残り香(暇な殺し屋)

キクジヤマト

第1話 進路

 夏休みにはまだ少しある昼休み。

屋上の日差しは十分暑かったが、川原由美は日陰にハンカチを敷き昼食を取っていた。

友人の河合清香がペットボトルを手にやってくる。

「やっぱりここに居た。暑いのにわざわざこんなとこで」

「お弁当は外で食べる方が美味しいでしょ」

女子高生にしては大きめの弁当箱を手にしながら答える。

「はい、お茶。冷えてるわよ」

「ありがとう」

「相変わらずの大食漢ね、それで太らないなんて羨ましいわ」

「その分、夕食は控えているから。逆に清香の少食には驚きだわ。それで夕食まで持つ?」

「私にはチョコレートという強い味方がいるのだよ、由美君」

「相変わらず好きね、チョコレート」

二人は小学校からの友人だ。

今通っている女子校も、由美が行くならと清香も決めたほど仲が良い。

「由美、まだ受験する大学決めていないの?もう決めないと」

「芸大に行こうかとは思っているんだけど、どこが良いのかまだ迷っているんだ」

「芸大か。私は文系にするから、とうとう離れ離れになっちゃうな」

「じゃあ、清香の行く大学に近い芸大にしようかな。そうすれば頻繁に会えるものね」

「それじゃだめ、由美の行きたいと思うところにした方がいい。美術の三好先生に相談してみたら」

美術の三好先生は60歳近い、生徒からも評判の良い先生だ。

美術部の顧問もしており、その知識と指導力の高さから部員が作品展で入賞をすることも多い。

由美も三好の指導により入賞した一人である。

「相談したら自分が何を目指したいか、決めてからだと言われたわ」

「そう。でも由美はどうして芸大に行こうと思ったの?」

もっともな質問だが、返答に躊躇する由美だった。

その理由が純粋で無いと自分でも判っていたからだが。

由美が芸大に行きたいと思ったのにはある出会いがあったからである。

それは一年ほど前のことだった。

町の美術館へ向かう電車でのことだった。

土曜日の10時を少し過ぎた位にしては混んでいた。

入り口近くの吊革につかまって立っていると、途中の駅に着き乗客が数人乗ってきた。

その中に80歳位だろうか、頭の白くなった女性が居た。

由美は自分が座っていれば変わってあげることも出来たが、あいにく今日は立っていた。

自分と同じ位の学生と思われる男女や若者と言って良い男女が座っていたが、誰も席を譲ろうとしない。

若者とは言えないが、白髪の女性よりかなり若いであろう男女も同様だった。

警察官を両親に持つ由美にはそんな現状が嘆かわしく思えてしようが無い。

だが、席を譲ってあげてと言う勇気も無い自分にも情けないと思っていた。

その時22、3歳位だろうか、作業着を着た男性が

「ここ、座って下さい」

と、白髪の女性の手を取り自分の座っていたところまで連れて行く。

「荷物、上の棚に置きますね。降りる時は僕が下ろしますから」

そう言って膝に置くには重そうな荷物を棚に上げる。

女性よりもその青年の方が先に下車した時はどうするのだろうと、ふと思う由美だったが幸い女性と同じ駅でその若者は降りた。

由美の降りる駅も同じであったためしばらく見ていると、その青年は白髪の女性の荷物を持ち、高架になっているホームから階段を下り改札口まで行く。

そこで荷物を白髪の女性に丁寧に背負わせ、ちょこんと頭を下げる。

「荷物、重いから気をつけてね」

そう言って階段を駆け上がりホームに戻る。

乗ってきた電車とは反対側に入ってきた電車に向かっている。

白髪の女性はそんな青年に向かって深く頭を下げていた。

車内の雑音と席が離れていたため、二人の会話は聞き取ることが出来なかったが、どうやら青年の降りる駅の方が手前だったらしい。

あんな若者もまだ居るんだ。

由美は心が優しく暖かい気持ちになれる場面に居合わせた事が嬉しかった。

あの青年にまた会いたい、と強く願った。


あの日以来、土曜日になるたび同じ時間の電車に乗ることが習慣の様になっていたが、あの時の人にはまだ出会えていない。

3ヶ月ほど経ってからだろうか。

いた。

あの青年が乗っている。

美術館のある駅の2つ手前の、田畑や工場位しか無い駅で若者は下車した。

由美も下車し、若者の後をつける。

東西を走る線路の北側は工場が多く、ある企業の工場が出来たためそれまで無かった駅を作ったのは2年程前だろうか。

それまでは田畑が占めていた南側に所々町工場が出来はじめたのもその頃だろう。

それ以降一軒家やマンションが増えてきて駅周辺も賑やかになってきた。

それでも20分も歩けばまだまだ田畑が目立つ風景になる。

数年後にはその田畑も少なくなるだろう。

その南側の改札口を通って青年は駅から出ていく。

15分ほど歩いただろうか、由美の目に黒いオブジェが映る。

そのオブジェがある工場と言うより広い作業場と言った方が良いであろう建物にその人は入っていく。

由美は作業場を通り過ぎそのまま歩いて行くが、大回りをするようにして元の道に戻る。

作業場から少し離れた所からオブジェを見る。

鉄棒や鉄板を溶接し組み上げられたそれは、きちんとした形になっていない。

しかし由美には母親が子供を抱く姿に見えた。

場所を移動し見る角度を変えると、今度は父親が子供を抱く姿に見えた。

言葉には出来ない気持ちがこみ上げ、溢れ出そうになる。

作業場に入って行こうとしている自分に気づき、踵を返し早足で駅へと戻る。

ハアハアと少し荒くなった呼吸を整えながら

「あのオブジェ、あの人が作ったのかしら。………この気持ち、何だろう」

と声に出していた。


何度かあの作業場の近くに行き見ていると、あの青年が何やら制作している光景を見る。

やはりあのオブジェはあの人が作ったものだろう。

出来れば一緒に制作したいとも思ったが、今はどう行動して良いかも判らなかった。

作業している時の青年はとても素敵だ。

そこに行く電車内でたまに見かける若者の顔が、亡くなってしまった父親に少し似ているなと、なんとなく思っていた。

由美に優しかった父親の、陰を追いかけているのかもしれない自分がそこにいた。

その事が由美に思い切った行動をとることを止めていたのかもしれない。

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