第三節(前)

 改めて出てきたオントーの街は、やはりとても華やかにアーシェの目に映った。どこを見回しても家や店や露天で賑わっていて、村にあったような空き地がない。びっしりと建物で埋まっている。そんなことだけでも、アーシェにとっては物珍しくて堪らない。


「ご令嬢、時間にはそう余裕がありません。まずはどちらをお求めになりますか」


 ウィルフはあの高級宿を抜け出してからも、従者の態度を崩さなかった。冷静、と言えば聞こえは良いが、アーシェには無表情にしか見えない顔で、静かにそう促してくる。


 まず最初に、何が欲しいか。

「……………」


 アーシェはじっ、と目の前に立つウィルフを見つめた。仕立ての良いズボン、白いシャツ、丈の長い上着。エルゥもだいたい同じような格好をしている。さっき会ったユージィンという人は、その上にマントまで羽織っていた。


 そうして、その三人には当然のようにあって、今の自分には、手元にないもの。まずは一番最初に、それが欲しい。


「剣を」

「え?」

「剣を、持って来られなかったので。私の剣が、欲しいです」

「……………」


 ウィルフは一瞬、絶句したようだった。きっと彼には、予想もしていなかったものだったのだろう。

 だけど、アーシェにとっては一番に必要なものだった。剣は、誓いの象徴だ。絶対に強くなる、というアーシェだけの誓いの。


「……君は、……」


 コッ、と踵を鳴らして。

 ウィルフが歩き出す。アーシェも倣って、彼の後を追った。


「何故、剣を取ろうとする? 我が君は、あれほど君に心を砕いているだろう。守られていればいい。それとも何か、不服でもあるのか」

「いいえ。エルゥにはとても良くして貰っていて、勿体ない位です。感謝しています、本当に」

「では、何故だ。剣など、持たずに生きる方がいいに決まっている。剣は人を殺し、傷付けるための道具だ。君にその覚悟はあるのか」


―――殺すための。


 解っていたはずのその一言に、アーシェは虚を突かれた。

 守りたい、から剣を取った。それはアーシェにとっていつでも、強くなるための手段だった。人を殺せる道具だとは解っている。それでも尚、こうして面と向かって突きつけられるまで、その実感など得たことがなかった。


「……ウィーさんは」


 殺したことがあるんですか。……そして、農民と同じコット姿になってさえ帯剣していた、エルゥも。


「ある。私は騎士だ。その上、軍人でもある。言うなれ、殺すのが私の仕事だ」

 我が君も。

「あの方には、背負う物が多い。……その為に、御自ら手を汚すことを、躊躇わない方だ」

「……………」


 そう、ですか、と応える声がつっかえた。いつもにこにこと微笑んでいるエルゥ。声を荒げるところなど見た事もない、やさしいエルゥ。その彼も、その手を血で汚した上であの穏やかさを保っている。


 それは、いったいどれほどの覚悟なんだろう。


「恐れるなら、剣など持たない方がいい。……それが真っ当なんだ」


 そう続けるウィルフの口調は、どこか痛ましげに聞こえた。カッ、コッ。少しの無言と、石畳を踏む堅い靴の足音。ウィルフはまだ目的の店さえ決まっていないというのに、ゆっくりと街を横切って行く。


 守りたいもの。

……強くなってあの子を守る、には、だって。


(―――……私、が、……さま、……みたいに強かったら)

 じく、と背中が痛んだような気がした。

(今、ここに、せめて剣があれば―――)


 憶えのない台詞が胸に浮かぶ。戸惑うアーシェの耳に、コッ、とひときわ大きな足音が響いた。


「どうする。……我が君は、君に必要なものを一式、揃えろと仰った。剣が必要ならばここを右に曲がる。仕立屋ならまっすぐだ」


 ウィルフだった。立ち止まってじっと、アーシェを見下ろしている。


「……………」


 まっすぐに自分を見下ろしてくるその視線を、アーシェは真正面から受け止めた。

……正直なところ、そんなに簡単に答えなんか出ない。たった今突きつけられたばかりの問いに、すぐ答えられるわけがあるものか。


 だけど。


「右に」


 後悔はしたくなかった。あの時諦めていなければ、という、苦い後悔だけは。


「右に行きます。でも、そのあと、まっすぐのところにも行きますよ」

「……そうか」


 それ以上、ウィルフは何も言わなかった。ただ頷いて、また靴の底がコッ、と石畳の道を蹴る。

 アーシェも何も言わなかった。ただ、くるりと向きを変えて右の細い道へ進んでいくウィルフの背中を、ちょっとだけ微笑んで追いかけたのだった。

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