滅子奉公

水神竜美

滅子奉公

「子供の為に移植用の心臓が必要なお金持ちがいるんで、誰か十二歳未満の子供を一人寄越すように」

(……は……?)

 いつもの必要性の分からない朝礼で、店長はいつもと少し違う、全く理解出来ない命令を下した。

「ネットで偶然知り合った人なんだが、お子さんが移植しないと治らない心臓病だそうで、子供の心臓くれたら一億くれるそうなんだわ。流石に赤ん坊の心臓ではサイズが合わないそうだが、四歳から十二歳位までなら何とかなるそうなんで、その範囲の歳の子がいる人の中から話し合って決めるように」

 さも当然とでも言わんばかりに、いつもの指示と同じような口調で突拍子もない事を口走っている。

「……あの……」

「はい?」

 全員頭の中は聞きたい事だらけだった中、二児の母である松本さんが勇気を出して発言してくれた。

「子供を……寄越すようにっていうのは……」

「言った通りですよ?誰の子供でもいいから一人寄越して下さい」

 店長は相変わらずの有無を言わせない口調で二重顎を揺らした。

「……え……でも心臓移植って……」

「だから心臓がいるんだって。一億で売れるんだぞ?子供を寄越した人にも特別に一千万やるから」

「でも型とかが合う臓器じゃないと……赤の他人の臓器じゃ拒絶反応起きるから駄目でしょ?」

 話が進まないので、私がつい割って入ってしまった。

「ああ、それは大丈夫。金持ちが滅茶苦茶投資して作らせた拒絶反応を抑える薬ってのがあるそうだから、サイズさえ合えば性別も血液型も何でもいいんだと」

「……そんな薬あるんですか……?」

「一般の病院で使われてる薬ってのは売って儲けられるものだけなんだよ。その薬は一つ作るのに滅茶苦茶金かかるから普通には出回らねえんだと」

「……?」

 その説明は筋が通っているのかいないのか、医学界や製薬業界の知識が無い自分には判断出来なかった。

「……でも……心臓を移植なんてしたら……取られた方は……」

 また松本さんが口を開いた。

「移植しないと病気の子供が死ぬんですよ?」

 若干苛ついた口調になった店長が、太鼓腹を揺らしながら松本さんに向き直る。

「いや……何で私達の子供が……?」

「他の誰かの子供が死ぬのはいいんですか?」

「それは可哀想ですけど……別に私達の子供じゃなくても……」

「俺は子供いないんだからしょうがないだろ」

「いやだって普通は脳死した人とかからでしょう……!?うちの子は元気ですし……」

「それを待ってて今の今まで心臓来なかったから高い金出して買うっつってんでしょ!?それ位分かれよ!」

 いや分からねえよ。

 どうして分かると思うんだよ。

「病気の子供の診断書を見れたとか、本当の話だって確認は何かしらとれてるんですか?ネットでは詐欺なんて普通にありますよ?」

 とりあえず当然持つ疑問を私がぶつけた。

「手付けに百万円くれたぞ。それなら大丈夫だろ」

 店長の怒り顔が若干得意気な顔になった。

「……手付けって……たった一%なのは普通なんですか……?」

「詐欺や悪戯なら百万も払わないだろ。ぶっちゃけこれだけでもうちの店は随分助かるし、貰った以上は契約果たす必要があるんだよ。だから今日中にちゃんと決めるように。以上!」

 よく開店時間を過ぎたりと毎朝無駄に長い朝礼は、この日ばかりは唐突に終わった。

 腹を揺らしながら去っていく店長を尻目に、私達従業員は顔を見合わせた。

「……どうします……?」

「いや、どうしますも何も……」

「寄越せる訳無いじゃん……」

 この和風レストランで私と共にホール係をしている松本さんと安さんは、戸惑いつつも迷いの無い口調で言った。

 安さんは小学一年の娘さんがいるシングルマザーであり、松本さんは小学三年の長男と保育園に通う五歳の長女がいて、保育園は店の近くにあるので何度か娘さんの千恵ちゃんを店に連れてきた事があり、母親とよく似たぽっちゃり系の彼女の顔は皆が知っていた。

 ちなみに私こと上島は三十代独身子無しで、もう一人この場に残ったホール係の沼田さんは結婚経験はあるそうだが、妊娠した途端に旦那のDVが始まり、中絶して離婚したと以前話していた。

「――まあ、そうですよね――」

 彼女らの口調を聞く限り、我が子を犠牲にするなどという選択肢は最初から存在していないようだ。まあそれが普通だろう。

 だが。

「ほら、店長に言われたんだからどっちが出すか決めといてね」

 一度店長に付いてこの場を離れた後戻ってきた市橋さんは当たり前のように指示してきた。

 うちの店も他の飲食店と同様に一人二人の正社員とその他大勢のパートで構成されているが、市橋さんはパートであるにも関わらず実質チーフだか主任だかのような位置にいて、毎日我々に威張っては店長に平身低頭している人だ。

 ちなみに彼女は高校生、中学生、小学生の息子を持つ三児の母である。

「え……?」

「いや、無理ですって……」

 彼女が店長に無条件に従うのはいつもの事だが、同じ母親である彼女からも我が子を殺すように言われた松本さんと安さんは流石に戸惑いを見せた。

「無理じゃなくて決めてよ。うちの店の経営が厳しいのは分かってるんでしょ?そうなったのは皆一人一人の責任なんだから関係ないなんて言わせないわよ」

「……いや、子供達は関係ないでしょう……?」

「そんな事言うのはもっと店に貢献してからにしてよ。こないだだって松本さん料理出来てるの気付かなくて遅れたでしょ?」

 それと子供を殺させる事と何の関係があるんだ。論理が無茶苦茶だ。

「ていうか市橋さんが率先して子供差し出すかと思ってました」

 私はまたつい思った事を口に出してしまった。

 普段から尊敬出来る部分が見当たらない店長に対して粉骨砕身尽くしている市橋さんだが、以前彼女の自宅の隣の家が火事になった時にも早退せず最後まで仕事していた時から、この人は店や店長の為なら我が子も捨てられるんじゃないかと思うようになっていたのだ。

「はあ?何であたしが犠牲になんなきゃいけないの。なるなら店への貢献が足りてないあんた達でしょ?ていうか貢献っていうなら。本当ならあんたか沼田さんが犠牲になるべきなのよ?申し訳ないと思わないの?」

 私と沼田さんが下に位置付けられているのは確かだが、市橋さんはそれを理由に松本さんらの子供を犠牲にするのは私達のせいだと言いたいらしい。

 まあ正直もし期限が長かったら、私か沼田さんが店長に妊娠させられてたんじゃないかという危惧はあったが。

「……ていうかキッチンの人達はどうなんですか?」

「もう大きくなった子供しかいない人か学生バイトしかいないから無理だって。だから松本さんと安さん二人で話し合って決めて」

 いつものように有無を言わせない強い口振りで、実現不可能な命令を下してきた。とてもこの二人と同じ母親の言う事とは思えない。

「…………」

 思わず名指しされた二人に視線をやったが、二人は目を合わせたまま酷く困惑していた。



「で、どっちにするか決まった?」

 比較的暇な時間帯に全員がそれぞれ休憩に入った後、また本格的に店が動き出す午後五時過ぎ、また市橋さんが二人に聞いてきた。

「いや……無理ですよ……」

 他に言い様がない、といった様子で安さんが口を開いた。

「はあ?あれだけ時間あって話し合わなかったの?ちゃんと相談するように言われたでしょ?」

「いやどれだけ相談しても同じですよ……子供を犠牲にするなんて無理です」

「そんな事聞いてないでしょ、何で言われた事が出来ないのよ」

「何と言われても無理ですよ……出来ないものは出来ません」

 やや怯えながら松本さんも加わる。

「二人共分かってんの?そのお金がないと店が困るのよ?」

 一段階声を大きくして、相変わらず高圧的な態度で言う事を聞かせようとしているようだが、どれだけ脅かされても聞ける指示と聞けない指示があるだろう。

「何、まだ決まってないの?」

 その声を聞き付けてか、奥から店長も出てきた。

「そうなんですよ店長……話し合うように言ったのに二人共無理だの出来ないだの」

「誰でもいいからさっさと三人で話し合って決めちゃってよ」

「……え?」

 思いもよらない言葉を聞いた、という顔で市橋さんは店長の顔を見た。

「何?市橋さんも子供いるんでしょ?何で二人にだけ言ってるの」

 市橋さんの顔が悲しげに歪んでいった。

 まあそうなるだろうな、とは思っていた。

 市橋さんはいつも私達の仕事を見ては重箱の隅をつつくように粗探しをして何かしら注意をしていたが、そんな市橋さんの重箱の隅をつついていたのが店長だ。

 本人は店長の特別のつもりだろうが、店長は我々パートの事は平等に見下している。店長が優しく接する相手などいないのだ。

「どうしても決められないって言うなら俺が決めるぞ?」

「――はっ?」

「安さんは一人、松本さんは二人、市橋さんは子供は三人だけど十二歳以下は一人だったよな?」

 横でデッキブラシを握り締めて掃除をしていた私が思わず漏らした声など聞こえていないのか、店長は最初から拒否などという選択肢は無いといった態度で話を進め出した。

「数で言ったら市橋さんが良さそうだけど、一番小さい子がいるのは松本さんだよな?やっぱり小さいうちに死ぬ方が家族も受け入れやすいか?」

 市橋さんは自分が選ばれないか怯えているといった表情だったが、安さんと松本さんは呆然としていた。

 理解不能の出来事に遭遇すると人間というものは何も言えなくなってしまうのかもしれない。

「あーでも金が欲しいのは安さんか?確かに悩むなー…」

「……やめて下さい」

「ん?」

「何と言われても、子供を死なせるなんて出来ません」

 巨体を見上げながら、安さんがきっぱりと言い放った。

「安さんは嫌か?そう言われても一人の意見だけを聞いて決める訳には……」

「私も出来ません」

 松本さんもはっきりと拒絶の意志を伝えた。

「……あなた達またそんな事言うけどね、あなた達が拒否すると他に死ぬ子供がいるんだって分かってますか?」

「いやさっき金が貰えれば詐欺でもいいって言ってましたよね」

 また店長が矛盾した言葉を吐きそうだったので、私は思わず突っ込んでしまった。

「は?俺がいつそんな事言った?」

 苛つきの籠った顔がこちらに向けられる。

 私は持っていたデッキブラシを近くの壁に立て掛けて店長に向き直った。

「朝、私は『本当に病気の子供はいるんですか?』って質問したんですよ。私は病気を建前にした人身売買なんじゃないかと思ったんです。でも店長は金が本当に貰えるかどうかしか気にしてなかったでしょ。子供の命とか言ってるけど本音では金さえ貰えればどうでもいいんでしょう?」

「そりゃそうだろ。そもそも俺は皆が得する話をしてんだし」

 開き直りですらない、本気でそう思っているという口調で店長は言った。

「だって子供寄越せば一千万渡すって言ってるんだぞ俺は?いいか?あなた達の子供が一生かかって一千万稼げるか、稼げたとしてもそれだけの額を丸々親にくれると思うか?それにどうせ金にするならまだ子供への出費も少ない小さいうちに代えた方が得だろう?」

 何より、と店長は一息ついた。

「子供がいなければ、急な病気だとか学校の行事だとかで店を休む必要も無くなるだろう?その方が良いじゃないか」


 よく分かった。

 店長は、私達をスイッチを入れている間だけ動く機械のように思っている、あるいは機械のようであるべきだと思っている。

 私達は仕事が終わった後に家に帰り、普通の生活を送っているのだが、店長はそれすら必要ない、店の為には店員はそんなもの無くすべきだと思っていて、それが店員というもののあるべき姿だと掲げているのだ。


「とにかくもう決定してるから、どうしても寄越したくない子がいるんだったら先に言っとけよ。何も言わないで後からこの子だけは~なんて言うのはおかしいからな?」

 怒りとかここで退く訳にはいかないなどの強い気持ちが、急激に冷めていくのを感じていた。

 話の通じない相手と話をするのは、こんなにも時間を無駄にする事なのか。

 阿呆らしい。

 そんな脱力感を感じていると、厨房の奥の勝手口ががちゃりと開いた。

「お母さーん?」

 背伸びしてノブを捻りながら、松本さんの娘の千恵ちゃんが顔を出した。

「――――!」

 思わず血の気が引いた。

 店長を見ると、振り向いて千恵ちゃんを見ながらにやりと口の端を上げて、そちらへ足を向けようとしていた。

「っ!」

 気がついたら、松本さんとデッキブラシを手にした私は我々に背中を向けた店長に向かって駆け出していた。

 千恵ちゃんに近づいていった店長の膝の裏辺りを、振りかぶったデッキブラシの柄で思い切り叩いた。

「だっ!?」

 日頃から負担が大きそうな膝はあっさりと崩れ落ち、その隙に店長の前に回った松本さんが千恵ちゃんを抱き締めた。

「店長!」

 市橋さんの悲痛な声がどこか遠くから聞こえた。

 千恵ちゃんが保護されたのを見て、店長と松本さん達の間にデッキブラシを構える姿勢で入った。

「何してるのあんた!警察呼ぶわよ!」

「いや先に刑法破ったのは店長でしょ」

 店長に駆け寄った市橋さんの怒鳴り声も、もう恐ろしいとは感じなかった。

「それに怪しいおっさんがにやにやしながら小さい女の子に近づいてったって時点で今なら立派な通報案件ですよ。これで誘拐してたら言い訳しようがないでしょ」

「はあ!?言われた通りにしないから店長が動くしかなかったんじゃない!店員なんだから言われた事をしなさいってだけでしょ!」

「……なら辞めます」

「……は?」

 震えた声が後ろから聞こえた。

 視線をやると、震える手で小さな子供を抱き締めている松本さんが目に入った。

「店員なら従いなさいって言うなら……お店辞めます……お店より子供の方が大事だから」

「何言ってんの、いきなり辞められる訳ないでしょ」

「私も辞めます」

 きっぱりとした口調で、安さんも言った。

「……抗議のつもり?分かってんの?そんな事したら……」

「あ、私も辞めます」

「あ……私も……」

 私も続いた後、安さんの後ろにいた沼田さんも口を開いた。

「――は?」

「人の子供を殺して作った金で用意した給料なんて貰えないですし、こんな事する店だって分かったら今までの給料だってどうやって作ったのか分かんないと思っちゃって。勤め先なら他にもあるし」

 私がそこまで喋っている最中に、ようやく店長が顔を上げた。

 ただ不機嫌な顔、と見えた。

「……あんた達!普通辞めるなら一ヶ月は余裕持って言うもんでしょ!人も足りないのにいきなり辞められると思ってんの!?」

「だから先に法律破ろうとしたのはそちらでしょ」

「……法律法律って……証拠見せろって言われたらどうする気……?」

「あ……ずっと録音してました……」

 私と市橋さんが言い合いになっていた遠くからぽろっと沼田さんが呟くと、市橋さんが凄い勢いでそちらに振り返ったので、今度はその二人の間にデッキブラシを構えて入った。

「沼田さんグッジョブ!」

 その動きを見てか松本さんが立ち上がると、千恵ちゃんを連れて勝手口のすぐ近くにあるロッカー室へと歩いていった。

「――!――ちょっと!」

 市橋さんがそちらに向き直った直後、安さんもそちらへと歩き出した。

 沼田さんもついていくように歩を進めたので、私もその二人と店長と市橋さんの二人の間に入るようにして一緒に移動した。

「沼田さん、そのデータ私も貰っていい?」

「あ……はい」

「……ちょっと……みんな……!」

 五人共ロッカーに入ると、少ししてから市橋さんが駆け込んできた。

「まだ店はやってるのよ……?今日だけじゃなく四人もいなくなったらどうするのよ……?」

 声には今まで聞いた事が無いような悲痛さが感じられた。

「金でどうにかすればいいじゃないですか」

 振り向きもせず、私はそれだけ言った。

 全員さっさと支度を終えて出ていくと、市橋さんも力ずくで止める気は無いようで大人しく道を開けてくれた。

「……お前らまたすぐ就職出来ると思ってんのか……?上司に従えない奴なんてどこもいらねえんだよ……!」

 勝手口のノブに手をかけたら店長が急に声を上げたが、そのまま開けて出ていった。



 それからその人達とは会っていないが、少なくとも私はすぐ再就職先が決まった。

 店長と市橋さんがあれからどうしたのかは分からない。

 とりあえず確かなのは、あれから間もなく地元の新聞の隅っこに小学生の男の子が行方不明だという記事が載った事と、今はあの店は空き店舗になっているという事である。

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滅子奉公 水神竜美 @tattyi

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