第5話 幼馴染からのハグ

  サヤトの姿が見えなくなっても、ユウタはまるで黒い靄に覆われたように項垂れていた。


 そんな彼を見たフワリが後ろから近づいてくる。


「ユーくん。ユーくん」


「何……わっぷっ!」


  振り向いたユウタの視界が突然真っ暗になり、顔面が柔らかい感触に包み込まれる。


  それは、ふくよかでありながら確かな弾力があって、ずうっとそこに顔を埋めていたくなる至高の柔らかさだ。


  同時に微かな桃のような香りが、嫌な事を忘れさせてくれる。


  しかし、そこに浸ってばかりもいられない。その柔らかな物の正体をユウタは知っているからだ。


「ちょっと、ちょっとフワリ姉」


  フワリはユウタの後頭部を両手でしっかり掴んだまま、首を横に降る。


「だ〜め。フワリが、ユーくんの暗くていやーな気持ちを吸い取るまでは、こ・の・ま・ま。ぎゅう〜〜」


  そ、そんな〜。……でも、ずっとこのままでいたい……。


  今のユウタは、いつ人が来るか分からないマンションの廊下で幼馴染で年上の女性に抱きしめられている状態だ。


  顔に押し付けられる柔らかいものは、フワリの着ているセーターの生地だけではない。


  二つの、服の上からでもわかる大きな胸のふくらみの間に、ユウタの顔は挟まれている。


  抜け出せないほどの強さで挟まれてはいるが痛みなどある訳なく、ひたすら気持ち良い。


  怒られた記憶も何処かへ消え、やわらかな二つの山に挟まれていたいと思っていたその時、ある音で現実に戻った。


  それは誰かが階段を上ってくる音。しかも徐々に近づいてくる。


「フワリ姉! フワリ姉!」


  返事をするフワリはまるで酩酊したかのように、口調が間延びしていた。


「ん〜? どうしたの?」


「人来る。誰か上って来るよ!」


「別に見られてもいいんじゃないかな〜?」


  いやいや良くないよ!


  ユウタは必死に理由を考える。その間も階段を上る音が大きくなっていく。


  「も、もう僕は大丈夫。もう元気になったから」


「うん、もういいの? 元気になった?」


「なったよ。ありがとうフワリ姉」


  頰を赤く染めたフワリは名残惜しそうな視線を送りながらユウタの頭を解放した。


「ユーくんが元気になってくれたのは嬉しいけど、私はもっとぎゅう〜〜ってしてあげたかったな」


  フワリの表情からは、まだまだ物足りないといった雰囲気だ。


  ある事件のせいで、フワリは落ち込んでたり悲しんでいる人を助けてあげようと抱きしめる癖があった。


  その事件はショウアイ姉妹に深い傷を残し、ユウタにとっても、あるトラウマの原因でもある。


「ユーくんが笑顔になってくれてよかった。行こう」


「うん」


  登ってきた宅配業者とすれ違いながら、ユウタ達はマンションを後にした。




  二人は車を借りる為、近くのレンタカーショップに寄った。


  フワリが選んだのは、イエローボディのちょっと丸っこくて可愛らしい二人乗りの小型車だ。


  ユウタは助手席に乗り込み、フワリが運転席につく。


  電気自動車エレカは目的地までの自動運転も可能だが、それには非常時に備えて運転手が座っている事が必須条件だ。


  運転手になるには運転免許が必要で、これは十五歳から取得できる。


  ユウタが十五歳を迎えた時、二人で取りに行ったのだが、フワリは実技筆記共に満点を取って一発合格。


  けれどユウタは失敗してしまった。バーチャルシミュレーションの実技試験で、他の生徒の車が信号無視で突っ込んできたのだ。


  勿論怪我などはなかったのだが、猛スピードで交差点の陰から現れた車体を見たときの衝撃が今も忘れられない。


  時速数十キロの塊が突然視界に飛び込んできた時、ぶつかると分かってても身体は動かず、隣の試験官がブレーキを踏まなければ確実にぶつかっていた。


  それ以来、ユウタは車を運転するのが怖くなり、酷い時は一時車に乗ることもできなかった。


  今は乗ることに何の問題もないが、運転だけは――ほぼAI任せでも――今も恐怖が蘇ってしまう。


  なので今回も運転席にはフワリに座ってもらう。周りの目がみっともないと語っていても、駄目なものは駄目だった。


  フワリとユウタがしっかりとシートベルトを締めると、車載AIが機械的な女性の声音で目的地を訪ねてきた。


「目的地を教えてください」


  フワリがユウタに行き先の確認を取る。


「ユーくん。東京港でいいんだよね?」


「うん。そこで大丈夫」


  確認をとったフワリは丁寧語でAIに頼み込む。


「分かった。東京港までお願いします」


「目的地を設定しました。発車します」


  AIが返事をすると、ハンドルが一人でに動き、レンタカーは静かに動きだした。

 



  ユウタ達が住む街の名は首都東京にあり、希望と書いて、希望のぞみ市という。


  その首都機能は以前から変わってはいないが、更に重要な役割が課せられていた。


  二人のGN28星人が地球を復活させるために持ってきたアイテム。世界の源ヴェルトオヴァール は彼らが最初に降り立った街の地下に設置されている。


  そう、この街を中心として世界は元の姿を取り戻したのだ。


  だから、希望の名を冠した名前が付けられることになったのだ。




  街を走る車は全て電気自動車エレカで、ほとんどが自動運転で走行している。


  音も静かで騒音は皆無だ。ただ静かすぎる事が原因で事故が起きた過去があるため、


 走っている時に、歩行者がある程度近づいた場合は警告音が鳴るようになっていた。


  ユウタは目的地に着くまですることがないので、ドアの窓から外を眺める。


  たくさんの人がそれぞれの目的の為に歩いている。


 ポケットに手を突っ込んだおじさん。


 忙しそうに、電話をしながら早歩きのサラリーマン。


 ショルダーバックの肩紐がねじれた事に気付いてないのかそのまま歩くおばさん。


  その中でユウタは気になるものを見つけた。


  大きなバックパックを背負った二人連れの男女の外国人が、道行く人に話しかけている。


  どうやら観光か何かで希望市に来た旅行者のようだ。


  道が分からなくて誰かに尋ねているようだが、恐らく日本語が喋れないのだろう。


  断られたり、聞こえないふりをされて、二人は右往左往している。


  そんな彼らの背後から、が近づいてきた。


  福福フクツ産業が開発製造しているOperatorオペレーターFlameフレーム60略してOF-60だ。


  男女は近づいて来たヒューマノイドに気づくと躊躇うことなく話しかけた。


 OF-60は様々な言語を理解して話すことが出来、外国人旅行者の要望に相槌を打ちながらある方向を指差して歩き出す。


  どうやら目的地の行き方が分かったのか、二人の外国人旅行者には笑顔が戻っていた。


 その後も歩道を見ていると、女性警察官がしゃがみこみ、一人で泣いている女の子を宥めていた。


  女の子は涙を拭いて立ち上がると、女性警察官に手を引かれて歩き出した。


  きっと交番に行って親を待つのだろう。


  ユウタと同じ光景を見ていたのかフワリが話しかけてきた。


「今の女の子、迷子かな?」


「一人で泣いてたからそうかも。でもお巡りさんが一緒だったから大丈夫だと思う」


  フワリはまるで自分の事のように女の子の無事を知って胸をなでおろす。


「良かったぁ。もしユーくんが迷子になったら、おまわりさんより先に、フワリが飛んで来るから安心してね」


  フワリは冗談でもなく本心で言っているのが、その柔らかな笑顔で感じ取れて、ユウタは窓の外に顔を向ける。


「フワリ姉。僕高校生なんだけど……」


  母さんといいフワリ姉といい、子供扱いするのはそろそろやめて欲しいな。そりゃ僕はヒョロッとしてるからそう見えるかもしれないけどさ。

 

「ごめんごめん」

 

  フワリが両手を合わせて謝るのが、窓に鏡のように映っていた。


  それを見ながらユウタはこう思う。


 僕がヒーローだったら、困ってる人を助けに行くんだけどなぁ。

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