絞め殺す蔓

@KoumiHukorome

第1話 葬式

ㅤ火葬場の立ち上る煙を見上げ、三十も終わりの田中遼治は、煙になった故人──比嘉明照という少し歳上の同期──が優しい男であったことを思い起こしていた。

ㅤ長く直接の付き合いは無かったが、七年前までは同じ職場で励まし合い、遼治が結婚するまでは知人夫婦の夕食の席に呼ばれることもあった。

ㅤだが、比嘉夫婦の間に子供ができ、更に遼治が遅まきながら伴侶を得たことを切っ掛けに、ばらばらの課へと別れ、しばらくは年賀状や電話でのやり取りが続くまでであった。

ㅤ他殺。そう聞かされた時には耳を疑った。

ㅤ後輩の面倒見もよく、同期にも気配りを忘れず、上司の期待にも応えようと努力を惜しまない男だった。

ㅤ警察も関係者の犯行とは見なしていないと聞いた。

ㅤ何も盗まれたものが無い点が不明だが、強盗による行きずりの殺人ではないかと、男の家に聞き込みに来た刑事はそう説明していた。

ㅤ何故、彼は殺されてしまったのだろう。

ㅤ疑問が立ち上がる煙に引きずり出され、遼治はただ胸の悪いものを気管に引っ掛けて、知人の末路を見上げている。

ㅤ葬式となって久々に再会したかの比嘉明照の妻は、一気にやつれた頬と落窪んだ眼で参列者の腹ばかりを項垂れるように倒した頭の影から見つめ、六歳になる彼らの息子の手を握っていたことを思い出す。

ㅤ母親の手をしっかりと握り返し、まるで支えようと小さな両脚を踏ん張っている幼子は顔立ちこそ母親に似た細面だったが、小ぶりのどんぐりに似た優しげな眼は父親にそっくりだった。

ㅤ遅い結婚だったからか。まだ子供の居ないことを嘆く自らの妻のことを想い、遼治は空に溶け込んでいく友人を見上げながら胸を痛めた。

ㅤ男が死ねば、妻には手を握ってやる子が居ないのだと。妻が死ねば、遼治は誰の手を握ってやれば良いのだろうと。

ㅤ物悲しい塩辛さが胸中に満ち、固まりかけた首をようやく下げて遼治は眼の前に子供が立っていることに気づいた。

ㅤ細面の顔に付いた小ぶりのどんぐりが、遼治を見つめている。

ㅤ比嘉の息子が母親の元を離れ、何故こんな所に来てしまっているのだろうと訝しんだ遼治は、どうしたのかと優しく問いかけようとして、高い鈴の声に遮られた。

「しめころしのき、ってしってる?」

「しめころしの、何だって?」

ㅤまだ小学生にも上がらない子供は身振り手振りを混じえて、見覚えの無いであろう初めて葬式で会ったばかりの男に説明を始める。

ㅤ花が咲いてる草も、大人の背丈まで育った木でも。細い草が巻き付いていき、やがて木のように硬くなったそれは絡み付いた植物を枯らしてしまう。

ㅤその話を聞きながら、遼治は薄気味悪い感情が芽生えた。

ㅤ知人は──比嘉明照は絞殺体で発見されたのだ。

ㅤ友人と同じ眼をした幼子が、父親の死因を理解し得ているように感じられる。

ㅤみるみる顔を強ばらせる遼治に、説明を終えた子供は少しの間を無言で見上げ、保育園に行くのを嫌がるかのような口調で尖らせた唇を引き結んだ。

「ぱぱがね、かれちゃったから。ままもかれちゃうの。だからぼくにのっけてままをげんきにするんだ」

「パパの代わりに、お母さんの傍にいてあげるってことかい」

「ううん。しめころしのきがね、しめころしたらじぶんがかれちゃうから。べつのきに、しめころしのきをのせないと」

ㅤままがしめころしのきなんだ。

ㅤ彼処にあるよ、と小さな指が指した方向に振り返る。

ㅤ小さなタイワンレンギョの木に、ヤブカラシの仲間だろう。つる科の植物が巻き付いている。

ㅤ遼治は名前までは知ることの無いその植物を呆然と眺め、やがて思い出したように慌てて明照の子供へと顔を向けた。

ㅤ小さな眼はじっと何かを尋ねたそうに遼治を見上げていたが、不意に母親の嗚咽を聞いたのだろう。どんぐりの眼は後ろを振り返る。

ㅤその視線の先、離れた場所で恐らくは家族であろう老女に支えられて、やつれた女が慟哭している。

ㅤその女に寄り添った小さな手は、縋るものを探す母親の手を確かに握ったのを、遼治は見ていた。


ㅤそれからひと月もかからず、比嘉明照の妻が夫と子供を殺した罪で逮捕されたというニュースを、遼治は出勤前のテレビ視聴で知った。

ㅤ精神を病んでいた明照の妻は、両手から自らの肉体が植物になっていき、その手が二人を殺したと答えたのだと淡々としたニュースキャスターの声が説明する。

ㅤ更にそれから一週間も持たず、発狂し衰弱した明照の妻が病院で死亡したことがニュースで取り上げられた。

ㅤ死んだというニュースに苦い感情が吐き気をもよおして、遼治はニュースを見た日にわざわざ遠回りをして火葬場に足を向けた。

ㅤ火葬場には火は無いのか。あの日とは違い、死んだ者が煙となって空に伸びてはいない。

ㅤしかしそれでも寂しげなタイワンレンギョの囲いが茂る建物の周りを、何の未練があったのか遼治はぐるりと回った。

ㅤだから見つけてしまったのだろう。その鮮やかな黄緑の塀の一部は不自然な程に枯れていて遼治の眼を引いた。

ㅤ近寄ってよくよく観察したそれが、比嘉明照の葬式でまだ健気に母親の手を握り生きていた子供が、絞め殺しの木だと指さしたその一群だったのだと息を呑む。

ㅤ枯れたタイワンレンギョの木には、子供からすれば木のように茎を硬くしたヤブカラシの蔓が、離れたくないと懸命に縋っているような姿で巻き付いて、そして己自身も縋るものを殺し失って茶色く枯れていた。





ㅤ葬式・終

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