逢坂炎上編
第十一章ーBehind
第四十九話
辻斬り捕縛の為に行われた作戦は、思わぬ方向へ傾いた。
夜が明け、大阪城周辺を襲撃してきた怪夷が消えた後、軍警、情報屋を含めて多くの者が混乱に陥っていた。
「負傷者を早く運んで!」
「誰か、瓦礫どかすの手伝ってくれっ下に仲間がっ」
「嫌だ嫌だ、まだ死にたくないよっ」
大量の怪夷が消えた後、大阪城の堀の周りでは、騒然とした様相を呈していた。
執行人、軍警が入り乱れ、負傷者の救護が行われる。
瓦礫に埋もれた者や、怪夷に身体の一部を喰われた者。
負傷者ばかりではなく、彼等は仲間の屍の回収にも奔走した。
混乱の最中、比較的襲撃の被害の少ない東側には医療部隊が設けられていた。
「ほら、さっさと止血しないと死ぬわよ」
「動ける人は自分達で手当を。あ、その人こっちに運んで」
簡易的に建てられた小屋では、招集を受けた緒方海里と華岡清純が指示出しと治療に当たっていた。
「こりゃ酷いな...防衛戦の粋だぞ」
一人の執行人の治療をしながら、緒方は舌打ちした。
「先生、この人、ちょっとヤバいかも」
隣に華岡が運んできた負傷者を見て、更に緒方は険しい表情を浮かべた。
「直ぐにその腕切り落とせ」
「しかし、まだ若い」
「華岡っ君が目指しているモノはなんだ?怪夷の黒結病の専門医だろう。なら、言わなくても分かってる筈だ」
小屋の薄い壁を震わせる緒方の叱責に華岡はびくりと肩を震わせた。
「...私だって辛いんだ。だが、そのままその病を見過ごすわけにはいかない...そのまあ放っておいた者の末路を君は知っているだろう?ただ死ぬ訳じゃないんだぞ」
師匠の言葉に華岡はきつく唇を噛み締めた。黒結病を発症した患者には黒い斑点が現れる。
それは、じわじわとその者を蝕み、やがて身体は石のように動かなくなって、呼吸困難で命を落とす。
表向きにはそう言われている。
けれど、本当のこの病の恐ろしさは...。
「新たな怪夷を生み出す前にさっさとしなさい。腕だけなら、義手で幾らでもどうにかなるさ」
励ますように緒方は弟子の肩を叩く。
覚悟を決めた華岡は、応援に来ていた軍警の医療班に呼びかけた。
「鉈持ってきて、腕切り落とすから。そこの人、押さえるの手伝って」
華岡の何かを振り切った逞しい表情に緒方は微笑んだ。
「そっちはただの負傷だから手当して、なるべく重傷者と黒結病の疑いがあるものを此方に回してくれ」
緒方の指示が小屋の中に跳び続ける。
そんな中、一人の男が小屋を訪れた。
「重傷者以外受け入れてないよ...て」
ずかずかと小屋に入って来た人物を見て、華岡は一瞬目を疑った。
正確には、入ってきたのは男一人でなく、その腕には一人の女が抱えられていた。
「あんた...」
「珍しい訪問者だな。生憎、ここに余分なベッドはないよ。そのお嬢さん置いてさっさと出て行ってくれるかな?」
驚愕に固まってしまった華岡の代わりに緒方は入ってきた男ー高杉晋作を出迎えた。
「すまないな。預かってくれると助かる」
「外傷は?」
「ない。気を失っているだけだ。九頭竜が負傷したなんて話が広がったら、今後の士気に関わるからな...」
じっと、緒方は高杉の腕に抱かれた莉桜を見つめる。
何があったのか、大体は察しがついた。
「了解。その奥に寝かせて。ただし、誰かが引き取りに来たら引き渡すから。いい?」
「構わない、秋津川の嬢ちゃんにでも引き渡してくれ」
緒方に言われた通りに高杉は莉桜を奥に空いていたベッドに寝かせると、踵を返した。
「自分で説明する気はなしか...」
「悪いな。俺と彼女が会ってるのは、秘密なんでな」
ニヒルな笑みを零し、高杉は小屋の外へと出て行った。
「あれって、高杉...」
「華岡君、莉桜さんの容体を一応診て。多分平気だと思うけど」
何か聞こうとしたのを遮るように緒方は指示を出す。
それに、少し不満げながらも応じた華岡はベッドに寝かされた莉桜の傍に寄った。
莉桜の傍らには、彼女の愛用の太刀と、一匹のハリネズミが置かれていた。
脈を取ろうと莉桜の腕に触れた所で、華岡は眉を顰めた。
「え...」
ハッと、莉桜の顔を見て華岡は困惑した。
「なんだよこれ...こんなのあってたまるか」
「どうした?」
「先生、九頭竜さんの霊力って...」
驚き訊ねて来る弟子の言葉に緒方は眉を顰めた。
言われて緒方も莉桜の腕に触れる。
「馬鹿な、質が変化してるとかありえない」
目を見開き、緒方は思わず息を飲んだ。
驚く二人の様子を、莉桜の枕元から三日月は静かに見つめていた。
西の丸の結界を張っていた場所で、雪那は猛や雨、悠生と合流を果たした。
「雪那さん」
「猛...みんな。無事だったんだね」
自分の元に駆け寄って来た仲間達を見て、雪那はホッと胸を撫で下ろした。
彼等を迎えた雪那の表情には結界を張った事による疲労の色が滲んでいたが、本人は至って元気だった。
「すみません、結界を生かせなくて」
「いや、予想が大幅に外れた僕の読みが甘かったよ...ごめん」
開口一番謝罪を口にする猛に雪那は首を横に振って応えた。
「まあ、全員とはいかなかったが、何とか九頭竜達の働きで一人捕縛出来た。...犠牲はでかかったけどな」
口に煙草を咥え、南側を見つめて土方は目を細めた。
「秋津川さん、貴方達も一応緒方先生に診てもらいなさい」
「そうだ、雨、君大丈夫なの?」
仲間で唯一黒結病を患っている雨に雪那はぐっとにじり寄る。
「あ、うん、大丈夫」
『雪那はん、怖いわ...聖剣たるうちが付いてますさかい、問題あらへん』
疑りの目を向けて来る雪那に弁解したのは、雨の肩に乗って狸の弦月だった。
『私達は怪夷を祓う聖剣ですよ。怪夷由来の呪いを押さえるなんて朝飯前ですわ』
猛の足元でパタパタと羽を振るわせて暁月が補足する。
『雪那、兄弟達の話は本当だ。少しはオレらの事信用してよ』
雪那の肩に飛び乗った刹那が溜息と共に更に主を説得する。
「...体調の変化感じたら直ぐに言う事」
「分かってる」
雪那の忠告に素直に雨は頷いた。
「所で、莉桜は?」
ふと、その場に戻っていない莉桜に気づき、雪那は辺りを見渡す。
さっきまで莉桜の護衛についていた誉や志狼の姿が見えていた気がしたが。
「その事なんですが」
少し言い難そうに猛は話を切り出した。
「さっき、緒方先生の医療班に運ばれたと」
「っ⁉」
猛から告げられた現状に雪那は自身の心臓が酷く動揺した。
すっと、自分の中から血の気が引いて行くのを感じながら雪那は弾かれるように猛の胸倉を柄んだ。
「何処っ莉桜何処にいるの⁉」
「落ち着け、秋津川。九頭竜なら別に外傷もねえよ。ただ、ちょっと暴走仕掛けたから、強制的に気絶させられただけだ」
「土方さん、莉桜のとこ案内してくださいっ」
今度は土方に詰め寄り雪那は血相を変えて頼み込んだ。
「馬鹿野郎、今医療班は戦場なんだぞ。怪我もしてねえ奴がいっても邪魔になるだけだ」
「でもっ僕は」
「行かせてやれ、土方殿」
食い下がらい雪那に助け舟を出すような声に、土方は舌打ちした。
その声の主をその場の全員が振り返る。
かつての貴族の正装、直衣を纏った初老の男。
結界を張る雪那のサポートをしていた土御門晴義だった。
「秋津川殿、貴殿が何を感じたのか私には分からない。だが、聖剣使いの貴殿の相棒の事なら一応様子を見てきなさい」
「土御門さん...」
「たくっ勝手だな。一、そこの嬢ちゃん案内してやれ。残りの野郎共は俺と来い。やる事おおいんだからな」
土方に引き連れられ、猛以下の面々は大阪城の南側へと向かって行く。
それと同時に雪那は斎藤に連れられて東側へと向かった。
東側には、負傷した執行人や軍警の治療を行う為の野戦病院と化していた。
簡易で設けられた小屋には重傷者を、それ以外は広場となっているそこに筵を引いて負傷者が座り込んでいた。
それらを横目に抜けて、雪那は斎藤と共に小屋の中に入った。
「緒方先生」
「お、やっと来たな」
待ちわびた来訪者に緒方はホッと息を吐いた。
「莉桜は?」
「その奥で寝てる。外傷とかはないんだけど、気を失ってるから。一応診察はして問題はないよ」
不安げな雪那を安心させるように緒方か優しく状況を説明した。
「そうですか...良かった」
「ベッドを重傷者に空けたいから、引き取ってくれる?多分、そのうち目を覚ますからさ」
緒方に促され、雪那は頷くと奥のベッドへと向かった。
「斎藤さん、ちょっと」
雪那の後を追おうとした斎藤は、緒方に呼び止められて歩みを止めた。
「九頭竜さんの事なんだけど...」
雪那に聞こえないように、緒方は斎藤に耳打ちする。
「...分かりました。土方さん達には伝えます」
「頼む。まあ、あの人から報告入るとは思うけど...先にね」
小声で話す緒方に頷き、斎藤は何事もなかったかのように、雪那の傍に歩み寄った。
「莉桜」
ベッドに横たわる莉桜の頬に雪那は飛びつくように触れる。
肌の柔らかさとほのかな熱に、雪那は安堵した。
「良かった...」
縋りつくようにその手を握り、雪那は目を閉じた。
作戦中感じた莉桜の激しい感情は一体何だったのか。
その痕跡を読み取ろうとしてみたが、莉桜が眠っているせいか、それは出来なかった。
「秋津川さん、九頭竜さんを運びましょう」
「そうですね、怪我してないならここにいたら邪魔になる」
斎藤に莉桜の身を預け、自身は莉桜の愛刀である神刀三日月とハリネズミの三日月を拾い上げた。
ぴくっと、三日月が小さく震えた気がした。
そう言えば、三日月は前々から自分に触られるのを苦手としているようだった。
「ごめん、三日月お願い」
怯えたような三日月の強張る身体を雪那はついてきていた刹那の背中に乗せた。
『落ちるなよ』
『うん』
刹那に言われ、三日月はその背中に縋りつくようにしがみつく。
その少し怯えた三日月に刹那は溜息を吐いた。
『少し、辛抱してろ。分かってるから』
『うん...』
ぎゅっと、小さな手が毛を握る感触に刹那はやれやれと肩を竦めた。
雪那は莉桜の太刀を抱えて斎藤の後をついて行く。
その後ろを刹那も付いて行った。
大阪城の混乱は、昼頃には収まった。
この大きな事件は、公には公表される事はなく、軍警、情報屋、政府間で緘口令が敷かれる事となった。
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