第三十五話



 明け方、帝都へと旅立つ雪那を見送った莉桜は、その足で『あさか』へと舞い戻った。

 悠生との約束は午後からなので、もうひと眠りする事にした。

 秋津川の事務所にある自室とは違う、昔ながらの敷布団に身体を横たえると、直ぐに睡魔が襲って来た。

 それに抗うことなく、莉桜は目を閉じた。



 眠りに就いて、どれ程の時間が経過しただろう。

 莉桜は夢を見ていた。

 それは、かつて自身の里が襲われた時の炎に包まれた光景。

 怪夷に生気を吸われたように干からびた里の人々の姿。

 燃え盛る炎の中に見た、四人の人影。

 そのうちの一人が、こちらを見つめてくる。

 記憶の中では、黒く靄の掛った人影が、不意に自分を見つめて来るのに、莉桜は息を飲む。

 長い黒髪を高く結い上げ、裾が擦れてボロボロになった浅黄色の羽織を纏う青年。

 彼は、莉桜と目が合うと、ニヤリと口元を歪めた。



「っ!」

 バサッと、掛布を跳ね除けて莉桜は勢いよく身体を起こした。

 呼吸が荒い。全身に冷や汗が滲み、胸の鼓動は異様な速さで脈を刻んでいる。

(今の...何...?)

 それまで、忘れていたような光景に、莉桜は額を押さえて眉根を寄せた。

 里が襲われた時、襲撃者を自分は黒い人影としか認識していなかった。

 だが、今の夢はどうした事だろう、まるで向こうに自分がいた事が知られていたような感覚。

 まるで、見逃されていたような、そんな状況に莉桜は咄嗟に吐き気を覚えた。

 もしこれが現実の事ではなく、予知夢のようなものであるなら、件の襲撃者との再会は近いという事だろうか...。

(どっちにしろ、嫌な夢やな...けど、これがもし予知夢なら...)

 唇を噛み締めて、莉桜は枕元に置いている太刀を引き寄せる。

 その胸に抱くように握り締めて莉桜は己の肩を抱き締めた。



 約束の時間。

 悠生が宿の部屋から待ち合わせの場所である食堂に降りてくると、彼は思わず目を円くした。

「ほお」

 そこに立っていたのは、赤地に桜と兎の柄の施された浴衣を纏う莉桜。

 普段左右で結ばれている髪は耳の上に左右でシニヨンに纏められ、露わになった項が涼しさを演出している。

 紫の帯を締めた腰の後ろには桜の花びらのように帯が結ばれて、彼女の華やかさを引き出していた。

 普段とは違う、嫋やかで何処か艶やかな莉桜の姿に悠生はどきりと胸を高鳴らせた。

「莉桜ちゃん、来たよ」

「変じゃない?変じゃないよね?」

 何やら美幸と話をしている。 

 その様子に少しだけ歩みを遅らせながら悠生はそっと莉桜の下に近づいた。

「お待たせしました」

「あ、はい...」

 普段と少し様子の違う莉桜に悠生は苦笑いを浮かべる。

 いつもは気さくに話しているのに、いつもと雰囲気が違うだけで、こうも

 ぎこちなくなるのだろうか。

「浴衣、凄く素敵だ。色合いが莉桜さんに似合っていて」

「ありがとうございます...なんか、褒められるとめっさ照れますね」

 はにかむ莉桜に悠生はそっと手を伸ばす。と、自然な動作で莉桜の手を取った。

「っ!」

「では、行きましょうか」

 流れるように促され、悠生に手を引かれるまま莉桜はゆっくりと歩き出す。

 久し振りに履いた下駄が、カランと涼しげな音を響かせて店の外へと出て行く。

「いってらっしゃい、楽しんできてね」

 店の暖簾を潜っていく二人を美幸と沙耶は何処かニヤニヤしながら見送った。


 下駄を履き、少し背の高くなった莉桜を悠生は歩調を合わせて並んで歩く。莉桜が普段履かない履物を履いているせいでいつもより歩みが遅いのは直ぐに分かった。

 だから、彼女に負担の掛らないように歩幅を合わせる。

 悠生の気遣いを莉桜も感じ取っているのか、その優しさに胸が温かくなっていた。

「こういうの、慣れているんですね」

 人込みを歩きながら、莉桜はぽつりと感想を口にする。

 途端、悠生は頬を染めてたじろいだ。

「あ、いや...その...スパニッシュの男にとっては常識というか...俺はそこまで経験は多くないから...」

 突然慌てだした悠生に、莉桜はキョトンと目を見張ってから、彼が何故そんなに焦っているのかを察して、くすりと笑う。

「ふふ、すみません。別に、ユウさんの女性経験を聞いたつもりはなかったんです」

「え、あ...」

 勝手に勘違いをして慌てふためいていた自分に気が付いて悠生は、一気に気恥ずかしくなった。

「女性の扱いが上手だなって、普通に感想を言ったつもりだったんですけど...勘違いさせてしまったみたいですね」

「いや、勝手にそう思ったのは俺の方だから...」

 そう言って顔を逸らしつつも悠生は莉桜の手を握ったまま、夏祭りの行われている神社への道を進む。

「こう見えて、俺は、女性と付き合ったのは殆どないので」

 と、何故かよく分からない言い訳まで飛び出してしまった。

 それから、二人は暫く無言で道を歩いて行く。

 いつしか人の数は増え、街道沿いには出店があちこちに軒を連ね初めていた。

「...そういえば、いつも持ち歩くんだね」

 祭りを楽しむ人々の喧騒に紛れながら悠生は莉桜が腰に括り付けた太刀を見下ろした。

「ああ、まあ、手放せなくて...」

「余程、大切な刀なんですね」

 悠生の問いかけに莉桜は頷く。

「私にとっては、替えの効かない大切な相棒だから」

 繋いでいない方の手で刀の鞘に触れ、莉桜は視線をそちらに移す。

 彼女の何処か憂いを帯びた表情に悠生は目を細めて内心その理由を考えた。

 この逢坂に来てから、夜間の莉桜の戦いぶりをずっと見守って来た。

 その強さは本物だが、それだけの技量を培うにはどれ程努力をしたのか計り知れない。

 ましてや、そこまでして怪夷討伐に心血を注ぐその心境はどのようなものか。

 彼女が案内人をする理由すら、悠生は知らないのだ。

(いつか聞いてはみたいが...果たして)

 隣を歩く莉桜を横目に見つめ、悠生はやるせなさに内心吐息を零した。


 それから二人で、神社へのお参りを済ませてから、今度は出店の出回る街道沿いを見て回る。

 食べ物の屋台からは香ばしい匂いや、甘い匂いが漂い、小腹を刺激する。

 その匂いに誘われて、二人は目についたものを買って、道すがら頬張った。

 小腹が満たされた所で、次に覗いたのは、装飾品を扱う店舗だった。

「少し見てもいいですか?」

 興味津々と露店に近づいていく莉桜について悠生も露店を覗き込む。

 そこには、日ノ本らしい和風の髪飾りや簪などが並べられている。

 いわゆる小間物屋という奴だった。

「そろそろ髪飾り変えようかな...」

 台の上に並んだ様々な種類の髪飾りを見つめている莉桜の横から悠生も並んだ品物を見下ろす。

「お嬢さん、そちらの旦那様に買ってもらったらどうだい?」

「え?」

 店主の唐突な提案に莉桜は驚いて目を見張る。

 それは、悠生も同様だった。

「逢引きとはいいねえ。逢瀬の記念に一つどうだい?この珊瑚と真珠の簪とか、お嬢さんに似合いそうだ」

 そう言って、店主は幾つか二人の前に髪飾りや簪を並べて行く。

「莉桜さん、どれか気になるモノありますか?」

 唐突に訊かれて莉桜はハッと悠生の方を見る。

「あ...えっと...」

「たまには、何かプレゼントさせてほしいな。いつもお世話になっているから、そのお礼に」

 突然の悠生の発言に莉桜は戸惑った。

「え、悪いですよ、そんな...」

「こういうのは、素直に受けといた方が得と

 いうよ」

 人差し指を立てて片目を瞑る悠生に莉桜は困惑しながらも再び露店に並ぶ品々に目を向けた。

 暫く眺めてはみたが、気になるモノは幾つかあれど、買ってもらうとなると色々悩んでしまう。

「ユウさんが選んでください...」

 がくりと肩を落とし、莉桜はとうとう決めあぐねてそう口にした。

「分かった」

 くすりと、含み笑いを零して悠生は並べられた品々を吟味していく。

「私、少し向こうの屋台見てますね」

 そう言って莉桜はまるで逃げるようにその場から離れた。

 実をいえば、悠生がどんなものを選んでくれるのか楽しみでもあったのだ。

 向かいの店で雑貨を見ていると、買い物を終えた悠生が戻ってきた。

「お待たせ。次はどうしようか?」

「そうですね...疲れたし、お茶にでもしませんか?」

 少し先にある茶屋を指差しながらの提案に悠生は快く頷いた。



 休憩がてら入った茶屋で、席に着いた莉桜と悠生は、それぞれ甘味を注文した。

「はい、これ」

 懐から、布に包まれた物を悠生は莉桜の前に差し出した。それは、言うまでもなく、彼が先程の露店で莉桜の為に選んだ品。

「本当にいいんですか?」

「うん、俺がそうした言って思ったから

 遠慮せずに受け取って」

「ありがとうございます...」

 優しく笑う悠生の好意を無碍にするのは失礼だと莉桜は素直にそれを受け取った。

 包みの代わりの布を広げると、そこから出てきたのは、桜色の石で出来た髪飾りだった。

「桜瑪瑙という珍しい石らしいよ...なんでも出雲で採れたものだとか」

 露店の店主の説明をそのまま悠生は莉桜に話す。

 直後、莉桜の目からぽたぽたと滴が溢れ出した。

「り、莉桜さん?」

「あ...ごめん...」

 咄嗟に、口元を覆い、莉桜は悠生から顔を逸らすと、化粧が落ちるのも厭わずに目元を拭った。

「ごめんなさい...故郷を思い出して...はは...情けないなあ...」

 ぼやくようにそう口にして莉桜はまた、溢れた滴を拭った。

 なぜだろう。

 いつもならこんな事無いのに。

(さっき見た夢のせいかな...)

 久し振りにみた故郷の夢。

 悪夢でしかないそれでも、生まれた場所を思い起こすのには十分だったのだろう。

「私、出雲国の出身だから...瑪瑙は身近なもので...祭事なんかで良く身に着けてたから...懐かしくて」

 渡された髪飾りを胸に抱き、莉桜は頬を緩めて悠生を見る。

「ありがとう。とても嬉しいです...大切にします」

「気に入ってくれて良かったよ」

 莉桜の反応にホッと胸を撫で下ろした悠生だったが、彼女の涙が脳裏から離れない。

 逢坂にやった来る人々の理由は様々だ。

 目の前の彼女もその一人だろう。

 だが、故郷で採れた物と聞いて、涙を流すのには単なる郷愁の思いとは異なる気がして、悠生は胸を痛めた。

(いつか聞けるだろうか...今の涙の訳を...)

 莉桜のコロコロと変わる表情を前に悠生は彼女が背負うものを聞き出す事の出来ない己に不甲斐無さを感じずにはいられなかった。



「あれ、莉桜さんだ」

 茶屋を出た先で、莉桜を呼び止めたのは意外にも雨だった。

「あれ、雨、こんな所で何してるん?」

 思わぬ遭遇に莉桜は弟分たる少年に問いかける。

「雪那さんがお勤めでいない間に銃のメンテナンスをしてもらいに工房に行ってました」

 いつもは背中に背負っている長銃を珍しく布を巻いて抱えているのを見て、莉桜はなるほどと、納得した。

「問題はないそうなので、これでいつでも莉桜さん達の援護が出来ますよ」

 笑顔でガッツポーズをする雨に莉桜は頼もしさを感じて、微笑みかける。

「莉桜さん、その子は?」

「ああ、この子は私が元所属していた事務所の仲間。案内人見習いの東雲雨。雨、この人は私が今契約してる旅人の悠生さんだよ」

「あ、貴方が噂の商人さんですね!」

 莉桜から悠生を紹介され、雨は目を輝かせて悠生を見上げると、愛らしい笑みを浮かべて丁寧にお辞儀をした。

「いつも莉桜さんがお世話になってます」

「こちらこそ」

「素敵な人ですね。莉桜さんにお似合いじゃないですか」

 意味を理解しているのか疑いたくなる雨の発言に莉桜は頬を赤らめた。

「ちょっと、雨、何言ってるのっ」

「あれ?僕はてっきり莉桜さんの想い人かと思っていたんですが...違うんですか?」

 キョトンと、小首を傾げながら不思議そうに見上げてる雨を莉桜は当惑気味に見下ろした。

「も、もう、何処でそんな事覚えてくるん?ユウさんは大事なお客さんで...」

 思わずそう言ってみたものの、悠生の視線が妙に気になって莉桜は口を真一文字に引き結んだ。

 これ以上何か言ったら墓穴をほるような気がした。

「それより雨、あんまり人込みでうろうろしちゃ駄目やからね。夏祭りの時期だからって、適当に帰るんやよ」

「はーい」

 間延びした返事を雨が返した直後、その背中にとんと、通りすがりの誰かがぶつかった。

「わあっ」

 前のめりに倒れかけた雨を、咄嗟に悠生は腕を伸ばして支える。

 倒れかけた雨の腕から、抱えていた長銃がカランと落ちた。

「すみません」

 ぶつかったと思しき人物が咄嗟に謝罪を口にして、地面に落ちた長銃を拾い上げる。

「怪我はないですか?」

「うん...大丈夫」

「本当にすみませんでした。これ、落としましたよ」

 そう言って、その人は雨に長銃を手渡した。

「僕の方こそすみませんでした」

 長銃を受け取り、雨はその人物を見上げる。

 会釈をしてその人は雑踏の中に消えて行く。

「親切な人で良かったですね」

「逢坂は色んな人がおるからね...喧嘩吹っかけられんで良かったよ」

 人込みの中を見遣ってから莉桜はホッと安堵する。

「雨、送って行こうか?」

「大丈夫。真っ直ぐ帰るから。莉桜さんが悠生さんとの逢瀬を楽しんで」

 長銃をいつものように背中に背負い直し、ニコリと笑う雨の言葉に莉桜はまたもや虚を突かれて言葉を失った。

「...気を付けて帰るんよ?」

「うん、じゃあね」

 年相応の元気さで返事をした雨はひらひらと手を振ってから、事務所がある方角に向かって駆け出した。

「やれやれ...ませてるんだから...」

 溜息を吐いて人込みに紛れて行く雨を見送った莉桜は、改めて悠生の方に視線を向けようとして、ハッと、人込みの中を凝視した。

「莉桜さん?どうかしたの?」

 突然頬を強張らせた莉桜に、悠生は眉を顰めて問いかける。

「あ...ううん、なんでもない。なんか、見られている気がしたんだけど...気のせいみたい」

 首を左右に振ってから、莉桜は悠生を促して歩き出す。

 それに疑問を感じながらも悠生は彼女の後を追うように歩き出した。



 人込みの中。

 歩いて行く二人の後姿を、一人の青年が静かに見つめていた。

 


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