第八章ー嵐の前触れ
第三十三話
辻斬り事件の犯人と思しき輩と遭遇した翌日。
莉桜は玉造の近くにあるとある神社を訪れていた。
そこは、かつてこの日ノ本の政権を争った戦国時代最後の戦が行われた時、ある一人の武将が討ち果てたとされる終焉の地。
鬱蒼と繁る杉の木の下で、莉桜が連絡を取った人物は待っていた。
「はあ、逢坂も大分暑くなったな」
パタパタと黒字に龍の描かれた扇子を仰ぎながら待っていたのは、袴に小袖の浪人の様な出で立ちの男。
「ご無沙汰してます。
五年前、逢坂へ上京してきた汽車の中、怪夷との戦い方を教えてくれた謎の男。
当時、谷潜蔵と名乗ったその人物は、ニヤリと楽し気に不敵な笑みを浮かべた。
「嬢ちゃんも元気そうだな。今じゃ執行人一の実力者か」
「まだまだですよ。私は。それより、今この都市で起こっている辻斬りの件、ご存じですよね?」
莉桜の問いかけに、高杉と改めて呼ばれたその人は、相槌を打ちながらキセルを咥え、ジッポで火を付けた。
「ああ、あの軍警が躍起になってるらしいな。流石の俺も驚いた」
キセルを咥え、一息煙草を吸って、紫煙を燻らせる高杉の横に並ぶような位置に莉桜は立ち尽くした。
「どう、思います?」
「どうも何も、今まで良くあった事務所同士の潰し合いじゃなさそうだな...もしそうなら、そこまでして執行人を襲う犯人の心境が分からん」
逢坂に執行人という政府公認の裏家業が出来てから、これまで事務所同士による
いざこざは幾度となく繰り広げられてきた。
その中で、殺人事件に至ったものも少なくない。
夜道で襲われたという事例も幾つもある。
だが、今回の辻斬りはそれとはまったく毛色が異なっていた。
「辻斬りに襲われた人の中には前後にランクDの怪夷に襲われたって証言もあります。実際、私も辻斬りが逃げる際にランクDと交戦しました」
「嬢ちゃんは辻斬りと実際に斬り合ったんだろ?なんか気づいたか?」
高杉と呼んだ男に問われ、莉桜は少しためらてから、口を開く。
「辻斬りが持っていた刀...焼き刃でもないのに真っ黒でした。でも、なんていうんやろ...石器時代に使われてた黒曜石みたいな...」
「黒い刀身か...」
頷き莉桜は更に続ける。それから莉桜はその晩の自分が感じたことや、辻斬りの特徴を話して聞かせた。
「三日月を見て怯んだか...興味深いな」
莉桜の話を聞いて高杉は眉を顰めた。
何かを考え込んでから、煙管の中の煙をすき込んで、ふっと吐き出す。
「高杉さん...あの、私の父の事を知っている貴方だから言うんですけど...」
言うまいか悩んだ末、莉桜はぽつりと躊躇いながら話を切り出した。
それが、公に出来ない話だと悟って、高杉は視線は莉桜から放しながら、耳だけを傾けた。
低く、聞こえるギリギリの声量で莉桜はその話をし始めた。
「...辻斬りは...もしかして、例の人型の怪夷なんじゃないんかなと...」
人型の怪夷。
その噂は、いつの頃からか実しやかに囁かれる一種の都市伝説のようなものだった。
実際にその姿を見た者があるのかと問われれば、はっきりとしない。
政府が出している怪夷のランクでは『S』に当たるその存在。
だが、迷信に近いそれを確かめた者は未だなく、本当にそんなものがいるのかも判然とはしていなかった。
莉桜はそのありもしない存在をずっと追いかけている。
それは、自身の村を襲った存在が、まるで怪夷の様な気配を漂わせていたからだ。
「...もし、そうだとしたら、私の村を襲った奴らを突き止められるかもしれん...」
小声ながら、何処かどす黒い感情を込めて話す莉桜を、高杉はチラリと視線だけで見つめると、煙管の煙を吐きだした。
「...もし、そうだとして、嬢ちゃんは復讐をするのかい?俺はオススメしねえな...あんたに復讐は似合わん」
「それでも、理由は知りたい。なんで、私の里が襲われなければならなかったのかを...」
莉桜の懺悔にも似た告白を高杉は黙って聞いていた。
まだ二十歳になったばかりの若い娘が復讐を考えるなど、と高杉は内心複雑な思いだった。
逢坂で執行人や案内人を生業とする者は、何かしら理由を抱えながら危険を孕んだ仕事に従事している。
この都市が出来た時からの暗部であるその職業は今やこの都市の代名詞となったが、本来なら若者にさせるべきものではないと、高杉は考えていた。
(未来ある若者に危険を冒させるべきではないんじゃが...まあ、若い頃に血気盛んだった俺が言っても説得力はないか...)
かつての自分を思い出して内心苦笑し、高杉は煙管に溜まった灰をポンと、叩いた。
「嬢ちゃん。もし、そうだとして、真正面からは向かっていくなよ。親父さんもそこまでは望んでねえと俺は思ってる。嬢ちゃんに親父さんが俺を頼るように手紙を残したのは、復讐を差せるためじゃ絶対にねえからな」
「分かっとるよ...でも、また情報提供よろしくお願いします」
高杉の忠告を飲み下し、莉桜はぺこりと頭を下げる。左右に分けて結った黒髪がしなやかに胸元に流れ落ちる。
「出来得る限りで協力はするさ。さて、俺と会った事は誰にもいうなよ」
「分かってますよ。密会ですから」
ニヤリと笑う高杉に莉桜もニヤリと笑い返した。
それから二人は、まるで他人であるかのように何食わぬ顔で分かれると、夏の日差しが降り注ぐ逢坂の街へ消えて行った。
密会と称した待ち合わせを終え、莉桜は『あさか』への道を歩きながらぼんやりと空を眺めた。
(あの人...ちゃんと調べてくれるよね...)
逢坂でも屈指の神出鬼没で裏では名の通った高杉の事を思い起こし、莉桜は眉を寄せた。
高杉と会っている事を莉桜は雪那に話していない。
元々情報収集を莉桜はあまり得意ではないのだが、雪那に黙ってまで高杉と定期的に連絡を取っているのは、雪那にすら話していない自信の目的を果たすためだ。
里を襲った者達への復讐。
怪夷を討伐する執行人になったのもそれが理由だ。
莉桜が復讐を考えているのを雪那はあまり快く思っていない。
表向きは自立したいと執行人を目指したが、その本心を雪那は直接伝えなくても分かっているのだろう。
そんな親友に心配を掛けないで犯人を捜すのが、密かに高杉と会っている理由だった。
そして、復讐とは別に、莉桜はある使命を父親から託されていた。
それは、執行人試験に合格し、雪那と共に現在の事務所の場所に越して来た日、意思疎通が出来るようになった三日月から聞かされた事実。
(聖剣は三日月を含めて五振りあると三日月は話してくれた。それを狙って、里を襲った者が現れるのを父さんは知っていた。残り四振りを探し出し、私は...怪夷を完全にこの世から駆逐する)
それは、彼女が幽世の地に生まれた落ちた時から受け継いだ祓う者としての使命だった。
莉桜が秋津川事務所に赴いている間、悠生はようやく纏まった石灰の取引の確認をしに、取引先の商人の邸に向かって、逢坂の街を歩いていた。
一週間程前から、妙に街の様子が騒がしい事を悠生は肌で感じていた。
朝食を取った際に、あさかの食堂で目を通した朝刊には連日『辻斬り現る』と、物騒な見出しが躍っている。
その事が影響しているのは直ぐに分かったが、どうもそれだけではないような空気を悠生は感じていた。
応接間に通された悠生は、取引先の商人。西村権六と向かい合い、契約書を取り交わした。
「では、よろしくお願いしますよ、カルーノ殿」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
互いに有効の証として握手を交わしてから、悠生と西村はソファに腰を落ち着けた。
契約書を革の袋に悠生が仕舞っていると、不意に西村が最近の新聞で大々的に報じられた辻斬りの話題を持ち出してきた。
「カルーノ殿もご存じだろう?ここ最近の新聞の一面」
「辻斬り事件のことでしょうか?随分物騒ですね」
世間話程度に考えていた悠生は当たり障りなく西村の話題に応じた。
「そもそも、奇妙だと思いませんか?そんな時間に案内人が襲われるなんて。野良怪夷に観光客が襲われるという話は、月に何件かはありますが、今回襲われているのは案内人。夜間最も遅くまで行動を許されている一般人の彼等ですら、報じられた時間は外出禁止だとされている...」
西村の話は最もな話だった。
悠生が初めてこの逢坂に着いた時、案内所からも案内人である莉桜からも夜間の外出については聞いていた。
そこから考えて、本来なら出歩けない筈の時間に何故、出歩いていたのか。
辻斬りはもっと前からいたとしても、変な話だった。
「軍警が襲われたというなら、我々も納得がいくのですがね...これが案内人という所がポイントなのですよ」
「確かに、そんな時間に規則を破っているのはおかしな話ですね」
西村の話に悠生は相槌を打つ。
「これは、もしかしたら軍警の誰かの犯行ではないでしょうか?夜間外出への粛清がたまたま報道されたとか」
「そうだとしたら、軍警が何もしない筈はないですね。私はもう少し政府から発表があるのを待とうと思います」
「カルーノ殿もお気を付け下され、軍警は今も何やらきな臭い噂がありますからな。蒸気炉としてこの街にガス等の供給をしている大阪城は怪夷の研究施設だとか噂もありますからな」
「ご忠告感謝します」
西村に会釈をして悠生は、早々に邸を辞した。
品物の搬入等は来週行われるので、それまでは別の目的を果たす為に動く事にした。
(辻斬り...か)
西村の話を全て信じる事は出来ないが、何かしら関係はあるだろう。
そんな事を考えていると、不意に脳裏に莉桜の顔が浮かんだ。
初めて会った晩から、悠生は夜間こっそりと出て行く莉桜の後を付けていた。
彼女が怪夷と戦っているのを悠生は既に知っている。
そして、彼女と同じように怪夷の討伐を生業としている者達がいる事を悠生はこの三か月の間に掴んでいた。
莉桜が何故、そのような危ない仕事をしているのかは分からなかったが、彼女の戦う姿は実に美しく、魅入られてしまう程の華麗さだった。
(莉桜さんはこの事件を知っているのだろうか...)
この所、毎晩のように夜間外出しているのも分かっていた。
その後を何度か付けた事もある。
だが、どちらかというと見回りをしているだけの様だったが、事件に関わるなにかを調べていた可能性も捨てきれなかった。
陽射しの照り付ける中をあさかに向かって歩く間、悠生は事件の事とと同時に莉桜の事を思い浮かべていた。
そのせいだろうか、あさかの食堂に還って来た途端、目の前に彼女の姿を見た気がした。
いや...現実に彼女はいたのだ。
それも、白玉の沢山載った抹茶パフェを頬張りながら、幸せそうに頬を綻ばせて。
「あ、ユウさんお帰りなさい」
悠生の姿を見つけて莉桜はひらひらと手を振る。
それで、ようやく現実に莉桜がいる事を理解した悠生は、少しぎこちなく笑いかけた。
「莉桜さん、お帰りなさい。昨日は例の用心棒かな?」
「ただいま。いや、昨日はそのパトロンと女子会。色々ガールズトークに花を咲かせてきました」
莉桜の前の席に腰かけながら悠生は相槌を打つ。
そういえば、彼女のパトロンともいうべき親友に自分はまだ会った事がなかった。
美幸曰く、トラブル吸引体質だというが、どのような女性なのか。
「莉桜さんのその親友とやらにもいつかは会ってみたいな。どんな人なのかな?」
頬杖を付きながら悠生は世間話のように切り出してくる。
それに莉桜は少し考えて、眉根を寄せながら返答した。
「一言でいうなら変人で変態、かな」
女性に対するには少しズレた評価に悠生は思わず吹き出した。
「え?なに、それ...」
「いや、そのまんま。筋肉好きだし、巨乳好きだし...かなり変わってるよ、あの人は」
そう言いつつ莉桜は白玉を頬張る。
異国の女性というものはこうも違うのかと、自身の国とのギャップに戸惑いながら悠生は、話している間に沙耶が持ってきてくれた麦茶を口にした。
「そういえば、ユウさんは今日は何処に行ってたの?」
今度は莉桜が話題を持ちかけて来た。
それに悠生は軽く咳払いをしてから答え始めた。
「石灰の取引が漸く纏まってね。その契約を取り交わしてきたんだ」
「あ、じゃあ当初の目的、一つ達成出来たやね」
頷く悠生に莉桜は素直に「おめでとう」と祝辞を口にした。
商人である悠生がこの逢坂に来た目的は言おうと石灰の貿易ルートを確保する事。
その一つが漸く実を結んだのは、素直に嬉しかった。
「後は、積み荷を積んで、硫黄の取引先を確保すれば、俺の仕事は取り合えず終わりかな」
麦茶の注がれた茶器の水面に視線を落とし、悠生は目を細める。
その表情を見つめながら、莉桜はぽつりと呟いた。
「商談が決まったら、ユウさんは、スパニッシュに帰っちゃうんやね...」
「まあ、そうなるね...」
苦笑を浮かべる悠生。
その彼を見つめ、半分まで瞼を伏せる莉桜。
互いに視線を逸らしながら、二人はほぼ、同時に言の葉を唇に載せていた。
「寂しいな」
異口同音の呟きに、莉桜と悠生は同時に顔を上げ、お互いを見つめると、反射的に視線を逸らした。
(え...今の...何...)
パフェの細長い器で顔を隠しながら莉桜は、自身が無意識に口に出した言葉を反芻した。
(今、同じこと言ってた?)
チラリと、同じく顔を逸らしている悠生を見る。
その横顔が耳まで赤くなっているのを見止めて莉桜は心臓の音が早くなっているのに気が付いた。
これは、一体何だろう。こんなことは初めてだ。
呼吸が出来なくなりそうな中、再び悠生の方を見ようとして、視界の端で悠生が立ち上がったのを捉えた。
莉桜が同じ言葉を口にしたのが、悠生は嬉しくてたまらなかった。
同じ思いを感じていてくれた。
それが本心であるのは横目に見た莉桜の頬が朱色に染まっているのを見れば一目瞭然だった。
もしこのまま何もしないのは、スパニッシュの男として恥ずべきことである。
悠生の中に流れるラテンの血は、直ぐにでも行動を起こさせた。
「莉桜さん、あの、明日時間空いているかな?」
突然の問いかけに莉桜は恐る恐る悠生を見上げる。
そこには、真剣に自分を見つめている殿方の姿があった。
「はい...空いてます」
ぎこちなく声を震わせながら、莉桜は答えを紡ぎ出す。
それに、ホッと息をした悠生が朗らかに微笑んだ。
「良かった。実は、商談や仕事続きで実をいうと逢坂の街をきちんと見ていないんだ。もしよかったら、一緒に周ってくれないかな」
「それは、案内人として?」
確認する莉桜に、悠生は首を横に振った。
「いえ、俺と休日を共に過ごしてもらえないだろうか」
はにかみながら告げられ、莉桜の胸はぎゅっと締め付けられるような感覚に陥った。
全身が火照り、一言を口にするのがやっとの状態で、その一言を絞り出した。
「...私で良ければ...」
それを言った霧、恥ずかしくて悠生の顔が見られなくなった。
その反応には悠生は経験があるのか、ニコリと笑いながら「それじゃ、明日昼食を食べたら出掛けよう」と、それだけ告げて、席を立った。
沙耶に昼食は部屋で取りたい旨を伝えた悠生は自室のある宿の二階へ上がって行く。
悠生の気配が完全に消えた後、莉桜はぐたりと食卓に突っ伏した。
全身から、蒸気絡繰りの様に湯気を出して顔を伏せていると、ポンポンと肩を叩かれた。
「お客さん、ここで寝られると困るんだけど」
冗談交じりで声を掛けて来た美幸を莉桜は突っ伏したまま見上げる。
「...今の、どう思う?」
「ん?どう見たって脈ありじゃん」
「外国の社交辞令じゃないよね?」
「君さ、もう少し素直になりたまえよ」
何度か背中を摩られて莉桜は、こくりと頷いた。
今でも心臓が早鐘を打っている。
この感覚をなんと呼称するのか。
それを思い出すのに莉桜は大分時間を要した。
「はあ~」
自室に着くなり悠生は大きく息を吐きだした。
本国では女性を誘うのは男の嗜みとして一般的なのだが、正直悠生はこれまで本気で女性を誘う事はしてこなかった。
知識はあれど実際に実行するのではなかなか根気がいるらしい。
けれど、了承を得られた事への高揚感が悠生を取り巻いていた。
主の浮かれた様子に気づいた朔月が、バサバサと羽音を立てて飛んでくる。と、悠生の肩に停まってその顔を覗き込んできた。
「ああ、朔月。俺は今凄く嬉しいよ」
朔月の喉元を撫でて悠生は少年の様に笑う。
そんな主を朔月はまるで弟を見守る兄のような視線で見つめたいた。
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