第2話 間違えメールから

 花曇りといえば聞こえはいいが、悪くいえば不機嫌そうな天気だ。せっかくの花見だというのに、今朝雨が降ったせいで、地面が荒れに荒れている。

 皆考えることは同じく、無料で借りられる施設も混み合っている。窓際の席に腰を下ろし、各々持参したお菓子を広げた。近藤さんは手作りクッキー、中野君はナッツ入りチョコレート、青柳君は塩煎餅、僕はどら焼きだ。

「これって中身はあんこ?」

「近藤さんが苦手だって聞いたんで、中身を変えました」

 割ってみせると、チョコレートクリームが入っている。

「柊が作ったの?」

「はい。お店には出していないものですけど、どうかなあって」

「お前の家って和菓子屋だっけか」

 青柳君はどら焼きを一気に平らげ、美味いと一言漏らした。

 どら焼き一つにしても、いろんな味を作ってはいる。店主が首を縦に振らないだけで。いつかは僕の作ったものが店に並ぶと嬉しい。夢の一つだ。そのためには、まずは琥珀糖を完成させないと。

──柊さんへ。桜をイメージしたものはいかがでしょう。淡い色で、よく祖母と庭で花見をしたことを思い出します。相澤賢。

 タイミング良く、相澤さんからメールが届いた。初めての写真つきだ。満開の桜の花だが、天気があまりよろしくない。

「誰とメール?」

「あの、お客さんと」

「お客さん?」

「あれ……またメールが来た」

 題名も本文もない。またもや写真が貼り付けられているが、開いた途端に小さな悲鳴を上げてしまった。

 相澤賢さんご本人だろうか。メールの文面とはだいぶ異なる、イメージしづらい人が写っている。茶髪で眉毛も髪と同じ色、口元には過去に開けたであろう跡が残り、中指を立てている。続けてメールが来た。

──ごめん! 今のメールは同僚です! 気にしないで下さい!

──びっくりしましたけれど、大丈夫です。気にしておりませんよ。

 私生活が覗いた。どんな仕事をしているのか、少し興味が沸いてくる。

──ありがとうございます。職場の人と花見をしていて、酔った同僚が俺のスマホで撮っていたんです。本当にごめんなさい。

──お花見の最中でしたか。実はこちらも、花見をしております。何か琥珀糖を作るヒントになるものはないかと、考えておりました。湖も見てみたのですが、あいにくお色があまりよろしくありませんでした。参考になるものといえば、やはり桜色ですね。天気が悪くても、美しいです。

「あっ」

 送ってから気づいた。仕事用のアドレスからではなく、私用のアドレスから送ってしまった。慌ててメールを打つ。

──ごめんなさい! こちらも間違えて、プライベート用のアドレスから送ってしまいました。柊和菓子店です。大変失礼致しました。

 顔を上げると、近藤さんが含み笑いをして、端末を指差した。

「もしかして……彼女いたの?」

 彼女。たった二文字でも、僕にとっては荷の重すぎる言葉だ。近藤さんは何も悪くない。

「いないよ」

 そう返すのが精一杯だ。実際いないのだから、嘘を吐いたわけでもない。なんとか空気を変えたくて、近藤さんお手製のクッキーを頬張った。

「美味しい。あんまり甘くなくて、オレンジピールが入ってる」

「初めて作ったのよ。どら焼きは全部、柊が作ったの?」

「まさか、中のチョコクリームだけです。皮の部分はおばあちゃんが」

「焼き方にもコツがあるんだろうね」

「僕も作ったんですけど、お手本のようにムラが出来ました」

「俺さ、ブログアップしたことねえけど、何でもいいの?」

 青柳君は、先ほど送られてきた写真の彼と似ている。主に髪の毛が逆立ったところが。

「基本的には甘いものだけど、別に何でもいいわよ」

「よし、ラーメンなら任せろ」

「青柳ってラーメンとか牛丼好きそう」

「人を見た目で決めつけるなよ! 好きだけど」

 メールが届いた。相澤さんだ。家族よりも連絡を取り合う仲になっているのは、ちょっと可笑しい。

──プライベート用のアドレスで構いません。送りやすい方で送って下さい。こちらも湖が見えていますが、濁っていますね。綺麗な澄んだ水とは、なかなか縁がないようです。

 添付された写真は、見たことがある白鳥のボートが湖に浮かんでいる。

「近藤さん、白鳥のボートに乗れる場所って、上野以外にありましたっけ?」

「……あったっけ?」

「検索してみましょうか」

 パソコン持参の中野君がすぐに調べてくれた。練馬区や江戸川区、都内だけでもそこそこある。ここにくるまでに僕が撮った風景と似ていたが、まさか同じ場所にいるなんて、さすがに偶然すぎる。

「なに? ボート乗りたいの?」

「ちょっと気になっただけです」

 お菓子を食べ終え、そろそろお開きにしようと近藤さんが立ち上がる。皆で片づけをして、現地解散となった。お菓子の写真は結局あまり撮らなかったが、近藤さんが何枚も撮っていたので問題ないだろう。

 帰り道、家が近くなると、スパイシーな匂いが漂ってくる。近所にはほとんど家がなく、間違いなく僕の家からの香りだ。

 居間では、祖母がカレーを作っていた。

「外までカレーの匂いがすごいよ。美味しそう」

「おやおや、もっと遅くなるかと思ったよ」

「寄り道しないでまっすぐ帰ってきた。囲炉裏でカレーを作るっていいね」

 まさか囲炉裏も、カレーを作る場になるとは思ってもみないだろう。インドと日本の文化の融合だ。

 祖母の作るカレーは、とにかく具が大きい。中まで火がしっかり通るように長時間煮るので、玉ねぎがくたくたになっている。そして甘みが強い。学校給食のカレーみたい。

「そういや……今日、相澤さんから電話が来たんよ」

「え?」

「藍によろしく伝えてほしいそうよ」

「ま、待って、いつ来たの?」

「んー…………藍が来る前。琥珀糖をどうかお願いしますって」

「何か言った?」

「藍は頑張り屋さんだから、任せてほしいと言って切ったよ」

 あとでメールをするべきだ。不安に思って、電話をくれたのかもしれない。

 夕食の後は、古い図鑑を開き、何点か写真を撮った。思いつきでしかないが、参考になればと、添付してメールを開いた。

──相澤様、本日は当店にお電話を下さったようで、ご心配をおかけしました。全力で取り組みたいと思います。写真はご覧になれますか? 図鑑から抜粋したものですが、季節の花の色を琥珀糖にし、作るというのはいかかでしょう。

 返事はすぐに来た。

──大学に通いながらお店の手伝いもしてくれていると、あなたのおばあさまから聞きました。とても自慢の孫のようで、頑張り屋で可愛くてたまらないと話されていましたよ。心配だから電話をかけたわけではなく、お忙しい中で申し訳ないと思ったからです。写真を拝見しましたが、とても良い色です。季節の花というのが、心にきました。

「なんて話をしたのおばあちゃん……」

 祖母に悪気はない。ただ、ちょっと孫命ってだけで。親からももらえていない愛情の分は、祖母がしっかりと注いでくれている。

 誰かから電話がかかってきた。相澤さんかと思ったが、祖母の声のトーンで分かる。もう一人の孫で、僕の弟である蓮。僕とはすこぶる仲が悪い。元々は良かったが、悪くなったのは僕のせいで、家族が崩壊したのも僕のせい。背中の痛みは、弟から受けた罰だ。これからも降りかかるだろうけれど、僕はすべて受け入れるつもりだ。それくらいの罰は受けなくてはならない。それだけのことをしてしまったのだから。

 蓮と話す祖母は、あやふやに言葉を濁して視線がさ迷う。無理もない。どぎつい言葉で罵声を浴び続けられれば、心だって痛みを追う。

 電話が終わった頃合いを見て、そっと襖を開けた。

「おばあちゃん……いつもごめん」

「いいのよ。部屋に戻って、勉強しなさい」

「うん…………」

 祖母の笑顔を見るととても辛い。太陽以上の輝きを放っていても、今は目を逸らしたくなる。

 机に置いたままの端末には、相澤さんからメールが届いていた。

──柊さんは、弟さんや妹さんはいらっしゃるんですか? おばあさまが、下にも孫がいると仰っていました。

 なんだか顧客と店員の枠組みを軽く越えすぎな気もする。それでもあちらからの質問だし、少しくらいは問題ないだろう。適時の話題だ。

──はい、います。あまり仲良くはありませんが、弟が一人います。

──お姉さんだったんですね。家庭の事情は分からずとも、上の立場は分かります。辛いこともあるでしょう。勉強も頑張って下さいね。

 首を傾げ、一度離した画面にまた目を向ける。どういうことだ。お姉さんとは。

「あっ……」

 これはあれだ。相澤さんは完全に勘違いをしている。相澤さんの認識では、姉弟だ。正しくは、兄弟。

 今までやりとりをしたメールを見てみると、確かに誤解を生む内容も多々あった。一人称は普段『僕』でも、メールでは『私』を使用している。そして祖母は彼に、藍は頑張り屋だと告げている。第一、藍という名前は女性に多い名だ。電話越しでわざわざ性別は告げないだろうし、間違いが生まれても仕方ない。

 まあいいか、と楽天的に考えることにした。どうせ会って渡すのだし、実は男ですと告げればいい。何も問題はないはず。

 大丈夫、大丈夫と思えば思うほど、端末の画面から目を伏せたくなった。

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