第28話 やっと会えたね

 目を覚ましたビィティは天井がキラキラと輝いて幻想的な風景を作っていたせいで一瞬死んで天国にでもきたのかと勘違いをする。

 何より空気が暖かいのだ。それに接触する温もりが冷えた自分の身体を温めていたことに血の巡りが悪くなってた頭が追いつかなかったのだ。

その温もりの正体はアンジュだった。彼女は皮の敷物でビィティと自分を包み込み彼の冷え切った身体を体温で温めていたのだ。


「ビィティ、目が覚めた?」

 ビィティが目を覚ましたことにアンジュは破顔をして喜ぶ。

『あるじぃ!』

『ごちゅじんちゃま!』

 そう叫んだのは二体の見たことがない魚の精霊と鳥の精霊だった。

 その姿はまるでアニメやゲームの世界から飛び出したような見た目をしていた。

 だが、ビィティにはその二体の精霊がベルリとクリンなのはすぐにわかった。


「なんで、二人とも、そんな姿に……」

『そんなことよりあるじぃが生きてくれててオレは嬉しいよ』

『絶対に離れないでちゅ』

 ベルリとクリンがクルクルとビィティの頭の上を回り目が覚めたことを喜ぶ。

 数周ビィティの周りをまわると二体の精霊の姿は元のリアルな魚と鳥の姿に戻った。


「なにが、起こっているんだ?」


 アンジュはそれよりもとビィティの体の状態を確認する。

「低体温症で身体が氷のように冷たかったんだよ。身体は動く?」

「う、ごかない……」

 アンジュは腕を動かそうとするビィティの手をそっと握り、手をギュッと握り息を当てて温める。


「末端よりも身体の芯を優先しないといけなかったから」

 その言葉にビィティは頷く。末端を急激に温めると冷たい血液が冷え切った心臓をさら冷やしショック死することもあるからだ。

 そう言えばと背中の痛みがないことにビィティは気がつく。それをアンジュに聞くと倒れてすぐにベルリが回復してくれたとのだと言う。ベルリにお礼を言うと起き上がろうとするがビィティは身体をガクガク震わせ起き上がることができなかった。まだ十分に温まっていないのだ。


 ビィティは火をつけようとバッグを探したがすでに焚き火があることに今更気がつく。アンジュが薪に火をつけることができたことに彼は驚いた。


「火を着けられたんだね」


「うん、クリンちゃんとベルリちゃんに協力してもらったの、それとビィティのアイテムバックから色々拝借したからね」

 よく見るとアイテムバックから、すべてのアイテムが放出されて端に山積みにされていた。

 アイテムバッグに気がついたことにも驚いたが、何よりクリンがアンジュの言うことを聞いたことにビィティは驚きを隠せなかった。


「なんで、二人が、アンジュの言うことを、聞いたんだ?」

 動かない口をなんとか動かしアンジュに聞くが、彼女にとってそんなことはビィティの命よりも優先順位が低いのであとで説明するからと言うと酒の瓶を取り出した。


「口移しで少し身体にお酒入れるわね」

「まて、自分で飲む」


「恥ずかしがらないの人命救助なんだから」

「ちが、俺には好きな人が――-」

 アンジュはビィティの話を最後まで聞かないで瓶から直接ブランデーを口に含み、口腔内へと酒を流し込む。

 柔らかい唇がビィティの冷えきった唇を暖める。

 ゆっくりと流し込まれる酒を味わう余裕もなく、ビィティは喉を動かし身体の中へと酒を導く。


 師匠のとっておきなのにとブランデーのラベルを見てアンジュに口移しで飲まされていることを救命措置だからと深く考えないようにした。


 飲み終わるとビィティはそっぽを向く。


「ビィティ、私を拒絶しないで」


「……拒絶はしてない、ただ、頑張れば自分で飲めたと思う。いや、ちがうな。……ごめん、ありがとう」

 これほど献身的に尽くすアンジュが、本当に痴漢冤罪で人を罪に陥れるだろうかと疑問がわき出る。もしかしたら本当に痴漢にはあっていて挙動不審な自分を犯人だと勘違いしたのかもしれないと。

 ビィティは意を決して、その事を聞くことにした。


杏子アンジュは死んだとき、本当に痴漢被害にあったのか?」


「ん? 違う違う。私はね痴漢にされそうになってた彼がホームに落ちるのを助けたときに助けきれずにそのままホームから落ちちゃって、そのまま電車に轢かれて死んじゃったのよ」


「え、助けた方?」


「そうだよ。だって私はいつもあの人を見てたし、それ以前に絶対痴漢なんかする人じゃないの知ってるから」

 ビィティの心臓の鼓動が高鳴る。さっきまで被害者だと思っていたのに、自分が今度は加害者になったからだ。

 杏子アンジュは冤罪を作り上げた方の女性じゃなく自分を助けようとした女性で、その助けようとした手を掴まなければ杏子アンジュは死ななかったんだと頭の中で自分を責める声が渦巻く。


 杏子アンジュ明人ビィティが殺したのだ。


「どうしたの?」


「すまない……、俺だ。俺が杏子アンジュを殺したんだ」


「……」


「あのとき、君の手を引いたのは俺なんだよ」


「やっぱり、あなたがそうだったんだ。明人あきとさん……。やっと会えたね」

 そう言うとアンジュはビィティを抱き締めた。

 杏子アンジュ明人ビィティを生前から知っていた。そしてビィティを見たとき明人あきとだと直感がささや いていたのだ。だからこそアンジュはビィティに惹かれたのだった。


「アンジュ?」

 抱きつき涙を浮かべて嗚咽さえ漏らすアンジュを見てビィティは戸惑う。


「会いたかった明人さん」


「……俺は、君を、知らない」


「……」


 電車に轢かれて死ぬ遥かな前の日だった。杏子は都内に通うOLで、その日は帰りが遅くなりすっかり日が沈んでしまった。

 都内に住むには都心は家賃が高すぎるので杏子は郊外にアパートを借りていた。

 暗い夜道を歩いていると後ろから挙動不審な男が着いてきた杏子は少し怯えたが、歩きスマホをしながら歩いている男の顔はスマホの明かりが照らしていて、その顔は悪人に見えなかったので杏子は安心して夜道を歩いた。

 道を一台の車のライトがハイビームで照らしていた。


 これだけ明るければ怖くないのになと思った瞬間、杏子の横にそのハイビームをしていた一台のハイエースが止まり横の扉が開いた。


 何が起こったのかわからなかった。二人の男に羽交い締めにされ杏子は車の中へと押し込められそうになった。

 抵抗など無意味だった。

 一人の男は二メートルはあるだろうと言う大男でタンクトップから見える筋骨粒々の身体はとても女の細腕で叶う相手じゃなかった。

 諦めかけたその瞬間、大男に体当たりをして私を助けようとしてくれる人が現れた。先程杏子の後ろを歩いていた男だ。


 その男は杏子に逃げろと叫ぶが杏子は腰が抜けて立てなくなっていた。

 助けに入ってくれた男の人の顔面を大男は幾度となく容赦なく殴った。

 その度に男の人の顔が鈍い音を立てて変形していくのがわかったが男の人は絶対に大男を離さなかった。

 杏子は我に返り叫んだ。

 声の続く限り叫んだ。郊外と言っても家は普通にある。次々に住民が飛びだしてくるのを見た暴漢達は大男を残し車を発車させ逃げた。

 大男は殴られても離さなかった男のおかげで住民でも簡単に取り押さえられた。大男は住民達により警察に引き渡された。


 大男はその暴漢のリーダーだったらしく仲間は芋づる式に捕まった。

 杏子を助けた男性は意識不明の重体になり生死を彷徨った。


 それから三ヶ月後意識を取り戻した男性は杏子との面会を拒否した。

 今の自分の顔を見たら負い目を感じてしまうからと理由で。元々不細工ですから負い目を持たれても困るんですよと彼は笑っていたと杏子は警察から聞いた。


 杏子は会ってお礼をしたいと警察に懇願したが今は個人情報保護の名目で相手の許可がないと一般の人は会うことができないと断られた。

 だけど名前だけは新聞で知ることができた。


 成瀬明人なるせあきと、それが杏子を助けた男の名前だった。


 杏子はそれを頼りに成瀬明人を探した。住んでいる地域はさほど違わないと分かっていたので三ヶ月ほどで探すことができた。

 だけど、その顔を見て杏子は言葉を失った。

 事件から六ヶ月も経つと言うのに右目には眼帯をしており顔は左右非対称で前歯は完全に無くなっていた。


 杏子はその姿を見たとき声がかけられなくなった『負い目を感じるから』その意味がようやくわかったのだ。


 それから杏子は明人を何ヵ月も見ていた、お礼を言うために、そしてできることなら付き合ってほしいと言うために。

 杏子は自分を助けるために命を懸けてくれた明人を好きになっていた。

 自分の顔を子供達に馬鹿にされても明るく笑う明人を好きになってしまったのだ。

 だけど、告白をしても同情や負い目だと思われてしまうのはわかっていた。

 だから杏子は声をかけられなかった。

 勇気がでなかった、拒絶されることへの恐怖から。


 何日も、何ヵ月も。


 そして運命のあの日が来た。明人が痴漢にされていたのだ。明人を見ていた杏子には分かっていた明人がそんなことをしてないことを。


 杏子は勇気を出した。勇気を振り絞って明人を助けようとした。


 だが結果は……。


 

 あの事件の日、暗闇の中でビィティが自分の顔を覚えてないのは当然だとアンジュは思った。

 だからアンジュは事件のことをビィティには言わなかった。負い目で愛してると思われないように。生まれ変わった今、ビィティに当時の傷はない。


 だからこそ言わなかった。


 会いたかったと言ったのは自分がこの世界に来ているのだからきっと明人も来ているはずだと思ったから。

 泣いたのは手を差し伸べ掴んだのに助けられなかったから。

 名前を知っていたことについては新聞にも載った事件だったから知っていたと言えばビィティはそれだけで信じた。


「私の勇気は空回りの勇気だから……」

 アンジュはポツリとビィティの胸の中で呟いた。




 


 

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