フラワルド

cokoly

第1話 覚醒者たち

 ロケットが、空へ吸い込まれて行く。

 観客席の最前列で、幼い僕は、ただ無心にその姿を目で追った。

「すごいなあ」

 すぐ横で、父が言った。

 たしか、父だった。

 打ち上げを見にきた観客達はすし詰め状態で、父とは確かに手を取りあっていたものの、人が多過ぎて内緒話も筒抜けになりそうなほどだったから、他の誰かが言った言葉を覚えているだけなのかも知れない。

 でもあれは父の声だった。

 僕はそう思いたい。


「何を見ているの? ユータ」

 耳元で囁くようにエリザが話しかけてきた。

「あの島国が見えるかい」

 僕は船窓に映る惑星の一ヶ所を指さして彼女に示した。

「もちろん。あなたの生まれ故郷でしょ」

「うん。子供のころ、あそこからロケットの打ち上げを見たよ」

「ロケット? ずいぶん昔の話ね」

「ああ。百年くらい前だから」

 僕がコールドスリープから目覚めて、まだ半年しか経っていないのだが、そのあいだ、眠っていた間の歴史を徹底して頭に詰め込んでいたから、その数字はすぐに頭に思い浮かんだ。

 歴史学習は覚醒者の為の精神的なケアの意味合いが強く、社会復帰プロセスの一環に組み込まれていて、半ば強制的に行われるカリキュラムだ。長い眠りから覚めた後には記憶障害を起こす者が多く、歴史を学ぶ仮定で失われた記憶が呼び戻される事もままあるのだという。

 エリザとは、その時同じクラスになってからの付き合いだ。

 僕らは、地球降下候補生として再教育を受けている学生のような存在なのだ。

「眠ってる間に自分の生まれた国が無くなるなんて、想像もしなかったよ」

「百年って、そういう時間なのね」

 エリザはそう言って僕の肩に頭を寄せた。

 僕はエリザの肩を抱く。彼女が頭を軽くぶつけた反発で、ふたりのからだが離れるのを防ぐ意味もある。

「自分の国がないって、どんな感じ?」

「考えてはみたけど、実感がないよ。地上に降りてみれば、また違うのかも知れないけど」

「地上に降りたい?」

「どうかな……」

 僕はおよそ百年前に自分が生まれた惑星の表面を見下ろす。

「近いのか、遠いのか、よくわかんないよね」

「卒業したら、どうするつもり?」

「とりあえず、仕事と国籍を決めないとね」

 僕は冗談めかしてそう答えた。

 生まれ故郷の島国は、惑星の自転活動によって地平線の彼方へと姿を消しつつあった。


 その日のリビング・ルームは朝からざわついていた。

 コールドスリープからの覚醒者が一定の数に達し、このステーション内で社会復帰プロセスを受ける候補生の数が増えた事で、地上帰還プロセスの発動が提案されていた。

 それから既に二年が経ったと言うことだが、地上での様々な政治的軋轢や駆け引きに阻まれて、一向に話が進んでいないという現状については、もはや知らない者は居なかった。

 みんなもう、この状況に慣れている。

 それでもみんなが落ち着かないのは、覚醒者の中でも比較的大きな割合を占めている、僕と同じ島国出身の者たちの処遇についてあまり歓迎的でないニュースが流れたからだ。

「現政権のトップが『あの島国の出身を名乗る者に国籍を与えるなど、許される事では無い』とか言ったらしい。公式見解だとさ」

 寝坊して遅れ気味にリビング・ルームに入った僕はまだ頭が話題についていかず、間の抜けた相槌を打つだけだった。

「俺達に、宇宙で孤児や難民になれって言うのか!」

 誰かが叫んだ。その声は怒りとやるせなさに溢れていた。

 第三者的な立場の国々の者たちは、一様に僕らに同情的な姿勢を示していたが、当事者である現政権国家出身の者達の反応は、ひとりひとり違っていた。ポーカーフェイスを決め込む者、気まずそうにしている者、傲然と胸を張って構えている者。

 エリザが僕のそばに跳んできて、手を握ってくれた。

 僕は軽く小首を傾げて見せる。

 たぶん、他の人たちとは違う事を考えていた。


 訓練教官達が神妙な面持ちで僕らを呼び出したのは、その日の午後のうちだった。

「もう知っているとは思うが……」

 いつもは鬼教官さながらの形相を見せるゴランが、懸命に言葉を選んでいる姿はむしろ微笑ましく、それをみただけで、少なくとも僕の気分は晴れた。

「現状が改善されない限り、君たちはカリキュラム修了後も地上に降りる事が出来ない。我々も力を尽くしているが……尽くしてい…………すまん」

 ゴランは今にも泣き出さんばかりだった。

 僕らは誰も口を開かなかった。

 一介の訓練教官にいち国家の見解を曲げさせる力など期待してはいけない。どれだけ長い間眠っていたとしても、そんな事を分からない奴はいない。僕らはそのことをよく解っている。

 どうにも出来ない事があるという事。

 逆らえない流れがあるという事。

 いや、もしかしたら……

 みんな分かっていないのかも知れないな……


 僕はまた、船窓から地球を眺めていた。

 エリザが天井を蹴って隣に来る。僕の手を握る。

 二人、無言でしばらく星を眺める。

「エリザは、知ってるの?」

 と僕は聞く。

 たぶん、知ってるはずだと思いながら。

「何を?」

 エリザは聞き返す。

「僕らがここにいる理由。百年近くも眠っていた理由」

 エリザは無言で頷く。空気でそれが分かる。

「他のみんなは、どうかな」

「たぶん、私たち二人だけ」

「……そうか」

 だから僕らは惹かれ合ったのだろうか?

 無意識のうちに、お互いの中に、心の奥に閉じこめた自分を見ていたのだろうか?

「僕らは、捨てられたんだよな」

 エリザは何かを話す替わりに僕の手を握り直し、前よりもしっかりと掴んだ。

「私も残る」

 しばらくして、エリザは言った。

「地上になんか、降りないよ」

 僕はエリザの方を見る。

 まっすぐに見つめ返す瞳がある。

「それも良いかもな」

 と僕は言った。

 船窓から外を見る。

 故郷の島国が映っていた。

 目を閉じると、思い出す風景がある。

 ロケットが、空へ吸い込まれて行く。

「すごいなあ」

 と僕はつぶやいた。

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