このラブコメに花束を!

天地創造

第1話 今日の俺は七十点

 胸いっぱいに息を吸い込んで、ちゃんと先輩の目を見る。この先何度も繰り返すこの言葉も、最初の一回は誰だって緊張するものだ。

「ずっと前から、先輩が好きでした。私と付き合ってください!」

 私はきっといつまでも覚えてる。十一月の寒さも、高鳴る鼓動も。

 さよならとおはようを繰り返した、この日々のことも。



 恋愛契約、第一条。挨拶は必ずする。

 クリスマス商戦で賑わう商店街を、白い息を弾ませながら駆け抜ける。外は雪が降りそうなくらいの曇天なのに、身体の芯が熱かった。

 駅前にある噴水は名物で、今日も観光客と待ち合わせの人で賑わっている。水の出方が時計になっていて、リアルタイムで動くのだ。

 一度立ち止まって、さっと前髪を整える。人混みの中、一際目立つ白い肌。今日も私が先に見つけた。

「おはようございます、冬真先輩。……待ちました?」

「ううん、今きたところ。奏ちゃん、その服似合ってるね」

 読んでいた本から目を下ろし、冬馬先輩は照れくさそうにはにかんだ。雪より白い肌に、色素の抜けた薄金色の髪。今日も先輩は眩しい。

「さ、今日はどこ行くんですか?」

「こないだ水族館の割引券を貰ってね。しかも今なら、ナイトショー付き」

「了解です。あ、先輩お昼ご飯もう食べました? まだなら私、うどん行きたいです」

 デートの鉄則。常に腹は空かせておけ。満腹は油断と慢心を誘う。昨日読んだ本にそう書いてあった。

 休日の街は人が多い。普段はあまり外を出歩かない私たちにとって、デパートは魔境だった。

「奏ちゃん、うどんに生姜入れる派なんだ。うまいの?」

「美味しいですよ。あったまりますし。……ていうか先輩、いつまでその変な喋り方してるんですか?」

 私の一言に、冬真先輩は箸を止めた。ため息をついたかと思うと、無理してかっ開いていた目を細める。整った顔立ちに似合わない目つきの悪さが、いつもの先輩だ。

「ギャップを狙えと指南されたんでな。それに、色々なキャラを試しておいた方がいいだろう?」

「まぁ、そうかもですけど……。それはナイです。減点対象です」

「くそっ、小娘が……」

「二つしか違わないじゃないですか。早く食べないと伸びちゃいますよ」

 さっきまでの行儀の良さはどこへやら。先輩は勢いよく残りのうどんをかき込んだ。

 お昼ご飯が終わったら、バスに乗って水族館へ向かった。すっかり散った紅葉を踏みながら、寒空の下で水槽を見て回る。冬真先輩は、アレは美味いだのこれは不味いだので、私と見ている角度が違った。

 深海魚コーナーは薄明かりしかないせいで、距離が近くなってしまう。何度か足を踏むたび、ほっぺをつねられた。

 いつもは無口な先輩が、今日はやたらと饒舌だ。ドクターフィッシュに手を喰べられて悶絶したり、大きなサメを見て感嘆したり。

「奏、一番前空いてるぞ。近くで見ようぜ」

「ちょっと先輩、まって……っ!」

 イルカショーの最中、先輩は何を思ったか私の手を引っ張って、一番前の席に陣取った。

 飼育委員のお姉さんの掛け声とともに、飛沫が舞う。跳んだイルカと目があった。そして当然、私たちはずぶ濡れだ。

「さぁっ! それではお客さんにも協力してもらおうかな! そこの濡れちゃったカップルさん、イルカくんと一緒に遊んでくれませんか?」

「よし。いくぞ、奏」

 なんの迷いも恥じらいもなく、冬真先輩は立ち上がる。人前に出るのが嫌な私は最後まで抵抗したが、お姉さんと先輩の圧力に逆らえなかった。

 二人で息を合わせてだとか、手を繋いでだとか。まだ先輩と出かけるのは二回目だというのに、私たちは完全にカップルとして扱われた。

 ショーの最後は、お決まりの大ジャンプで締められた。大きく跳ねた水を被った先輩は、色素の薄い金の髪をかき上げながら笑っていた。

「楽しいか? 奏」

「……先輩といると、退屈しなくていいです」



 春巳冬真先輩とこうして出かけるようになったのは、つい二週間前からのこと。先輩は意識してないんだろうが、こっちは毎回、朝の支度に二時間はかけている。

 先輩とは昔からの知り合いだ。人見知りな私の壁も、この変人は簡単に乗り越えてきた。でも自覚したのは、たぶんここ一年くらいだったと思う。

「晩飯にパスタは洒落てるが、あんまり腹が膨れんな。帰るまでに、なんか軽くつまんでくか」

「いいですね。あ、この先に新しいたい焼き屋さんできたんですよ。どうです?」

 いいな、と言って先輩は舌を出した。

 水族館が終わってバスで戻ってきてから、晩ご飯は少し洒落たパスタを食べた。珍しく、先輩はワインを頼まなかった。駅から少し離れた繁華街、たい焼きとはしまきを経由して、ようやく先輩は満足げにお腹をさすっていた。

 食後の散歩と言う体で、私たちは海沿いの山に続く道を歩いていた。右手には半分のお月様。細波の音が、静かな心に打ち付けた。セーターとコートを着ているのに。寒いせいだ。末端冷え症なせいだ。

 隣を歩く先輩に少しくっつくと、左手が暖かいものに包まれた。何も言わずに、先輩は立ち止まった。汚れたベンチと、縄が張ってあるだけの海を一望できるスポットだった。

「俺は天才だよな?」

「は?」

 この最高に作り上げられた雰囲気で、この人は何を言っているんだろう。眉間にしわを寄せる。冬真先輩はさっき買ったほっとレモンを飲んだ。

「十七歳で本を出し、二十歳になった今じゃ人気作家だ。映画化も控えてる。なにより、俺の作品の一番のファンが、俺の一番近くにいてくれてる。だから……」

「だから、俺は天才だ。って言いたいんですか?」

「……なぜわかった」

「わかりますよ。冬真先輩は全部顔に出てますから」

 嘘だ。なんとなく、言いそうだと浮かんだからだ。

 でも、これは少し意地悪だったかもしれない。この流れを私は知っている。だから、もう口は挟まなかった。

「俺は天才だ。だが俺は未熟だ。……今日の半月と同じだ。一人じゃ外にも出れない。だから俺には、俺を映してくれる鏡がいる。ちょうど、海に映ってる月みたいに」

 自分の息遣いがうるさい。握った左手に力が籠る。

「奏、お前には、俺の半分の月になってほしい。……あぁ、うまく言えん。とりあえず、今日は月が綺麗だな」

 波の音が言葉を流してくれる。湿った風が緊張をさらってくれる。

 うまく言葉が出ない。だから、直接伝えよう。無防備な先輩の背中に、力一杯抱きついた。

「冬真先輩……、すみません! 七十点です!」

 あぁ、やっと言えた。告白は言うのは簡単だが、応える方はなんとも難しいのだ。先輩は海を見ながら、ため息をついた。

「……まぁ悪くない。前回を顧みればな。今回の決め手はどこだ?」

「そうですね……。イルカショーで前行くなら、せめて雨具を買ってからにしてください。あと、水族館での会話が俗っぽかったです。もっとロマンチックに。告白は良かったです。でも、やっぱり『月が綺麗』は実際言われるとちょっとクサいです。言った後に、好きだってもう一度言えばより伝わると思いますよ」

「……恋愛はやはり難解だ。これからも採点頼むぞ、奏」

「はい。次は先輩も私の採点お願いしますね。それじゃ帰りましょうか。面会時間終わる前じゃないと、涼華さんに怒られますし」

 山の上、バスか車じゃないと上り坂がしんどい頂上に、その病院はあった。田舎の街と日本海を見渡せるそこが、私たちの家だった。

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