員の承諾が必要になる。『事前に』だ。忘れたのか?」

忘れていましたとは言えず、今田は、

「ええ」

とだけ曖昧に答えた。

「もちろん、社内での罰則の規定はないが、ワイフとの関係をうまくやっていくための暗黙のルールと言うやつだ」

「承知しています」

「それに、ワイフたちには、君を査定する義務も権限もあるんだから、機嫌を損ねると、何かと面倒だぞ?」

そう言って部長は、わははと笑うので、今田も一緒に笑った。

「君のワイフたちは心が広い、うらやましいよ、大事にしなさいよ」

部長は、書類に印を押しながら言った。



今田が営業一課に戻ると、シングルの男性社員、町田純平たちが近づいてくる。

社内では、「ワイフ」のいない社員のことをシングルと呼んでいた。

「新人の女の子の内定出たんですか?」

「あ、ああ」

「やったあ!」

と、男性社員たち数人は、肩をたたき合って喜ぶ。

「可愛いですか?」

「あ、ああ。まあ」

と、今田がうなずくと、

「おお!」

と、社員いっそうはしゃいで、また歓声が上がった。

「今度こそワイフを作るぞ!」

今度こそ自分たちに、そんな叶わぬ期待に溢れている。


「さあ、そろそろ仕事に戻りましょう」

一人の中年の女性社員が近づいてきて、はしゃいでいる男性社員たちをじろりと睨むと、社員たちは蟻の子を散らすように自分の持ち場へ戻ってゆく。

「課長?」

その中年の女子社員、中村栄子がやさしく声をかける。

「は、はい」

今田は、負い目があるので反応が過敏になる。

「新人女性社員、採用、おめでとうございます」

栄子は、今田の頬に自分の頬を付けながら耳元で言う。

「さ、仕事仕事ぉ!」

打って変って飯場の親方のような声を栄子が挙げると、社員たちはモーレツに仕事を始めた。

もう一人の女性社員、栄子より少し若い二十代後半のグラマーで色っぽい美人の秋津陽子が今田へ近寄ってきて、今田へ熱い視線を当てる。

「・・・」

今田は、この女に見つめられるといつもどきりとしてしまう。陽子は、何も言わず自分の持ち場へ戻って行った。


       2


桃源物産営業一課には今田を含めて男性社員が8人。そのうち『ワイフ』持ちは三人だ。

ワイフの仕事は、ハズバンドのフォロー。

女子社員が男性社員のフォローとして付いている会社はたくさんあるが、ここの女子社員からの『フォロー』は行き届いている。

一般に女性は、一度でも男女の関係になると、対応ががらりと変わる。

理事長の初子は自分が女性だから、そのあたりを理解しこの制度を発案した。

「えっとー、今日は何から始めるんだっけ・・・」

「蒔田商事さんへのプレゼンの企画書よ」

「そうだった」

今田は、自分のPCの中企画書のひな形を探した。

「データと資料、メールで送っておいたわ」

栄子が顔を上げる。

「すまない、そうだ横山さんに電話入れるんだった」

「しときました。これが内容です」

陽子が書類を差し出す。

「えーと、どこのフォルダだっけ」

「それ、そこじゃなくて、そっち」


ワイフのいる男性社員はそれだけでない。

「あーちょっと疲れた」と腰に手を当てると、

「じゃあそこに寝て」

男性社員はソファに寝かされマッサージをされる。

「気持ちいい」

「寝ないでよw ちょっとやめて、あなたはしてくれなくていいのw」

こんな感じだ。


「さあ、みなさん、一息ついてくださいな」

今田のワイフの栄子がそう言い、陽子も昼食の支度を始める。

「あー疲れた」「うー」などと男性社員たちはあくびや伸びをしながら、栄子たちの回りに集まってくると、栄子はいくつもの重箱のふたを取る。中には豪華で彩りもよく、食欲をそそる料理が綺麗に並べてある。

「さあシングルの皆さんは、いつも社員食堂ばかりじゃ味気ないわ、たまには手作りのお弁当を召し上がってくださいな。あなたたちも召し上がって」

栄子がそう言うと、もう一人の今田のワイフ陽子は社員の一人一人に皿と箸を手渡す。

「私たちもいただきましょうか」

ワイフのいる男性社員も一緒になって、昼食が始まる。


「うまい」「うまいっす」まだ若い男性社員たちは本当にうまそうに料理を口に頬張り味を褒める。

栄子は若い男性社員たちの旺盛な食欲に、満足そうな笑みを浮かべる。

陽子が、「はいっ」と今田に料理の乗った皿を差し出す。

今田が口に入れ、

「うまい」

とつぶやくと、

一同はどっと笑った。


「しかし」

と、一人の男性社員が切り出す。

「課長はうらやましいなあ、こんな料理を作ってくれるワイフが社内にいるなんて、しかも五人も」

栄子、陽子以外の若いワイフ三人がにこやかに今田に寄り添う。

栄子は聞いていないように料理をとりわけ、陽子は怪しげに微笑む。

今田は、曖昧な笑みを浮かべる。

「ところで、新しい女子社員はどんな子ですか?」

「お前、またその話題かよ」

若いシングルの町田は、侵入女子社員の富士子が今田をハズバンドに指名していることをまだ知らない。


栄子は相変わらず、今田を見ないで料理を取り分けている。

「ねえ課長、どんな子なんですか、新しい女の子」

町田がしつこく尋ねる。

「・・・まあ、大人しくていい子だよ」

「よし、絶対俺のワイフにするぞ」

町田はあからさまに大きな声に出した。

「馬鹿、俺のワイフだ」

ワイフのいない若い男性社員たちが小学生のように小競り合いを始めた。

「さあさあ、食事を済ませてください、まだ仕事残ってますよ」

栄子は先生のような口調で社員をたしなめる。

社員たちは料理をほおばり、むせているのを見て、栄子は笑顔でお茶を指し出したりする。

今田が、普通に笑い、ふと陽子を見ると、陽子も今田を見ている。

しかし、その目は笑っておらず、今田を睨んでいた。


桃源物産営業一課の課長今田は、陽子のあの表情が気になっていた。そこで、

「あ、陽子、ちょっと」

と、自分のデスクへ陽子を呼び、

「これ、例の吉野商事の杉山さん宛に、簡単な書類作っておいてもらえるかなあ」

と、仕事を頼むふりをし、レストランのメニューを差し出した。


「おいしい!」

高級なレストランで、陽子は豪華な食事を今田からごちそうになり、ワインの酔いも手伝って普段よりさらに色っぽい笑顔を見せている。

「口に合ってよかったよ」

今田も、ワインをちびちびと口に付けている。夜の相手をしなくてはいけないことになりそうな雰囲気なので、酔っぱらうわけにはいかない。

陽子は色っぽく上目づかいで今田を見る。

「こんなおいしい料理ごちそうしてくださるなんて、何か、やましいことでもあるのかしら」

「何を言ってるんだよ、ワイフを食事をするのはハズバンドとして普通のことだ」

今田は陽子の心の内を読もうとするが、この美人の笑顔はなかなか素顔を見せてくれない。

「新入社員の女の子」

「え?!」」

「うちの課に配属になるのね」

「あ、ああ、そうだ」

「きれいな子? それとも、かわいい系かしら」

「・・・まあ、ふつう、だろ」

「ハズバンドには、誰がなるのかしらね」

「どうかな、彼女が決めることだから」

今田は、作り笑いをしながらワインに口を付ける。

「あなた」

「え? 」

「だったりして」

「何を(言ってるんだ)」

「あたし、聞いちゃったのよ」

「誰から、何を」

「あなた、もう、その子をワイフにするって決めてるんだってね」

「どうして、知ってるんだ」

「ワイフの情報収集能力を甘く見ないで!」

陽子はワイングラスをトン!とテーブルに音を立てて置き、今田を睨みつけた。

「いや、これにはわけがあって・・・」

すると、また、陽子はやさしい口調になり、

「私は、いいのよ」

「ほんとか?」

「でも栄子さんたちは、納得するかしら」

「・・・」

「あの人、プライド、高いから」

今田は黙り込んでいるわけにはいかなかった。

「どうだろう、その、君から話してもらうわけには・・・」

二人は少しの間、黙り込んだ。

「いいわ」

「ほんとうか!」

「その代わり、クリスマスは私と過ごしてくれます?」

「いや、今度のクリスマスは、栄子と過ごす順番だ。去年君と***の***へ行ったじゃないか、忘れたのかい?」

「覚えてるわ、素敵だった」

「だったら・・・」

「だから、今年も一緒に過ごしたいの」

「陽子・・・」

「言うことを聞いてくれないなら、その新人のこと、私了承なんかしません」

今田は、頭を抱え込んだ。


次の日、今田は同じレストランに栄子を誘った。

「栄子、実は、クリスマスのことなんだけど」

「まあ、何か考えてくれてるのね、うれしい!」

「***の***行ってみないか? きれいらしいよ」

「ほんと? うれしい」

「24日はどうだい?」

「何で? それ25日もやってるじゃない」

「いや、24日の方が空いてるし、ゆっくり楽しめるかなと思ったもんだから」

「何よ」

「ん?」

「わかった。陽子さんでしょ、陽子さんにクリスマス空けろって言われたんでしょ」

「いや、そういうわけでは」

「何? 何か弱み握られたわね? 何を隠してるの?」

頭のいい女性をワイフに持つと、こういうことになる。

今田は、二人のワイフとの関係はもう5年になるので、だいたいの性格はわかっていた。そして、嘘が隠し通せないことも。

「実は」

と、今田は富士子のことを話し出す。

「すまん。君と陽子の了承が必要だったことは、わかっていた。だが」

「だが?」

「流れで・・・」

陽子は、ワイングラスを空けた。

「で、したの?」

「いや」

「もうワイフにはしたの?」

「してない」

「うそ」

「うそじゃない」

「じゃ、何をしたのよ!」

「アルテミスでサウナに入っただけだ、一緒に。男と女がサウナに一緒に入るのは、私たち桃源グループの昔からの文化だから、そうだろう?」

「そうね」

栄子はあっさり認める。

桃源物産を含めたグループ内の社員たちは、初子の影響で、男女の混浴を浮気とか恋愛とかとはっきり切り離して考えている。

「サウナに入るぐらい、もちろん、気にしないわ。それに、ワイフを作るのは男性社員の甲斐性だから。いいわ」

「ありがとう」

「いいわ、24日で」

「ありがとう」

「その代わり、こないだのあれ、***のバッグ、あれ買うから」

「85万のあれか?」

「そうよ、やなら、その子あたし了承しない」

「わかった。君ならきっと似合うと思う、***のバッグ」

「今日買いに行きましょう?」

「今日? これから」

「そう」

「・・・」

「あたしの気持ちが、変わらないうちに」

「わかった。行こう」

ブランド品を扱う高級店で、栄子はお目当てのハンドバッグを手にし、今田は、クレジットカードで支払いをした。


次の日、陽子に25日時間を作れそうだとメールを送ると、すぐに、恐ろしい返事が返ってきた。

『プレゼントはプラダでよろしくね』




                     六通目 桃源物産株式会社 終わり

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