思い立ったが短編
元直毛
良い夜
夜道を歩きながら、程よく冷めた肉まんを齧る。
久しぶりに食べたそれは記憶より美味しくはなく、しかし最後の晩餐としては悪くないと思えた。
昔好きだった人が結婚した。
文字にすればたったそれだけの事。
何年も放置していたSNSになんとなしにログインしたら、結婚式の画像が並んでいた。
そこに写るみんなの顔は幸せそうで、相手の男性は知らない誰かだった。
その時に決定的な何かが切れた気がした。
別にその女性を未だ好きだったわけじゃないし、彼女が結婚したことは素直に祝福できた。
でも確実に自分の中の何かが終わった。
そこから衝動的に家を飛び出し、こうして夜道を歩いている。
肉まんを食べ切り包み紙をビニール袋に入れてポケットに突っ込むと、ちょうど目的地に着いた。
この廃ビルに昔おもちゃ屋が入っていて、頻繁に通っていた。
取って付けた立入禁止のロープを無視して、軋む階段を上る。
ここの屋上は誰でも入れる。よく遊び場にしてたけど、いつの間にか不良の足り場になってしまって、近寄らなくなった。
階段を上り切って、ふぅ、と一息つく。
運動不足には7階すら重労働だ。
人が居る。
暗くて一瞬気がつかなかったが、フェンスに寄りかかって座る人影があった。
不良か、はたまた浮浪者か。どちらにせよ人が居ては目的は達せない。
まだ候補があっただろうか、と考えつつ階段を降りようとすると。
「こんばんは」
と声を掛けられた。
少し面倒だなと思いつつ、こんばんはと返す。
声を出すのは久しぶりだった。
「良い夜ですね」
どうやら相手は会話を続けるつもりらしい。
改めて見上げれば月も見えない濁った曇り空が広がっていた。
目的を考えれば確かに良い夜と言えなくもない。
「そうですね」
返しつつ人影に近寄る。なんとなく、こんな夜なら見知らぬ誰かと話すのも悪くないと思えた。
「どうしてここに?」
聞きながら少し遠いフェンスに寄りかかる。ギシッと耳障りの悪い音がした。
「さぁ。意外と、あなたと同じ目的かもしれませんよ」
と感情の籠ってないような声で答える彼。
「まさか。まぁでも、こんな夜ですからね。可能性は0じゃないかも」
「でしょう?可能性は無限ですから」
だけど、と彼は続ける。
「可能性だけじゃ無意味なんですよね。結局。こうかもしれない、ああかもしれない、あれをしていれば、していなければ。そうやって考えたところで何も変わらないんですよ」
その通りだと思う。いくら杞憂したとして結果は結果でしかないし、いくら過去を悔いたとしても結果は結果だ。
「可能性に縛られて身動きが取れなくなったら、何もかもに置いて行かれてしまう。可能性は人を殺す。そうは思いませんか?」
微塵も感情のない、投げやりにも思える声でそう尋ねられた俺は少し唸った。
「一部の人にはそうかもしれません。ですが『可能性』を『夢』に置き換えれば、それで生きていられる人も居ると思います」
「夢ですか。物は言い様ですね」
そう返され、しばし沈黙する。気まずく思い出した時、彼が口を開いた。
「あなたには夢、あったんですか?」
「ありましたよ。今考えると恥ずかしいですけどね」
「そうですか。羨ましい」
「なかったんですか?」
「ありましたし、叶いましたよ」
「叶ったんですか?良かったじゃないですか」
「そうでもありません」
そこから、彼は堰を切ったように話し出した。
彼の夢は母親と暮らすことだった。物心付く前に死別し、父親と二人で暮らしていた。
他の子には居る母親がなぜ自分には居ないのかと常々考えていた。それが原因で弄られることもあった。しかしそれは父親には言えず、ただ夢見る日々だった。
父親が再婚したのは、彼が10の歳になる頃。母親という存在と暮らせる、と彼は喜んだ。
しかし現実は非情だった。
義母は彼を愛さなかった。世話はしてくれたが、愛はなかった。どこまでいっても父親の添え物として扱われた。
夢に見た母親はこんなものだったのだろうかと落胆した。
そして16の時、妹ができた。それを境に、父親すらも態度を変えた。
それから彼は高校卒業と共に家を出た。
バイトを転々としながら暮らし、今に至るという。
「だから僕、夢は嫌いなんです」
そう言う彼に、俺は何も言えなかった。
「今日もバイトを辞めたので、なんか全部どうでもよくなって、なんとなくここに来てみたんです」
「そうなんですか」
「あなたは?どうしてここに?」
「俺は……」
「僕の恥ずかしい話聞いたんですから、話してくださいよ」
一方的に話をされた身としては納得いかないが、話すことにした。
放置してたSNSにログインしてみたら、昔好きだった女性の結婚式の画像が並んでいて、それを見たらここに来たくなった。
我ながらあほらしい理由である。
他にも無職だとか、貯金が尽きたとかいろいろあるが、結局の原因といえばそれになる。
「失恋ですか?」
「いや、別にもう好きなわけじゃないですよ。高校の時の話ですから」
「なら、他に理由がありますね」
断定されてしまったが、その通りだ。しかし答える気にはなれない。
「飛び降りでもする気でしたか?」
図星を突かれ、息を呑む。後ろめたい気持ちがあるからだ。
沈黙は肯定ですよ、と言う彼に俺は何も返せない。
暗闇に慣れた目で彼の顔を見る。見知らぬその顔は、なんとなく、鏡を見ているようだった。
ふっ、と彼が笑う。
「それじゃあ、やっぱり同じ目的でしたね」
「そう、なんですか?」
「ええ、まぁ。この辺じゃここくらいしかありませんから」
「お邪魔しちゃいましたかね」
「お互い様でしょう?」
軽く笑いあう。
それで、と彼は続けた。
「まだそのつもりはありますか?」
少し間をおいて。
「あります」
と俺は答える。
「じゃあ一緒にどうですか?奇妙ですが、これも縁でしょう」
「流石に後から行くのは気まずいですし、そうしましょうか」
「せーの、でどうです?」
「いいですね」
手を差し伸べ、立ち上がらせる。
彼の手は意外に暖かかった。
フェンスを登る。網目に靴先を入れる感覚が懐かしい。
淵に立つと風を感じた。1月の夜は冷える。
下を見ると足が竦んだ。下に見えるアスファルトはいつもよりずっと黒かった。
「いきますか」
横を見ると、名も知らぬ彼が手を差し伸べていた。
「いきましょうか」
俺はその手を掴み、ぎゅっと握る。
彼の手の暖かさが頼もしかった。
ふーっ、と息を吐きながら天を仰ぐ。
良い夜だ。そう思った。
「「せーのっ」」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます