第七十三話


 夜も明けきらぬ彼は誰時。

 莉桜達は木戸率いる討伐軍に先導され、名古屋戦線を出発した。

 かつて、帝都へ上る際に通された東海道を辿り、海沿いに進む。

 空が白け、海から朝日が上る頃、視界に映り込んだのは、かつて人の営みがあった事を思わせる痕跡の数々だった。

 前方を討伐軍。後方を軍警、執行人の連合軍に護られた黒い屋根付きの重厚な馬車に揺られて進みながら、莉桜と雪那は車窓の外に広がる世界をその目に焼き付けた。

「...一体、どれ程の人が、故郷を追われたんやろね...」

 眉根を寄せ、莉桜は思わず唇を噛み締めた。

「そうだね...きっと、考えも出来なかっただろうね...」

 十五年前、突然起こった大災厄。

 それは、最初はただの天災に思えたかもしれない。

 生まれた土地を離れるのは、一時の事だと。直ぐ、元の生活に戻れるだろうと。

「まるで、時が止まったようですね」

 車窓から外界を覗き、猛は徐に自身の感じた事を呟いた。

「何もなくなった訳じゃないのに...ここに住んでいた人達はずっと戻れていないんだね...」

 かつて、集落であったと思われる場所の中を通りながら、雨は眉を八の字に垂らした。

「この現状はここだけではありません。世界中、何処にでもある風景ですよ...俺の国の隣、仏蘭西王国だって...あの大英帝国だって...」

 自身が今まで見聞きした旅の中での光景を悠生は淡々と語る。

 日ノ本だけではない。

 この戦いは、今尚怪夷や死の灰に苦しむ世界の人々を救う最初の一歩だ。

 多くの地が、ある日起こった実験の失敗で汚染され、多くの人々が故郷を失った。

 その引き金を引いてしまった雪那は、胸元を握り、言い知れぬ緊張に肩を震わせた。

「けじめを付けに行くみたいだね...」

「そりゃ、そうでしょ」

 雪那の心境を知ってか知らずか、莉桜はさらりとそれを肯定する。

 彼女の言葉には、普段鈍い猛ですら驚いて目を見張った。

「り、莉桜さん今のは」

「誰が悪いかなんて決まっとるやん。メルクリウスとかいうペテン師のせいでしょ。でも、私と雪那が陰陽の鍵を宿して生まれた事が宿命なら、ケリを付けられるのは私達だけって事だし。というか、雪那も私もある意味巻き込まれただけでしょう。一発ぶん殴るくらいの意気込みでいいのよ」

 拳を握り、雪那の肩を強く叩き、莉桜は力説する。

 真っ直ぐに雪那を見つめるその瞳には、五年前、故郷や家族を襲った者の、復讐を誓って逢坂への旅立ちを決めた時の暗い色は、既に欠片すら残っていない。

 名古屋に旅立つ前、故郷の地を訪れた事が莉桜を変えた。

 それは、彼女の中にある本来の性質を呼び覚ますきっかけになった。

 太陽の如く、力強いその眼差しに雪那は口を半開きにして肩を竦めた。

「全く...敵わないな...君にはさ」

「うじうじしてる雪那が悪いんやよ。もう迷ったり悩んだりする時間は過ぎてる。このまま突き進むしかないよ」

 自信満々に胸を張る莉桜に、猛や悠生は苦笑した。

 ガコンと、車輪の揺れる音を聞きながら、馬車は進む。

 やがて、前方の方から銃声が轟き、怪夷と遭遇したのが伝わって来た。

「いよいよだね...」

 注意深く馬車の外を観察し、狙撃手たる雨が呟く。

 ここから先は、本当に怪夷が蔓延る未知の世界。

 十五年、打ち捨てられた悪鬼蠢く地獄への行軍。

 名古屋から箱根の手前の三島までの道程は、三日を要した。




 荒廃したかつての宿場町で解放軍は野営を行う事になった。

 この三島から先は、木戸が率いて来た討伐軍の一軍意外は別れる事になっていた。

「ここから先は、私は行けないが、君達の健闘を祈っているよ」

「ありがとうございます」

 別れの朝、木戸は雪那と握手を交わした。

「そうだ、役に立つかは分からないが、寛永寺には、魔を祓う破魔矢が収められているという話だ。もし見つけられたら、ご利益があるかも知れないよ。他にも、使えそうな物があるかもしれない」

 思わぬ木戸の助言に、雪那は目を円くした。普通なら、寺の物を無断で持ち出すなど、罰当たり極まりないのだが。

「そもそも、護られるべき江戸を護る為なら、きっと天海僧正も文句はないだろう...」

 雪那の疑問にまるで答えるように、木戸は口端を吊り上げる。

「木戸さんって、意外と不真面目なんですね」

「あの高杉と坂本と青春を過ごしているからな。それなりに素質はあると思うよ」

 本人達の前では言いたくないが、と付け加えた木戸に、雪那はつられて笑った。

「大丈夫ですよ。僕達には色んな加護がついてますから」

「違いない」

 敬礼を交わし、木戸は朝日の中、更に東へ進んでいく一団を見送る。

「さて、この場を護るのは、我々の仕事だ」 

 腰に携えた軍刀を抜き放ち、木戸は、背後を振り返る。

 再び解放軍を迎えるまで、彼等はこの場を護る役目があった。

 もし万一何かあった時の連絡役としても。

 じわじわと周りに集まりだす怪夷の群れに、木戸とその部下達は鋭い視線を向ける。

「さあ、これを最後の戦にする為に、各々持久戦だ」

 鬨の声が上がるのを、先へ進んだ莉桜達は後方に聞いた。



 およそ十五年前まで、箱根の関所と言えば、最も厳しい関所の一つと謳われていた。

 だが、そこは、今や怪夷の巣窟と化していた。

「おらおら」

 銀色にしなる鞭の刃が、怪夷を数匹纏めて切り裂き、霧散させる。

 各事務所から募られた執行人達の一団が、箱根の山を根城にする怪夷達を次々に倒していく。

銀に近い刃が、あちらこちらで閃き、その刃に切り裂かれた怪夷達は、次々とその姿を消して行く。

 野良として、ただその場に発生した怪夷を退治するのは、逢坂の街で数多の強敵を相手にしてきた執行人や軍警には朝飯前だった。

 この闘いの為に、奥出雲の刀工の技を引き継いだ職人達が怪夷討伐の武器を拵えた。

 聖剣と同等とはいかなくとも、今、彼等が使うその刃は、怪夷を屠るには十分な力を発揮していた。

 太陽の力が強い正午前後を選んだ事も功を奏した。

 日の光の下では、例え死の灰が空を覆っていても、怪夷の力は通常より弱くなっている。

 三島で野営をしたのも、これを考えての事だった。

「てめえ等っ気抜くんじゃねえぞ!」

 執行人の一団を率いる芦屋道尊の号令が響き渡る。

 彼に率いられた若手の執行人達は、声を上げて怪夷の群れに飛び込んだ。

 彼等の勇姿に感化され、永倉や土方の率いる軍警も負けじと怪夷を倒して行く。

 後方からは、坂本の海援隊が小銃や砲弾で援護射撃を行い、次々と道を開いていく。

 薄暗闇に包まれた不気味な静けさを漂わせていた箱根の山は、一気に眠りを冷まされ、騒乱に陥った。

 馬車の外で繰り広げられる闘争の様子に、莉桜は僅かに眉を顰めた。

「莉桜、気持ちは分かるけど」

「分かってる!でも、ああー私も戦いたいー」

 ついに我慢しきれずに莉桜はじたばたと四肢をばたつかせた。

『莉桜...心配しなくても...もう直ぐ戦えるよ』

 おろおろと肩に乗った三日月が莉桜を宥める。

『お前なあ...作戦聞いてただろ?』

 雪那の膝の上で、呆れた様子で刹那が溜息を吐く。

「莉桜さんは、他の人達が心配なんですよね。ここまでの道程も、犠牲が無かった訳ではないですから」

 莉桜の代弁をする悠生の言葉に、雨の膝の上に座る弦月が激しく同意した。

『それでも、もう少し落ち着くべきでは?この先嫌でも戦わなくては行けない訳ですし』

「俺も莉桜さんの気持ちは分からなくないけどな」

 自身の肩に引っ付いた暁月に猛は莉桜の気持ちを肯定する。

「そろそろ、身体なまりそうなの、僕も分かる」

「君等さあ。血気盛んすぎなんだよ」

『まあ、まあ、雪那はん。莉桜はんは直ぐにでも加勢したいんですわ。護られるのは、性に合わんお人やさかい』 

 大きな尻尾をパタパタ振る弦月を雪那は思わずむんぎゅと掴んだ。

「君は、とことん莉桜至上主義だね」

『あ、あ、暴力はあきまへん、雪那はん』

 じたばたしている弦月を雪那が見据えていると、不意に全員の頭に声が響いた。

『じゃれてるとこ悪いけど、そろそろ目的地だ』

 それは、唯一安全地帯である空から様子を伺っていた朔月の声だった。

 彼は、外の部隊と馬車に乗る雪那達との連絡役を担っていたのだ。

 朔月の通信に、莉桜や猛、悠生は自身の得物の柄に手を掛け、雨は小銃をぐっと握った。

「お前等、そのまま馬車から飛び出せ!」

 土方の号令が響いた瞬間、待ってましたとばかりに猛と悠生は馬車の扉を蹴り破り、外へ出る。それに続いて雪那と雨、そして莉桜が飛び出した。

 外は既に戦場と化している。

 蠢き、飛び掛かる怪夷の群れを連合軍の執行人、軍警の面々が相手にしている。

「そのまま突っ切るぞ!」

 傍に来た高杉と、彼が率いる奇兵隊に促されるまま、莉桜達は森を抜けた先、芦ノ湖まで駆け抜けた。

 蔦の巻き付いた朱色の鳥居を横目に、彼等が辿り着いたのは、人一人が通れる位の空洞だった。

「ここが、蒸気道?」

「そうだ、ここはあくまで整備や点検の作業の為に入る通路だがな。この先は、怪夷が居るかどうかまでは分からない」

「けど、行くしかない...か」

「地上よりは道が平坦で進みやすい。見えてない分、敵にも見つかり憎いしな」

 高杉や土方の言葉に、莉桜は決意を込めて頷くと、雪那を振り返った。

「雪那」

「オーケー」

 すっと、数枚の呪符を取り出して、雪那は呪文を唱え、それを空洞の入口に張り巡らせた。

 バチンと、紫電の閃光と共に、何か弾ける音が響く。

「多分、中は問題ないと思う。まあ、その都度駆逐する必要あるけど」

「よし、それじゃ、行くぞ」

 高杉が率いる奇兵隊の一団が、先に中へと入って行く。

 その後ろに続いて、莉桜達も空洞の中へと入った。

 生暖かい風と湿気に満ちた空洞は、十五年の間に積もった塵や灰で埃っぽい。

 防塵布で口許を覆い、一行は更にその奥へと突き進む。

 かつて、江戸から蒸気エネルギーを運んでいた蒸気道は、解放軍の一団で埋め尽くされた。

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