第42話 間違ってる

「やっぱり王に相応しいのは大将だ! 確信した! 俺は一生大将について行く!」


 襲撃の後、ザックスの嗚咽は興奮へと変わり、宿に戻ってからもそれは収まらなかった。戻る道すがら、ずっと王になってくれとしつこく迫る部下に、クライルは心底うんざりした表情を見せた。


「やだよ~、王様なんて。叔父上見てればわかるけど、全然遊べないんだよ?」


 ふぁ~と大きな欠伸を漏らすと、眠たげに眼を擦る。 


「僕疲れたぁ。部屋で休むよ。リシェルちゃ~ん、今日はお疲れ~。デート楽しかったよ~。じゃ、エリック、あと宜しく~」


 リシェルに向かってぱたぱたと手を振り、部下に実におおざっぱな指示だけ残すと、さっさと階段を上がって自分の部屋へと引き上げていく。殺されかけたというのに、どうしてあんなに呑気でいられるのか。やっぱり実は大物なのかもしれないと、リシェルは思った。

 後を任されたエリックが、主のいい加減な指示を実践的な指示へと変える。


「ダートンは宿に残ってる連中をかき集めて、刺客の捜索に当たらせろ。ザックスは街に散ってる連中を呼び戻せ。休暇は終わりだ。ロビンは街の警備隊に協力を要請。敵は魔道士だから十分注意しろ。仲間がいる可能性もある。確か、この街にも法院の支部があったな。何人かは魔道士がいるはずだ。そっちにも協力を頼んでくれ。俺は副団長に報告した後、宿の警備を強化して、王子の護衛に当たる」


「僕たちはどうすればいい?」


 パリスの問いに、エリックがちらりとリシェルを見やる。


「……宿に残って、王子の護衛を頼む」


 リシェルはぎゅっとローブを握りしめた。理由はわからないが、刺客は自分を連れて行こうとしていた。エリックのこの指示は、実際には王子ではなく、リシェルを守るための配慮なのだろう。何の役にも立たないばかりか、自分は本当にお荷物なのだと、情けなくなる。


「わかった。宿全体に結界を張っておく。仮に外から魔法で王子のいる部屋を狙われてもはじき返せるし、侵入者があれば僕にはすぐわかる」


「ああ、頼む」


 冷静に対処しているパリスが、ひどく眩しく見える。


「あの野郎、絶対にひっ捕まえてやる。俺にあんな真似させやがって……! 許さねえ!」


「口を動かす暇があるなら、さっさと動け」


 息巻くザックスに、エリックの鋭い一言が飛ぶ。それを合図に、部下たちはそれぞれに与えられた任を果たすべく、駈け出した。

 だが、ザックスだけが一度足を止め、パリスの方へ振り返る。


「坊ちゃん……その、ありがとな」


 小さな声で独り言のように言うと、パリスの反応を確認せずに、再び走り出す。ザックスが宿の玄関から出ていく瞬間――――リシェルは開いたドアの向こうで立ちすくみ、じっとこちらを見ていたロビンと目があった。だが、すぐに扉が閉まり、二人の姿は見えなくなる。


「ま、まあわかればいいんだ。わかれば」


 ずっと険悪な仲だったザックスの突然の殊勝な言葉に、パリスは拍子抜けしたような顔をしていた。


(そうだ、私もお礼言わなきゃ……)


 リシェルはエリックに向き直ると、おずおずと声を掛けた。


「あの……エリックさん、今日は助けていただいて、本当にありがとうございました」


 また助けてもらってしまった。感謝すると同時に、最初に彼と会った日から自分が何も成長していないことを実感する。


「今日は宿にいろ。外へは出るなよ」


「はい……」


 短い彼の言葉が、もう面倒を起こすなと言っているように聞こえてしまう。彼もリシェルの不甲斐なさに呆れているのかもしれない。

 沈んだ気持ちのまま、パリスと部屋に戻ろうと歩き出すと、


「待て」


 すぐに呼び止められる。振り返ると、エリックが珍しく何か迷うように僅かに瞳を泳がせていた。その手が懐に伸びる。だが、リシェルの後ろに立つパリスの不審そうな視線に気付くと、すぐに手を引っ込め、表情を消した。


「……いや、何でもない。敵も今夜はおそらくもう来ないだろう。ゆっくり休め」


 それだけ言い残すと、身を翻し、その場を後にした。








「お前、勝手な行動はするなって言っただろう?」


 部屋に戻るなり、パリスは腕を組んでリシェルを睨んだ。


「うん、ごめん……」


「……ったく、僕たちが駆け付けるのが遅かったらどうなってたか」


 言いながら、パリスはエリックの行動を思い返していた。彼はリシェルたちがいなくなった時、迷いなく走り出し、最短距離で彼らのいた墓地へと辿り着いた。なぜ居場所がわかったのか。クライルの母の墓があそこにあることを知っていて、当たりをつけただけなのだろうか。この街は広い。だとしたら大した勘だ。

 それに、ザックスの術を解くのに集中していたせいでよく見ていなかったが、一体どうやってあの刺客に戦意を失わせたのか。相手は魔道士だ。油断して傷を負わされたくらいで、引き下がる理由がない。魔法で傷を治癒するなり、反撃するなり、どうとでもできたはずだ。

 そして、結局聞き出せなかった、アーシェとリシェルとの関わり。

 だが、あの様子ではこれ以上問い詰めても、何も答えそうにない。


(なんにしても、得体の知れない奴だ……気をつけないと)


 正体がわからない以上、なるべくリシェルには近づけない方がいいだろう。


「あの人、どうして私を連れて行こうとしたのかな?」


 椅子に腰かけたリシェルは首を傾げる。自分が狙われる理由に心当たりがないのか、疑問を抱いているようだった。


「さあな。まあ、おそらくお前を人質にして、シグルト様を脅迫しようとか、そんなとこだろう」


「先生を……? お金目的……?」


 過去にあった事件を思い出しながらリシェルが言うと、パリスはその的外れな発言に呆れたように溜息をついた。


「お前さ、前から思ってたけど、自分がどれだけすごい人の弟子なのか、ちゃんと自覚しろよ?」


 刺客は王子の命を狙った。当然、背後には何者かの政治的な思惑があるはずだ。同じ人間の命でリシェルを攫おうとしたのならば、目的は金銭などではなく、同じく政治的な意図にあると考える方が自然だった。


「魔道士は数は少ないけど、魔力という普通の人間が対抗しえない力を持ってる。その頂点に立つ六導師の方々の力は絶大だ。仮に六導師の一人が他国へ寝返ったとしたら、それだけで戦況が一変するとまで言われてるんだぞ? その六導師の中で、シグルト様は最も強い。そのお力を得るためなら、手段を選ばないって輩がいてもおかしくないさ」


 仮にリシェルを人質に取られたとしたら、シグルトはおそらくどんな要求にも応じるだろう。それがたとえこの国を危機に陥れるようなものだったとしても。憧れの魔道士の、目の前の少女への執着を、この身をもって経験したからこそわかる。


「シグルト様にとって、お前は唯一の弱点とも言えるな。これからもこういうことはあるかもしれない。ご迷惑をお掛けしないよう、一刻も早く一人前の魔道士になれるように修行に励め」


 言いながらパリスは、昼間勉強していた時のままになっている、テーブルの上に積み重ねられた魔道書の一冊を手に取った。やはり、リシェルは何者かに狙われている。ロドムを使ってリシェルを手に入れようとした人間と、今日の刺客に彼女の誘拐を指示した人間が同じかどうかはわからない。いずれにせよ、今後もリシェルの身に危険が迫る可能性は極めて高いのだ。付け焼刃でもいい。リシェルに身を守る術を何か一つでも教えてやる必要がある。

 魔道書をぱらぱらとめくり始めたパリスに、


「パリスはすごいよね……私、怖くて何にもできなかった」


 リシェルがしょんぼりとして言った。刺客の纏う雰囲気に圧倒され、逃げることすらできずに、ただ震えていた自分。多少魔法が使えるようになったくらいで、魔道士になれるとはしゃいで、いい気になっていたことが恥ずかしい。


「それは仕方ないだろ。僕とお前じゃ経験が違うんだから」


 パリスは慰めるためではなく、事実としてリシェルに告げた。パリスが通っていた魔術学院で行われる修行は、相当に苛酷だ。魔物の潜む洞窟に一人で放り込まれ、身を守るため、一晩中結界を張り続け夜を明かしたこともある。集中が途切れ、結界が解ければ即座に魔物に襲われ、下手をすれば死ぬ。そんな修行をいくつも乗り越えてきた。実力主義の魔道士の世界では、貴族の血筋も実家の威光も、何の役にも立たない。文字通り血を吐く程の修行に耐えてきた自分は、正直、宮内大臣を務める長兄、国王直属騎士団副団長の次兄よりも、余程度胸はあると自負している。外見でそう思われないのが実に癪だが。


「私……こんなんで本当にちゃんと魔道士になれるのかな? 治癒魔法もなかなか覚えられないし……記憶を取り戻すのも、先生の役に立つのも、無理な気がしてきた……」


 自分の無力を実感したこと、そして唯一の過去の手掛かりである、アーシェがもうこの世にいないという事実を知ったことが、リシェルを後ろ向きにしていた。


「愚痴をぐだぐだ言ってる暇があるなら、練習しろ。そんなんじゃいつまで経っても半人前以下のままだぞ?」


 弱気な発言にぴしりと言い放つと、リシェルはうなだれてしまう。少し強く言いすぎたか。いや、甘やかすのはよくない。すっかりひとかどの教育者のような心持になって、パリスは魔道書に視線を落とす。


「……あのね、パリス」


「なんだ?」


 リシェルでも使えるような初歩の攻撃魔法。敵を倒せなくてもいい。一瞬でも敵を怯ませ、逃げる隙を作れれば。あるいは、自分が助けに駆け付けるまでの時間稼ぎができるような術。ページをめくって考える。この術はまだ難しいか。


「私、先生に結婚して欲しいって言われてるの」


「へえ、そりゃよかったな………………ってええええええええええええ!?」


 リシェルの突然の告白に、パリスは持っていた魔道書を取り落とした。分厚い本がガゴンっと鈍い音を立て、床に倒れる。


(け、結婚……?)


 シグルトのリシェルに対する想いは当然わかっていた。だが、まさかもう求婚までしていたとは。


「魔道士になるのは諦めて、妻になって欲しいって……あの、リンベルト伯爵の夜会の日に言われて……」


 頬を染めながら言うリシェルを見つめながら、パリスは冷や汗をかいていた。図らずも自分はシグルトの、男として勝負をかけたのであろう一世一代の日に、あんな事件を起こしてしまったわけだ。無意識に首を撫でた。……よく今繋がっているものだ。

 いや、そんなことは今はどうでもいい。


「そ、そそそそれでお前、ど、どどうするんだ?」


「……受けようと思う」


 俯いたままリシェルが答える。

 ガゴンっと、なぜか今度は胸の中で鈍い衝撃が走った。


「その、す、好きなのか? シグルト様のこと……」


 問う声は、少し擦れていた。


「……わかんない」


「わかんないってお前……」


「先生のこと、男の人として見てこなかったから……先生の側を離れたら、何かわかるかもと思ったけど、やっぱり恋とか愛とか、よくわからなくて……でも、いつまでも待たせるわけにはいかないし、先生は私の恩人……だから……」


 リシェルが、顔を上げた。


「パリスは誰かに恋したことある?」


「ぼ、僕は……」


 真っ直ぐな、無垢な薄紅色の瞳に見つめられ、心臓の鼓動が早まる。それをごまかすように、声を荒げた。


「あ、あるに決まってるだろ! バカにするな!」


「恋するってどんな気持ち?」


「どんなって……」


「先生から借りてる恋愛小説には――――あ、ローラ・シャルトルって知ってる? 先生が好きな小説家さんなんだけど、その人の本には、相手のことを想うと胸が締め付けられるみたいにドキドキして、その人のことが気になって夜も眠れなくなるって書いてあったけど……そうなの?」


「シ、シグルト様が恋愛小説……?」


 そういえば、夜会の日にリシェルにそんなことを言われた気がする。あの時はきちんと聞いていなかったが。しかも、ローラといえば甘ったるい――男からすると吐き気のする――作風に定評のある、女性に人気の小説家ではないか。

 大魔道士ガルディアと同等と称えられる甚大なる魔力。魔道のさらなる発展に寄与する類まれな知性。けれどそれを鼻にかけることのない、高潔な人格。そのすべてを兼ね備えた最強の魔道士。シグルトに対して抱いていた理想像が、またもや音を立てて崩壊を始めた。……このままさらにシグルトのことを知れば、かろうじて形状を留めているそれは、完全に崩れ去ってしまう気がする。


「お前、シグルト様とけ、結婚するってことは、魔道士になるの、諦めるってことか?」


 リシェルの質問はとりあえず無視し、パリスが問うと、リシェルは再び俯いた。


「……先生は、私に魔道士になって欲しいと思ってないみたいだし……私、才能ないし……」


 パリスやアーシェみたいに――――心の中で付け加える。魔道士は生まれ持った才能がすべてだというなら、天才ではない自分はどれだけ頑張ってもきっと二人のように強くはなれない。それに、魔道士になったからといって、記憶を取り戻せる保障はどこにもないのだ。アーシェという大きな手掛かりは失われてしまった。自分の都合でシグルトを待たせた挙句、一人前の魔道士にもなれず、記憶も取り戻せなかった、という結果に終わる可能性だってある。

 それなら、恩あるシグルトのために、一日でも早く彼の望む通りにした方がいい。師との今の関係を失いたくないという自分勝手な理由で、彼の気持ちと向き合うことを避けていたのだという罪悪感が、リシェルに妙な焦りを生んでいた。


「……お前、それでいいのか?」


「……うん……ごめんね。せっかく色々教えてくれたのに……」


 リシェルの、元よりほとんどなかった自信を、もはや完全に失った様子に、わけもない苛立ちを感じながら、パリスは考える。

 魔道士にならなければ、今回のように任務でシグルトのもとを離れることはない。妻として常に彼の目の届く範囲にいれば、彼女を狙う人間もそう簡単に手出しできないだろう。

 リシェルが魔道士の道を諦め、シグルトと結婚すれば……リシェルの身の安全が確保され、シグルトの想いは成就し、自分は彼女の指導係兼お守役から解放される。万事が上手くいく、これ以上ない最良の選択だ。

 なのに、口から出た言葉は頭で考えたことと真逆だった。


「お前、そんなあっさり諦めるなよ。意外と見どころのある奴だと思ってたのに」


 押し出した声は怒気を孕んでいた。


「才能あるかどうかなんて、まだわかんないだろ。僕から言わせれば、お前なんて勉強も修行もまだ何もやってないようなもんなんだから。それに!」


 突然怒り出したパリスにきょとんとするリシェルに、きっぱりと言い放つ。


「好きかどうかもわからないのに、結婚するなんて間違ってる! 絶対おかしい!」


 言いながら、こんな余計なことを言ったとシグルトに知られたら、今度こそ命はないかもしれない、と意識の片隅で恐怖を感じた。

 それを振り払うように、リシェルに有無を言わさず、宣言する。


「よし、今日から攻撃魔法の特訓を始めるからな!」





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