第24話 国王

 王城に着くと、出迎えに来た近衛兵に案内されるシグルトとブランの後について、リシェルはパリスと並んで歩いていた。


 初めて足を踏み入れた王城は、先日訪れたリンベルト伯爵邸など比べ物にならない壮麗さだった。声が反響しそうな高い天井、柱から窓枠から隙を許すまいとするかのように細部に至り施された装飾。あちこちに飾られている、芸術に疎いリシェルですら名を知っている画家や彫刻家による作品……だが、その豪華さと比例するように、場内にはどこか威圧的な雰囲気が漂っていた。


 法院と違って、すれ違う人々に冷たい目で見られることはないが、なんとなく身がすくむ。


(国王様ってどんな方なんだろう?)


 ブランは苦手だと言っていた気がするが、怖い人なのだろうか。粗相があったら、すぐさま牢屋に入れられたりしてしまうのか。

 あれこれ想像してますます緊張が増す。

 横を歩くパリスは法院で見た時より顔色もよくなり、堂々と前を向いて歩いている。 


「緊張しないの?」


 小声でそっと尋ねると、パリスは尊大に自分よりやや背の低いリシェルを見下ろした。


「まさか。僕はユーメント公爵家の嫡子だぞ? 陛下には子供の頃から何度もお会いしてる」


(そ、そうだ。パリスって大貴族のお坊ちゃんなんだった)


 どうやらこの緊張を分かち合うことは期待できないようだ。

 二人の会話が聞こえたのか、目の前を歩くシグルトが顔だけ振り返って言った。


「リシェル。国王の御前に出たら、パリス君の行動をよく見て、その通りに君も真似して下さい。いいですね?」


「は、はい」


 そういえば、国王陛下の御前でどう振舞えばいいのか、訊いていなかった。こんな直前に、“パリスの真似をしろ”という漠然とした指示しかくれない師を内心恨む。

 案内の兵士はやがて、一つの扉の前で足を止めた。


「こちらになります」


 長身の兵よりも、倍ほど高さのある、両開きの扉をゆっくりと押し開く。

 リシェルたちが立つ扉から、真っすぐに濃い緑色の絨毯が敷かれている。絨毯の行きつく先、正面の一段高くなった場所には、高い背もたれと肘掛のある豪奢な椅子が見えた。椅子、というより、それは玉座と言った方がいいのだろう。その両側に、身なりの良い、二十人ばかりの男たちがひしめき合っていた。ある者は軍服を、ある者は文官のローブを着ている。

 国の重臣たちなのだろう。全員がリシェル達に視線を注いでいる。


 

 注目され、リシェルはごくりと唾を飲み込むが、一行は兵に導かれ、玉座の前へと進み出る。


「シグルト導師とブラン導師、お見えになりました」


 兵士が声を張り上げると、一時置いて、玉座の横に引かれたカーテンがさっと引かれ、一人の壮年の男が姿を現した。

 部屋にいる全員が一斉に頭を下げる。慌ててリシェルもそれに倣う。

 男はどっかと玉座に腰を下ろした。


「楽にせよ」


 周囲の動く気配で、リシェルも頭を上げる。

 

(この人が、国王ジュリアス様……)


 リシェルの想像していた、王冠をかぶり、太った体に宝石をじゃらじゃらと身に付けた、物語に出てくるような王様とは全く違っていた。


 日に焼けた浅黒い肌に、引きしまった身体が武人であることを感じさせる。金の肩章と飾緒のついた赤い軍服がよく似合う。淡い金髪には王冠こそなかったが、緑の瞳に宿る鋭い眼光が、絶対権力者の威厳を示していた。

 この王城に漂うどこか威圧的な空気の源は、この人なのだと納得できた。


「シグルト、ブラン。この二人がお前たちの弟子か」


 ジュリアスは白いローブをまとう二人を交互に見てから、まずパリスへと目を向けた。


「ユーメントの末の息子か。しばらく見ないうちにまた大きくなったな。お前の自慢話は、父から聞かされておるぞ。いずれは我が国を代表する魔道士になるだろう、とな」


「滅相もないことでございます。ですが、いつかそのようになれるよう努力したいと存じます」


 パリスは国王に話しかけれても、特に動じることもなく、模範的な回答を即座に返す。

 緑の瞳が、今度はリシェルを見る。途端にリシェルのもともと緊張で強張っていた身体が、もはや身動きできない程固まる。


「ふむ。そなたがシグルトの弟子、か……」


 ジュリアスの緑の目がすっと細められた。


「噂は聞いておったが……なるほど、美しい娘だな。このような美女を傍に置くとは羨ましいことだな、シグルト」


「恐れ入ります」


 冗談ぽく言って笑う国王に、シグルトは軽く頭を下げた。


「二人とも、前へ」


 ジュリアスの言葉に、リシェルとパリスは師匠二人より前に進み出る。

 パリスがその場で膝をつき、胸に片手を当ててこうべを垂れたので、リシェルも慌ててそれにならった。


「そなたたち二人を準宮廷魔道士に任ずる。これがその証だ」


 ジュリアスの傍に控えていた高官の一人が、そそくさと小さな箱を持って二人の前へ立った。

 ビロード張りの箱の中には、星を象った徽章きしょうが二つ入っていた。

 パリスがそれをうやうやしく両手で受け取り、頭上にかかげもったので、リシェルも真似をする。緊張で手が震えそうになるのを必死でこらえた。

 文官が巻物を手に、何やら長々と口上を述べているが、まるで頭に入ってこない。


「師匠たち同様、この国の支えとなって欲しい」


 国王の発した低く威厳のある声が、ようやく意味ある言葉として耳に響いた。

 会場に居並ぶ臣下たちから拍手が沸き起こる。

 パリスとリシェルは立ち上がり、国王に向かって丁寧に一礼した。


「リシェルよ、そなた王城に来るのは今日が初めてであろう? ゆっくりしていくといい。本当はそなたとシグルトを招いて、妃と茶の席でも儲けたいところだが……なにぶん最近忙しくてな」


「い、いえ。ありがとうございます」


 そう言葉を返すのがやっとだった。もっと何か言わねば失礼かと焦るが、ジュリアスはただ満足げに頷く。


「では、余はこれで失礼する。また会おう」


 玉座から立ち上がるとカーテンの奥へと姿を消した。

 王が退席すると臣下たちも続いてぞろぞろと退室していく。

 

「お疲れ様でした。これで終わりですよ」


 シグルトの言葉に、リシェルはようやくほっと肩を撫でおろした。文官の口上の間、ずっと手を掲げていたせいで、肩と腕に疲労感がある。


「意外と短かったでしょう?」


「はい。でもやっぱり緊張しました」


 ほんの短い時間ではあったが、精神的にも肉体的にもどっと疲れを感じた。

 手の中にある、渡された徽章を見る。星を象り、宝石を散りばめられたそれは、見た目よりもずっしりとした重さを感じる。


「これで……私、本当の本当に先生の弟子になったんですね……」


「君はずっと私の弟子でしたよ。今も、昔もね」


 シグルトは微笑んでリシェルの頭を撫でた。







 部屋を出ると、一人の青年が待ちかまえていたように話しかけてきた。


「やあ、叔父上との謁見は終わった?」


「王子。ここで何を?」


 ブランが驚いたように青年に問う。


(王子? この人がクライル王子?)


 ということは、彼が前国王の息子で、現国王ジュリアスの甥ということだ。

 ふわふわとした柔らかそうな茶髪と、どこか気の抜けた笑顔が、親しみやすいというより軽薄な印象を与える。緑の瞳こそ同じだが、ジュリアスとは対照的な雰囲気だった。


「君たちを待ってたんだよ~。というか、シグルトの弟子に会いたくてね」


 クライルはリシェルへ、好奇心いっぱいの視線を移す。


「リシェルちゃんだっけ? この間のリンベルトの夜会では話せなかったけど、ほんとに可愛い子だねぇ」


 目じりを下げ、へらへらと笑いかけてくる。


「僕はクライルっていうんだ。よろしく~」


「よ、宜しくお願いします……」


「ねぇ、この後時間があるなら僕とお茶していかない?」


「え?」


 突然の誘いに、驚くリシェルの反応をどう思ったのか、クライルはぱたぱたと手を振る。


「やだなぁ。誤解しないでよ。ちょうど今から姉上とお茶するから、よかったら君もどうだい? 姉上も可愛い女の子が来たら喜ぶし~。あ、師匠も一緒でいいからさ」


 リシェルはどう答えるべきか、戸惑ってシグルトを見上げた。師は苦笑いして頷く。


「……まあ、私も同席させていただけるのでしたら、構いませんが」


「よし、決まり。ね、こわ~い君の師匠に釘刺されてるからさ。僕のことは警戒しなくて大丈夫だよ~」


「は、はあ……」


 リシェルは曖昧に相槌を打つ。


(これが、一国の王子様……)


 事前に“女好き”だの“ボンクラ”だの、彼に関するあまりいいとはいえない噂を聞いてはいたが、そう評されても仕方ないと思われた。


(悪い人じゃなさそうだけど……)


「ブランたちはどうする~? 一緒にお茶してく?」


 クライルに問われて、ブランは首を振った。


「申し訳ありませんが、仕事がたんまり溜まってましてね。急いで法院に戻らないとなりませんので」


「そっかぁ。残念。じゃあ、また今度ね~」


 単なる社交辞令だったのか、クライルはさして残念そうでもなく、くるりと反対側を振り返って声を張り上げる。


「お~い、エリック~! そんなとこに隠れてないで、姉上のとこ行くから道案内頼むよ~」


 クライルの口から飛び出てきた名前に、リシェルの心臓が跳ねた。

 王子の呼びかけに、廊下の角から姿を現したのは、赤い騎士服をまとった若い騎士。

 なぜか眉間にしわをよせ、見るからに機嫌が悪そうだ。


「……別に隠れてませんよ。それより道、まだ覚えていないんですか?」


「だってこの城、僕の子供の頃とはえらい変わっちゃってるしさ。叔父上がしょっちゅう改装やら増築してるせいで、さっぱり覚えらんないよ~」


「……この間王女のところへ行った時からは変わってませんよ」


「え、そうだっけ~?」


 能天気な主の返事に、エリックはため息をつくと、


「……こちらです」


 赤いマントを翻して歩き出す。


「さ、あいつが道案内してくれるから行こう~」


 クライルは素早くリシェルの手をつかむと、エリックの背を追って歩き出した。


「え、あの……?」


 相手の身分を考えれば、振りほどくような無礼な真似もできず、リシェルは戸惑いながら引っ張られていく。

 シグルトが眉を寄せたのを見て、ブランが慌てて小声で耳打ちした。


「お、おい。頼むから王子の腕を折るのは勘弁してくれよ」


「……じゃあ、足にしておきましょうか」


「シグルトっ!」


「……わかってますよ」


 シグルトは不機嫌そうな表情を隠そうともせずに、リシェルたちの後に続く。


「……王子、頼むからシグルトを怒らせるような真似しないで下さいよ」


 ブランは祈るように呟いてから、クライルたちの姿が見えなくなると、一息つき大きく伸びをした。


「よ~し、あいつらが優雅にお茶してる間に、俺たちはとっとと法院に戻って、シグルトに押し付けらた仕事を片づけるぞ。お前には責任取って、みっちり働いてもらうからな」


 勢いよく歩き出してから、パリスが付いてこないことに気づいて、足を止め、怪訝そうに振り返った。


「ん? おい、パリス。どうした?」


 パリスは、リシェルたちの去った方向を見て、呆然と立ちすくんでいた。


「あいつ……まさか……あの時の………?」


 思わず零れた小さな呟きは、師の耳には届かなかった。


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