第25話 姉弟

 クライルに手を引かれ、エリックに導かれてやって来たのは、王城の庭園だった。

 よく手入れのされた花壇に、配色までよく考えられて植えられた花が咲き乱れている。噴水が水を打つ音が心地よく響く。


 庭の中ほどにお茶の用意がされたテーブルが置かれ、周りで侍女たちがせわしなく動きまわっていた。その中でただ一人、静かに腰かけている女性に向かって、クライルが手を振る。


「姉上~」


 女性が振り返った。そこで初めて、リシェルは女性の腰かけている椅子が、車椅子だということに気づいた。

 第一王女は先王の毒殺事件に巻き込まれて、歩けない身体になって――以前聞いた話を思い出す。


「あら、シグルトと……そちらの方は?」


 女性はリシェルを見て首をかしげた。 


(綺麗な人……)


 男ならすれ違えば誰もが振り返るであろう、澄んだ緑の瞳と艶やかな赤い唇が印象的な美人。ゆるく波打つ淡い金髪が、日の光を受けて眩しい程だった。


「シグルトの弟子だよ」


 クライルの紹介を受けて、リシェルはぺこりと頭を下げた。


「はじめまして。リシェルと申します」


「可愛らしい方ね。私はミルレイユよ。よろしくね」


 女性が目を細め、にっこり微笑む。同性だというのに、その美しさにどぎまぎした。

 彼女が先王と正妃の間に生まれた王女で、クライルの腹違いの姉。確かに緑の瞳とふわふわとした柔らかそうな髪質はクライルに似ている。……彼女の方がずっと知的な印象ではあったが。


「さ、遠慮しないで座って~」


 クライルに促され、リシェルとシグルトは席についた。


「エリックも座りなよ」


 傍らに立つ騎士に向かって、クライルが親しげに勧める。


「……俺はいいです」


「遠慮しなくていいのに」


「身分をわきまえているだけです」


「お堅い奴だな~もう」


「真面目なのよ、彼は。あなたと違って」


 ミルレイユがくすくす笑いながら言った。


「僕だって真面目ですよ~」


「女の子ばかり追いかけて、勉強も武術の稽古もさぼっている人のことを真面目とは言わないのよ、クライル」


「姉上~」


 クライルが頬を膨らませ、子供のようにむくれる。

 王位継承を巡っての宮廷での権力争いの渦中にいる、腹違いの姉弟。

 てっきりいがみ合っているのかと思っていたが、ささいなやり取りでその仲の良さが伺える程、二人の間には優しい空気が漂っていた。

 それを、リシェルはひどく羨ましいと感じた。


(家族って、こんな感じなんだ……)


 記憶を失う前の自分にも、もしかしたらこんな風に笑いあえる兄弟がいたのだろうか。

 ふと、視線を感じてリシェルは顔を上げた。

 黒い瞳がこちらを見ていた。

 だが、目が合うとそれはすぐに逸らされる。

 会うのはあの夜会以来。聞きたいことがたくさんあった。


(先生を信用するなって、どういうこと?)


 だが、まさかそれを、シグルト本人の前で聞くわけにもいかない。

 侍女たちがお茶を入れ、お菓子を用意すると、ミルレイユは彼女たちを下がらせた。


「リシェルさんはシグルトの弟子になって長いの?」


 ミルレイユに微笑みながら問われ、リシェルは少し緊張しながら答えた。


「あ、えっと……六年になります」


「先日成人しましてね。本日陛下に正式な弟子としてご挨拶に来たんですよ」


 シグルトの言葉に、ミルレイユは好奇心いっぱいの瞳で彼を見る。


「こんな可愛い子、一体どこで見つけたの? シグルト?」


「……まあ、いろいろありましてね」


 シグルトは王女の様子に苦笑する。


「いろいろって?」


「も~姉上は知りたがりなんだから~」


 弟に呆れたように言われ、ミルレイユははっと口を押さえた。


「あら、ごめんなさいね。お城にいるとすごく退屈で、たまにお客様がいらっしゃると、嬉しくてあれこれ聞いてしまうのよ」


 見かけはいかにも慎ましやかな姫君だが、意外と好奇心旺盛らしい。妙に親近感を覚えて、リシェルは自分から口を開いた。


「え~と、私、実は孤児で、身よりがなかったのを、先生に拾っていただいたんです」


「まあ、そうだったの」


 ミルレイユはその形のよい目を、心底驚いたように見開く。


「シグルトも案外いい所があるのね」


「……一体私をどういう風に見ていらっしゃるんですか、姫君?」


「あら、ごめんなさい。でも、シグルトって昔はほら、結構近寄り難いというか、冷たかったでしょう? だからちょっと意外で」


(先生が……近寄り難い? 冷たかった?)


 ミルレイユの意外な言葉に、リシェルは隣に座る師の横顔を見る。弟子の視線に、シグルトはちょっと困ったようにお茶をすすった。


「そうそう、僕たちが子供の頃、遊ぼうって言ってもちっとも構ってくれなかったし。“遊んでいる暇があるなら勉強でもされてはいかがです?”とか言っちゃってさ~」


 姉の言葉にクライルも同意するように頷く。


「それは私は遊び相手じゃなく、魔道社会学の教師でしたからね」


 どうやらシグルトは、昔この姉弟の教師を務めていたらしい。


「リシェルちゃんにはどうなの? シグルトは怖い師匠なのかい?」


「あ……いえ。優しい……です」


 問われてリシェルは正直に答えた。怖いどころか、甘いくらいだ。


「へえ~変われば変わるもんだね~。それとも、リシェルちゃんが特別なのかな?」


 クライルがにやにやと意味ありげにシグルトを見て笑う。


「ええ、この子は特別なんです。勉強熱心で、真面目な可愛い弟子ですよ」


 シグルトは動じることもなく、さらりと答えた。


「あ、それ嫌味~?」


 クライルは笑ってから、ふと傍らに立つ護衛役を見上げて言った。


「あれ~、エリック? 何そんな怖い顔してるんだい?」


「……別に。俺はもともとこういう顔なんで」


 話しかけるなとばかりに、エリックは主から目を背けた。


「もったいないな~。お前の顔なら、たまにちょっと愛想笑いするだけでもっとモテるのにさ。いっつも無愛想なんだもんな~」


「あら、私はエリック、寡黙で男らしくて素敵だと思うわ。いつもへらへら笑っているよりかはね」


 ミルレイユが口を挟む。


「あれ、姉上、また僕のこと言ってる?」


 口を尖らす弟に、姉はただ笑った。


「ねえ、リシェルちゃんはどお? 僕とこいつなら、どっちが好み?」


「へ?」


 急に振られ、リシェルは口に運びかけていた菓子を皿の上に落とした。


「え~と、それは……」


 一体どう答えるべきなのだろう。


「ちなみに僕はね、リシェルちゃん好きだよ。だって可愛いんだもん」


「あなたは女の子なら誰でも好きだものね」


 姉の突っ込みに、クライルはにっこり笑う。


「でも、一番好きなのは姉上ですよ」


「あら、ありがとう」


 姉も笑顔で返した。


「で、どうなの?」


 再びクライルがリシェルに詰め寄る。


「え、え~と……」


 ここはやはり、王子を立てるべきなのだろうか。でもここで王子を選んだら、抱きついてきそうな勢いだ。

 ちらりとエリックの方を見れば、黒い瞳と視線がぶつかる。だが、特に何の表情も見せず、どう答えるべきか、答えは得られそうにない。


「王子、つまらない質問で弟子を困らせないでいただけますか?」


 シグルトが呆れたように言った。


「つまらなくないって。重要な質問だよ。僕とエリック、どっちがモテるかっていう話なんだから」


「まったく。王子、あなたは昔からそんなことばかり――――」 


 シグルトが言いかけた、その時。


「あ」


 不意にシグルトの手から、茶の入ったカップが滑り落ちた。中身の茶が濃紺のローブにかかり、濃いしみを作る。


「あーあ、やっちゃいましたね……」


「先生大丈夫ですか!? やけどしてませんか!?」


 リシェルは驚いて反射的に立ち上がっていた。


「もう冷めてたんで大丈夫ですよ。でも……」


 弟子を落ち着かせるように手で制した後、シグルトは困ったように濡れたローブをつまみ上げる。


「……これは早く洗わないとしみになっちゃいますね」


「じゃあ、すぐ侍女を呼んで……」


 言いかけたミルレイユに、シグルトは首を振る。


「いえ、これには色々術がかかってまして、他の方に触れられるのはちょっと……自分で洗いますよ。水場はどちらでしょうか?」


「じゃあ、エリック、案内してあげてよ~」


 主の能天気な声に、エリックは眉をしかめた。


「王子の傍を離れるわけには……」


「こんなお昼に、お城の中で襲ってくる人なんていないわ。大丈夫よ」


「そうだよ~、僕も最近お前に稽古付けてもらってるおかげで、相当強くなったし~」


 仕える二人の主に口々に言われ、


「……わかりました」


 騎士は不承不承頷いた。

 歩き出したエリックにシグルトが続く。


「あ、先生、私も手伝います」


 なんとなく、シグルトと二人きりにするのはエリックに悪いような気がした。


「大丈夫ですから、ここにいてください。せっかくお招きいただいたのですから、君はお二人のお相手を」


 シグルトは弟子の申し出をやんわり手で押し留めた。

 二人の姿はやがて庭の木々の向こうへ見えなくなる。


 エリックもシグルトもいない。これはクライルにエリックのことを尋ねる好機かもしれない。


「あの……エリックさんてどんな方なんでしょうか? 地方の騎士団にいらしたって聞きましたけど……」


 なるべくさりげなく、エリックの主である王子に尋ねる。


「そうそう、だたの傭兵だったのが、凄腕だってことでアーデンの領主に気に入れられて、騎士に昇格したんだよ。噂を聞いて、僕の騎士団に引っ張ってきちゃった~」


 クライルはお菓子をつまみながら答えた。


「その前は何をされてたんでしょうか?」


「さあ? よく知らない。あいつ、自分のことあんまり話したがらないからさ」


 クライルはあまり興味もなさそうだ。過去や素性も定かでない人間を護衛役として側に置くのは、度量が大きいのか、能天気なだけか。

 だが、不意に何かを思いついたように、クライルはにやっと笑った。


「何、リシェルちゃんはあいつが気になるの~?」


「別に、そんなんじゃ……」


 なんだか妙な誤解をされているようだ。エリックのことが気になるのは事実だが、あんな意味深なことを言われては誰だって気になるだろう。


「そういえば夜会でも一緒に踊ってよね。あの時のシグルト、殺気立って怖かったな~」


「先生が……?」


 ミルレイユが嬉々として身を乗り出した。


「まあ、リシェルさんてもしかしてシグルトとは恋人同士?」


「ち、違います!」


 慌てて否定するが、


「でも、シグルトはリシェルちゃんのこと好きっぽいよね~」


 クライルは意外に鋭い。かあっと顔が熱くなる。


「ははは、赤くなっちゃってかわいーね。もう告白された?」


 クライルはからかうように笑った。


「……!」


 答えないのは肯定しているのと同じだが、とっさに嘘が出る程、リシェルはこういう会話になれていない。


「まあ、そうなのね? 素敵」


 ミルレイユは頬を染め、うっとりと呟く。その表情は“恋に恋する乙女”そのものだ。

 クライルは頬張った菓子を、茶で流し込んでから、続ける。


「でも、シグルトってさ、結構嫉妬深そうだし、陰湿なところあるからさ。エリック、今頃殺されてたりしてね~」


 さらりと怖いことを言う。

 もちろん冗談のつもりで言ったのだろうが、エリックには何かシグルトとの因縁がある。そのことを知っているだけに、今こうしている間にも、二人に何かあるんじゃないかと、リシェルは今更ながらに彼ら二人きりにしたことを後悔した。








「君が無口なのは、もともとですか? それとも、私とは口も聞きたくないのかな?」


 先程から一言も発しない、目の前を歩く騎士に向かってシグルトは声をかける。


「………」


 答えはない。エリックは黙って歩き続ける。


「ああ、もうこの辺でいいですよ」


 シグルトが急に立ち止った。


「……水場はまだずっと先だが?」


 エリックは怪訝そうに振り返り、初めて口を開いた。


「洗う必要なんかないのを思い出しました」


 シグルトはそう言って、ローブの茶で濡れた部分を一撫でした。一瞬にして乾き、広がっていたしみが消える。


「……」


 エリックはそれを見て微かに眉を寄せた。


「そうそう、あともう一つ思い出しましたよ」


 シグルトは懐に手を突っ込むと、小さなガラス玉を取り出した。


「これ、君に返さないとね」


 ガラス玉の中には、装飾を施された指針が一つの方向を指し示し、ふわふわと浮いている。

 夜会の日、エリックがシグルトに渡した“羅針盤”だ。


「いや、本当に助かりましたよ。君がこれを持っていてくれていてね」


 笑顔を見せるシグルトに、エリックは険しい視線を向ける。


「……あんたが持ってろって言ったんだろう?」


「問答無用でいきなり斬りかかって来た割には、素直な子供だったんですねぇ、君は」


 シグルトはガラス玉を取りだしたものの、それをすぐには返そうとはせず、手に収めたまま、大切そうに撫でている。その仕草は、愛おしげにすら見えた。


「君には感じ取れないだろうけど……この羅針盤に宿ってる魔力の波動がとても懐かしくてね……」


 シグルトはどこか切なげな表情でガラス玉を撫で続けながら、顔を上げずに尋ねた。


「あの子は……アーシェは、何と言って君にこれを渡したのかな?」


「………」


 ――――これ、あげる。特別よ?

 彼女はそう言った。


「こんなものを作って渡すなんて、よほど君のことを信頼してたみたいだね」


「俺は……俺たちは……一緒に過ごした時間はあんたより短くても、アーシェのことを本当の家族みたいに思ってた」


 エリックは、言葉を絞り出すように、どこか苦しげに答えた。


「……それはあの子も同じだったんだろうね……」


 シグルトの脳裏に蘇る、弟子の最後の姿。

 ……せ、んせ……お願い……あの子たちに……手を、出さないで……

 息も絶え絶えの懇願。決して甘えることをしなかった弟子の、最初で最後の願い。

 ――違う。甘えることを許さなかったのは、自分だ。

 襲ってくるのは、どうしようもない自己嫌悪。


「あんたは……どうだったんだ?」


 エリックは射抜くようにシグルトを見つめた。


「あんたは、アーシェのこと、どう思ってた?」


「……」


 シグルトはそっと、ガラス玉を手で包みこんだ。それから、玉に付けられている細い金の鎖をつまんで、差し出す。ガラスの球体がゆらゆらと揺れた。


「返すよ。……君にとってこれは、アーシェの形見だろうから」


「……質問に答えろよ」


 エリックは差し出されたものを受け取らない。

 シグルトの口元に薄く笑いが浮かんだ。


「君と同じように想ってたら、あんなこと、できるわけないでしょう?」


 黒い閃光。

 白い雪。

 赤い飛沫。

 灰色の髪。

 一瞬にして六年前の映像が浮かぶ。

 エリックはシグルトの手からガラス玉を奪い取るように乱暴にひったくった。


「あんたが……あんたさえ現れなきゃ……俺たちは……!」


 奥歯を噛み締め、黒い瞳に燃えるような憎悪を宿して、エリックは目の前の男を睨みつける。六年前、あの時と変わらぬ姿で立っている憎い男。変わったのは、まとうローブの色だけだ。

 シグルトは笑みを消して、無表情にエリックを見返した。


「……そうですね。私さえいなければ、君たちはずっと仲よく暮らして行けたかもしれない。憎いでしょうね、私のことが」


 エリックは答えなかったが、その目を見れば答えを聞くまでもない。


「君たちにとって私は……本当に“悪魔”なのかもしれないな……」


 囁くように呟き、シグルトはエリックに背を向けた。

 その背に向かって、エリックは決意と怒りを投げつける。

 手に、大切な人がくれた羅針盤を握りしめながら。


「俺は……俺は必ずエレナを取り戻す……! そして、あんたを……!」


「……君には無理ですよ」


 シグルトは振り返らず、ただ事実を伝えるかのように一言だけ言い残し、静かに元来た道を戻って行った。


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