首相公邸執事の話

天上和音

第1話

東京からその辺鄙な病院に辿りつくのに半日もかかった。

首相公邸付きの執事といえばかなり上位の公務員だったろうに、こんな田舎の施設で家族を遠ざけた単身療養生活とは、何か理由があるに違いないと思った。

「佐藤くん。親の介護で苦労した君だったら、病気の老人の気持ちをほだすのは苦手じゃないだろ」

昨日の午後、私はデスクの部屋に呼ばれ極秘の任務を言い渡されたのだった。

「癌で余命わずかな老人のインタビューがなぜ超極秘扱いになるのか、さっぱりわかりませんが」

「インタビュー内容によっては、日本の未来が変わってしまうかもしれないからだ」

「それで社名やデスクの名前も一切伏せろと言うことですか。まさか私の命が狙われるようなことはないでしょうね」

「ウニクロの潜入記事の時の変装は見事だったよね。そのお手並みを今回も活かしてくれよ。君のボディダブルには地方出張させて本業の方のアリバイは作る。社長が生命保険と損害保険を1億円分づつ用意してくれた」

「一体何なんですか、そこまでする極秘任務って」

「首相公邸に出る幽霊の正体だよ」


「佐藤さんでいらっしゃいますか。私も佐藤と言います。帝国会議城東地区の組合員をしてます」

読みかけの新聞を畳みながら点滴中の老人は椅子を進めてくれた。

「よくここが分かりましたな」

付け髭の粘着テープがかゆいのを我慢しながら滑舌悪く答えた。

「はい、この隠れ家のような病院を探し当てるのに苦労しました」

4人部屋にいるのはこの佐藤氏一人だけだった。

「医者や看護師以外の方と話ができるのは2年振りくらいかな」

「ご家族もここをご存じないのですか」

「知っているのは家内だけだ」

「そこまでしないと危険なのですか」

老人は刺すような目で私を凝視した。長い沈黙が続いた。

「どこまで知っているんだ、あんたは」


「佐藤さ~ん。点滴終わりますよ~」

中年の看護師が勢いよく病室に入ってきた。

「おや、珍しい。お見舞いのお客さんが来られるなんて」

「昔世話になった人でね」

看護師は手際よく抜針して、絆創膏を張り付けながら私に声をかけた。

「駅から遠かったんじゃありません」

「タクシーもめったに通らないんですね」

「この10年で町の人口は4分の1に減ちゃったって、町内会で聞きました。駅前のシャッター街見ました? 病院も昔は行列ができたんですけどね。あ、佐藤さん、今日はお風呂の日よ」

勢いよく点滴台のキャスターを鳴らす音が廊下を遠ざかって行った。

「あの看護師には気を付けてくれ。保健省とのつながりがある。外へ出よう」


病院の中庭は贅沢なくらい広く、遠くに車いすの患者や見舞い客などを眺める一番端のベンチに私たちは腰かけた。

「ちょっと失礼する」

老人は黒いプラスチックの箱を取り出すとスイッチを入れ、またポケットにしまった。

「それは盗聴装置をダメにする・・・」

「良く知っているな。まあ最初から組合員でない事は分かったが。本当はメディアの人なんだろう。しかも改革派の」

「どうして分かるんです」

「本当に帝国会議の組合員なら、メイソン流の独特な挨拶を交わす。それと、君のことを教えてきた親友は、事実を事実として残しておく最後のチャンスだと言ってきた。彼は3日前に突然死したが、たぶん消されたんだろう」

たえず背後を振り返りながら、佐藤元執事は本題に入った。

「私に聞きたいのは、公邸に出る幽霊の噂のことだろう。辞めてから、それしか聞かれたことがない」

「これまでの報道ではずっと否定されつづけていますよね。でも違う話もあるようなことを聞きしまして」

「もちろん、幽霊などいやしない」「・・・だが、幽霊と呼ばれた人間たちはいた」

「誰の事ですか?」

「米国務省とCIAの関係者、通訳・・・そして武装した特殊部隊だ」


「だめだ、メモは取るな!録音もだめだ!」

「武装したアメリカ人がどうやって公邸に入れるんですか」

「アメリカ大使館とつながる地下トンネルがある。それも1つじゃない」

「そんなもの一体いつ作ったんですか」

「終戦直後なのか朝鮮戦争の時か知らないか、進駐軍がいた頃のことだ」

「塞がなかったら危ないじゃないですか」

「地下道はアメリカ大使館の附属物で治外法権なんだ。公邸に引っ越した首相には最初の晩、彼らが夜中に挨拶に来る。就寝中の首相にとってはまさに幽霊だったわけだ」

「地下道のこと、誰も知らないのですか」

「他言無用だ。外に漏らした人間は殺された」「アメリカに歯向かえば本当に殺されると教えるため、武器を持って夜中にやってくるんだ」

「佐藤さんは、見たんですか」

「見てたら、とっくに死んでいるよ。」「公邸で軍靴の音を聞いたと騒いだ首相を覚えているかね」

「林さんですか」

「彼は暗闇の中で冷たい銃身を顔に当てられ、目が覚めて大声をあげたんだ。警備員が飛んでくる前にアメリカ人たちは帰ったが、本当のことを言うわけにはいかない。そこで作り上げたのが幽霊話だった。私にだけはその晩のことを教えてくれた」「ところでさっきからこちらを双眼鏡で眺めている男が屋上にいる。今日はこれで終わりだ」


佐藤氏の病室に戻り、暇を告げようとしたとき、先ほどの看護師がやってきた。

「佐藤さん、よかったわねえ。お仲間ができたわよ~」

「今日入院した麻糸(あさし)と言います。宜しくお願いします」

ごま塩頭が60台くらいか、痩せて痩身というより筋肉が引き締まった痩身を思わせる色黒の初老男性は、とても病気には見えなかった。

いやな予感が当たってしまった。再訪を約束した翌日に病院に行くと、佐藤氏はすでに霊安室にいた。奥さんとはついに連絡が取れなかった。遺体は葬儀屋が瞬く間に遠方へ運び去った。電話が鳴った。

「佐藤か。ホテルには寄らずに社にすぐ直帰しろ」デスクだった。

変装のまま取材鞄一つでハイヤーに飛び乗った。鞄を開け閉めしているうちに、その底に封筒が張り付いているのに初めて気が付いた。

「公邸の幽霊のことです」の見出しで始まる佐藤氏の原稿を読んで背筋に冷たいものが走った。アメリカ大使館と首相公邸を繋ぐ地下道の話、メイソン以外の首相は全員就任時に武器で脅されること、反米的な首相は麻酔の上大使館へ拉致されて体に傷の残らない薬物による拷問を受ける事、一時的に錯乱するのでヘリコプターに吊るされたなどあり得ない幻覚として拷問の記憶が残ること、などなどが淡々とつづられていた。原稿は車内で写メに撮ってデスクへメールした。

その後一気に疲れが出て眠落ちしてしまったようだ。


ヘリコプターの音がやかましい。

目が覚めてタクシーから見る外景は、まるで米国の街中にいるような錯覚を起こした。

「ど、どこだここは?なぜアメリカにいるんだ」

やっと米軍基地の中を走っていることに気付いた。

「ここで降りてもらいますぜ。文秋の佐藤さん」

運転手は帽子と眼鏡を取って振り返った。縮れた髪の毛のメキシコ系の顔が現れて驚いた。ライフルを構えた屈強な黒人米兵が2名こちらに走ってくる。


「近衛デスクおめでとうございます」

「いやいや、それもこれも君たちのおかげだよ」

出版社文芸秋月の新役員就任パーティーでは一介の編集部次長からいきなり役員に出世した近衛義経氏の話題で持ちきりだった。

パーティーには民自党の総理経験者や霞が関の高官たち、そしてアメリカ大使館関係者も駆けつけていた。

文芸秋月会長によるお祝いの演説は、パーティー会場隣りの控室にもTV中継された。

「近衛君は米国AI通信社との提携を成功させ、わが社の情報配信の新しい形態を切り開いてくれた・・・」

ビールを片手に中継を眺めるまばらなメディア関係者の中には、近衛氏のかつての部下もいた。

「いまだに佐藤は失踪したままなのかい」

佐藤氏のかつての同僚で現在は日本文化チャンネル富士の記者が、同じくかつての同僚で衛星テレビ・アラブジーラに勤める記者に尋ねた。

「佐藤が命がけでアメリカ大使館の裏ネタを取材して、それを近衛が取引につかって役員就任につなげたらしい。と、KHNの友達が言ってたよ」

「へえ。その友達、今日のパーティーには来てるのか」

「先週KHN本社の中で転落死した。前日には9.11のグローバルトレードセンターについての新しい放送企画を私に自慢してたんだけど。自殺だそうだ。警察の発表では」

「日本の警察は怖いよな」

「司法省で医務官やってた同級生が言ってた。政治家やジャーナリストの自殺って自殺じゃないんだ。詳しく教えてもらおうとしたら、これ以上言うと俺の命がヤバイから聞くなよって」

「ほう、今も司法省にいるの?」

「そいつも今、行方不明なんだよ」

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