第四章
貴族の若さまは周りも得体がしれなかった件
第一節(前)
セスイール王国。
それがアーシェたちの暮らす、この国の名前だ。数百年の昔、この周辺の国々を領土として統一し栄えた旧フェグナム帝国の西に位置する国家である。
王都ベイリアルは建国の王、旧帝国におけるベイリアル侯爵家が所有していた領地にそのまま置かれた。帝国の瓦解と共に独立して以降、そのまま数百年に渡ってベイリアル家が王位を継承し続けている。旧帝国、と言われる国々の中でも、安定して歴史を繋いできた大国であった。
「ほら、見えてきたよアーシェ」
ガラガラと車輪の回る音を聞きながら、馬車に揺られている。エルゥの告げた通り、朝食を取って少しの休憩を挟んだ後、アーシェたち一行はオントーを出発した。
用意された馬車は、それまでの乗り心地が良い荷馬車ではなかった。目立たぬよう色味こそ焦げ茶色に抑えられているものの、一目で身分が高い者が使うと解る物だ。大きく開いた窓にガラスが填め込まれていることからもそれが解る。
御者台には、変わらずウィルフが座っていた。エルゥが窓の外を指差し、アーシェに目をやる。
「あれが王都ベイリアルだ」
「……壁?」
窓を覗き込んだアーシェは首を傾げた。エルゥが王都、と呼んだものは、アーシェにはどうしたって壁に見える。それも、どこまで続いているのかもよく解らないような巨大な壁だ。ゆるやかな弧を描きながら、見える限りのどこまでも続いている。
エルゥは笑った。
「そうだね、壁だ。ベイリアルは城塞都市だから。今、見えているあれは城下街を囲む大門で、その内側にも何枚かの壁が建ってる」
エルゥは指を折りながら歌うように続けた。
裕福な者が暮らし高級店が並ぶ三の郭、貴族の街屋敷が並ぶ二の郭。
そして王宮、本宮と離宮があり特に許された寵臣のみが家を持てる一の郭。
「王宮の背中は、峻険で絶対に越えられないネントミル山脈がそびえて、壁の代わりに王宮の守りになってる。ベイリアルは、その四層から成る都市なんだよ」
「……………!」
知識、では知っていた。アンセルムとの学習の中で、そういう都市がある事を。王都ベイリアルがそういう都市であることも。
けれど、実際に見ると想像とは全然違う。もっと大きかった。もっと壮大だった。これを本当に、人の手が作ったんだろうか。
圧倒されてしまいそうだ。
「もっとも、派手さではオントーのほうが上かな。王都は、城下街でさえ色々と制限があるから」
「制限?」
「そう。街の景観を美しく保つためにね。あんまり派手だと品位がないって煩い人たちが、大昔にいたみたいだよ」
馬車はどんどん城門へ近付いて行った。そびえる壁、それこそ小山のように背が高くずっと連なっていくそこの中央に、ぽっかりと穴が空いている。そこ、が門なのだそうだ。夜間はしっかりと閉じられて、賊や敵の侵入を防ぐのだという。
王都へは入るためにも手続きが必要なようだった。が、アーシェたちの乗る馬車は検問に並ぶ馬車や人を横目に、そのまま一度も止められることなく門を抜けた。そうして広がる街並みが、アーシェの目に飛び込んでくる。
「……………!」
もはやアーシェは、感嘆の声さえ上げられなかった。
「ね? オントーに比べると少し地味でしょ」
なるほど、エルゥがこの街を「整頓されている」と言ったのが解る。王都の街並みは、実に整然とととのっていた。
淡いアイボリーに統一された建物の壁。窓に飾られるリボンは真紅の一色のみ、それが妙に品良く際立っている。カーテンは全て白に近い淡い色のみで、どこの窓を覗いてもきつい色が見当たらない。敷き詰められた石畳の淡い灰色がその中で、うっすらと影のように色を落としていた。比べるとオントーは華やかな分賑やかで、これを見た後では散らかっているような印象に変わった。
「このまま、一の郭に向かうよ」
「一の郭……? 学舎は一の郭にあるの?」
呆然と街並みを眺めるだけのアーシェに、くすくすと笑いながらエルゥが告げる。アーシェは首を傾げた。
「うん。学舎は王宮の敷地の中に建てられてるよ。だけどまずは、君が住むところを準備しなきゃね」
「宿舎か何かがあるんでしょう? 以前、先生に聞いた事があるわ」
「うん、だけどちょっと君に住んで貰うわけにはいかないかな。……そこ、女性がいないんだよね……」
じゃあ、自分はどこから学舎へ通うようになるのだろうか。宿舎の話を憶えていたから、すっかりそのつもりになっていた。
馬車は城下街を走り抜け、三の郭の門を潜る。ここでも引き留められることはなく、すんなりと高級街と言われる場所へ進んだ。
「本当なら、僕の家でお世話したいところなんだけど。僕の家は両親の家から独立してるから、男の独り暮らしに君を連れ込むのはどう考えても無理で」
「つ、連れ込むって」
「勿論僕は君を大事にするつもりしかないよ! でも、実際はどうあれ、そう思われるようなことはできないからね」
似たような話を、旅に出る前夜にもしたような気がする。エルゥの言う事は一貫していた。
「だからまあ、悔しいけど、信頼してる人のところを紹介する。気に入らなかったら言ってね、また考えるから」
「そんな。お世話になるのに、そんなこと」
「人って、どうしても合う合わないがあるでしょ。君に無理はさせたくないんだ」
三の郭を抜け、二の郭へ。
そうして馬車はとうとう、一度も止められることなく一の殻の門までを通り抜けた。
「ここはもう、城の一部と言ってもいいかな。王宮の敷地になるよ。実際はここに貴族も家を与えられてるけどね」
そう言ってエルゥが差したのは、それこそ王城ではないか、と思うほどに立派なお屋敷だった。鉄柵で囲まれた前庭は広大で、奥にあるお屋敷の堂々とした佇まいを真正面から眺めることが出来る。
「あの家にね、住んで貰おうと思って」
「誰が!?」
「勿論君だよ、アーシェ」
エルゥはにっこりと笑ったが、アーシェは嘘だ、と叫び出したいような心持ちだった。
昨日の高級宿でさえ持てあましていたのに、段々と近付いてくるこのお屋敷は更に数倍も、正直比べものにならないほど立派なのだ。端から端まで歩いたら何刻かかるだろうと思うような幅、見上げるような五階建ての威容。アーシェはもう、これが王城だと言われても信じてしまうだろう。
恐ろしいことに、馬車はあっさりと前庭を進んで行った。屋敷の正面に堂々と乗りつけて、やっと足を止める。
玄関までは、厚手の絨毯を敷かれた見上げるような階段が続いていた。そうして既に、人の良さそうな笑みを浮かべた初老の男が居住まいを正して馬車が止まるのを待っていた。
お揃いの上着を着たフットマンが駆け寄ってきて、馬車の扉を開ける。エルゥは当然のように頷いて、用意されたステップに足をかけた。一歩、二歩、三歩。軽い足取りでそこを降りると、ステップの脇に立って手を差し出す。
「さあどうぞ、アーシェ」
「……ありがとう」
エルゥのエスコートは、いつも自然だ。その手を取って、足にまとわりつくようなスカートの裾をほんの少しだけ持ち上げる。ステップを降りると、初老の男がこちらに向かって深々と一礼した。
「やあ、久し振りだね」
「ようこそおいでくださいました。皆様お待ちです、こちらへどうぞ」
「うん、ありがとう」
皆様って。皆様って。アーシェの肩が緊張に固まったが、見越したかのように次の瞬間、ぽん、とその背を叩かれた。
「大丈夫、大丈夫。いつも通りで良いんだよ、アーシェ」
「……うん」
何が大丈夫なのかはよく解らないが、エルゥがそう言うなら、自分の「いつも通り」を信じよう。
階段を上がって屋敷に入る。開け放たれた扉の向こうに、見た事のある顔があった。昨日紹介されたばかりのユージィンだ。
そうして、背が高いユージィンよりも更に背が高くがっちりした身体付きの、彼によく似た年上の男と、その妻らしき妖精のように綺麗な女性とが並んでいる。
「……待ちきれないといった感じだね、どうも」
エルゥが苦笑した。カリ、と後頭部を掻いて、アーシェをホールに進ませる。
「何も全員で待ってなくてもいいだろうに」
「何を仰いますかな。外まで押しかけなかっただけでも褒めて頂きたい」
「あなたそういうところ、本当におとなげなくてかわいいよね。アニー。……アーシェ、紹介するよ」
にこにことやけに嬉しそうな中年男性をいなして、エルゥは苦笑を浮かべたままアーシェを振り返った。
「こちら、当主のアナステシアス卿とご令室のアレシアさまだ。ユーグは昨日会ったよね。まあつまり、ユーグの家に君をお願いしようと思って」
るんだけど。エルゥがそう最後まで言い終えるよりも先に、キャア、と小さく上がった悲鳴がそれを掻き消した。
「まあまあまあ、なんて可愛いんでしょう! うちの大きいばっかりでむさ苦しい男どもと大違いよ!」
たった今紹介されたばかりのアレシアだった。ふわっ、とまるで羽でもあるかのように、華奢な身体が浮き上がる。彼女が飛び上がったのだと気付くまでに一瞬かかり、アーシェは慌てて両腕を広げた。
「ようこそアーシェ。会えて嬉しいわ。ここがあなたの家よ、くつろいで頂戴」
予想に違わず、夫人は何のためらいもなくアーシェに向かって飛び込んできた。あの身体の大きなユーグを産んだ人、とはとても思えないくらいに細く、いっそ儚いくらいの身体だった。不意を突かれたアーシェでさえ、軽々と受け止めてしまえるほどに。
「あっ、狡いですよアレシア」
その向こう側で、アナステシアスがそんな事を言っている。……なんて?
隣では、ユーグが頭痛を堪えるような仕草で額を覆っていた。
「父上、母上、あまりはしゃがないで頂きたい。彼女が困っているでしょう」
良かった、まともだ。このひとだけはまともだ。きゅうきゅうと嬉しそうに抱きついてくるアレシアの背中を支えながら、アーシェはホッと顔を緩めた。しかし。
「よく来たね。母も言ったが、今日からはここが君の家だ。俺たちのことは家族と思って、気楽に接してくれ」
「ユージィンさま」
「ん? 昨日も言っただろう。ユゥでいいよ。そうだ、家族なのだから、ユゥ兄さまとでも呼んでくれたら嬉しいな」
そんなことを、いかにも女性に騒がれそうなうっとりとした顔で言うものだから、アーシェはまた固まった。いや兄さまて。何だこの家族。何でこんなに歓迎されてるんだ。訳が解らない。
「……あー……」
助けを求めるように振り返ると、エルゥは色々と諦めた様子で天を仰いでいた。いやそこ、遠い目をしないで頂きたい。最後の頼みの綱なんだから!
「……まあ、気持ちは解らないでもないけどね……アーシェはかわいいから。叔母上、そろそろ離れてください。あなたがたはまだ、アーシェに挨拶のひとつもさせてやってませんよ。かわいそうに」
叔母上? では、この一家はエルゥの親戚なのだろうか。道理で親しげな訳だ。
「ほら叔母上、こっち。彼女を困らせないで」
エルゥは容赦なく、妖精のようなその人をべりっと引き剥がした。いつもアーシェにそうするような、丁寧さや恭しさが一切無いのがまた凄い。いっそ清々しいほど態度がはっきりしている。
「何するのよエルファ! こんなに可愛い子を独り占めしようなんて、そうはさせないわよ!」
貴族の奥方がきゃんきゃんと吼え掛かっている、のだが、その妖精のように儚げな姿のせいでどうにも、子犬がじゃれついているようにしか見えない。あれ、貴族ってこんなふうに気楽なものなんだっけ。お作法とか礼儀とかどこに行っちゃったのかな。
見ていられず視線を逸らすと、そんな妻の様子を微笑ましげに見守っているアナステシアス卿と目が合った。こちらは堂々たるその威容を崩さないまま、けれどやさしげな微笑みをにこり、と浮かべてアーシェを見てくる。その瞳は、ユージィンのものとよく似た深い緑をしていた。暖かな生命の色だ。
「ユーグが兄なら、私は父だね。お父さま……ふむ、非常に宜しい。さあおいで、アーシェ。父とも仲良くしよう」
やっぱりこの人もダメだった。まともそうに見えたのに!! いやどうしよう、これホントにどうしたらいいんだろう。だけどこの混沌とした光景に、アーシェは見覚えがあった。
……エルゥだ。エルゥと初めて会ったあの、村長の家の居間での出来事と、この光景はとてもよく似ている。なるほど親戚だ、そっくりじゃないか。これはだめだ。またキレて常識をぶっとばすしかないのか。
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