第四十四話 果たすべき使命

 お互いに一撃を入れ、私ならば、影に触れて出来た傷を生命力で浄化。彼ならば、私の攻撃によりできた傷を影で修復。そしてそこから、また一撃二撃と入れる。あれからずっとこれを繰り返している。


「はぁ──!」

「──ぬぐぅ」


 彼からはもう、影を使った攻撃は纏わせる以外に使えない。彼の本質は妖。どう足掻こうと、強大な妖の前にはいずれ飲み込まれる。これ以上、影による規模が大きめの攻撃をすればコントロールができなくなる。その証拠に、私が付けた傷を影で修復してからその修復箇所に皮膚はなく、あけるのは真っ黒な影だけ。もしも満足に影をコントロールできるのならば、傷口が影そのものになるのは有り得ない。


 そして私自身も、影により傷つけられ付着した影を浄化する度、体ではなく心が壊れていく。もう既に、私からは何かが消え失せている。頭に何かが浮かんでも、そこにあるのはシルエットだけ。浄化に使う生命力は魂であり、それを分離させるというのは自らを破壊するも同然。

 私は彼から傷をつけられるほど、彼は私からは傷をつけられるほど、自身の力に侵食されている。


 ──だが、お互いに、己を削ってまで、戦う必要がある。


「う、お──!」


 今まで以上に腰を入れた拳が来る。


 ──私は両腕を使って頭を守る。


 痛覚はとうに壊れている。慣れない拳での攻撃により骨も粉砕し、血塗れになる。だが、今の私にはその傷よりも自身が壊れていくという傷の方が大きい。どんな外傷もすぐに治せるのだから。


「───」


 考えようとする度に何かが壊れる。ヒビが入る音がする。砕け落ちる音がする。


 自身を奮闘させるために、手動でしていた体の修復はいつの間にか自動的にされるようになる。その結果、己の崩壊を止めることはできない。


「───!」


 拳が腹へ迫る。それ紙一重で回避し拳を叩き付ける。


 ──しかし弾かれる。


 そこからカウンターの回し蹴りを腹に受ける。同時に、退くことなどせず同様の回し蹴りを左腕に当てる。そこから怯むことなくもう一撃、拳を入れる。


 決定的な実力差はない。圧倒的な攻撃は一つとしてない。

 お互いに時間はない。つまるところこの戦いは、どこまで持つかの、そしてどちらが早く倒れ、破壊されるのかの持久戦だ。


「っ……」


 彼自身の手も骨が砕け血を流している。その顔は痛みで歪んでおり、あまりにも耐え難いものなのだと理解できる。


 視界にノイズが走り始める。もうまともに彼の顔を見ることはできない。


「たあっ──!」


 彼の渾身の攻撃が私の右胸に命中し、ドスッと鈍い音を鳴らす。


「──ぁ」


 その反動で体から力が抜け、膝を着く。そして同時に吐血する。


 ──今のは、効いた。痛覚は既に壊れたはずなのに、体の中では痛みという感情で支配された。体が悲鳴を上げている。


 そこから更に、彼は動きが止まった私を蹴り飛ばす。ぶっ飛ばされた体は神殿の石柱に叩き付けられる。


「──は、」


 肺から空気が吐き出される。そのまま酸欠状態に陥ったのか、体が上手く動かない。立ち上がることすら。


 痛覚は壊れども、体に与えられるダメージは想像を絶する。痛みがないからわからないが、恐らく何本もの骨が既に折れ、また粉砕している。十分に人の限界を迎えているのだ。


 ──足音がする。私の傍に彼が来るまでの数秒が経過した後、私はきっと何も考えられなくなる。全てが破壊されるほどの傷を負う。


 それが、私は怖い。


 だから、破壊される前にもう諦めてしまえば、どれほど楽だろうと考える。たった目を閉じるだけで、どれだけのことから解放されるのか。


「終わりだ。もう、十分だ」


 彼が歩み寄ってくる。

 彼も私と同じく既に走れる体ではなくなっている。同じくして体は壊れてきている。どちらも、残り数分もしないうちに崩壊するだろう。

 今私が目を閉じようと、全てを投げ捨てようと、その崩壊が少し早まるだけ。


 なら、もう眠っても───



 その瞬間、うっすらと何かを見た。


 初めて私を救ってくれた誰かの姿──思い出せない。

 私に名前をくれた人──思い出せない。

 私を守ると、自身の立場を無視してまで思ってくれた人──思い……出せない……。


 思い出せないが、きっと大事な人ということはわかった。


「……ぅ」


 その誰かに、私はまた救われた。そして、誓を立てた。救ってくれた命を生かして、今度は私も守ると、誓った。


「ぅあ……あ……」


 沢山、幸せを奪った。ただの自分勝手な嫉妬と憎悪で、何もかもを奪った。そして、私自身も何かを失った。


 彼が迫ってくる。私にトドメを刺そうと、ボロボロの体でふらつきながら。


 ──諦めて、たまるか……!


 確かに、私は十分と言われる程に戦った。自分の罪を償うために、生きて戦った。私にはそれ相応の理由があった。

 だが、彼には何も理由はない。ただ、以前の私のように心の中の憎悪から衝動的に動いているだけだ、そんな理由のない者に、ましてやかつての自分自身に、敗北してもいいのか。


 それだけではない。

 私はまだ、あの人に謝っていない。今まで自分がしてきたことに対して、何も謝っていない。


 だからこそ、まだ私は死ねない。諦めても行けない。ここで立たずに眠るなんて論外だ。


 私の帰りをずっと待っていた人。最後まで私を守ると約束してくれた人。今もずっと、私を信じてくれている人。


 ──そんな仙狐様を、今度は私が助けなければならない。それが、私に課せられた最後の使命だ。

 その使命を果たす。その為にも、彼は倒さなくてはならない。



 ──私の目的のために、お前は、絶対に倒す……!



「うぁぁぁぁアアッッ!!」


 立ち上がれ。そして、己との戦いに勝利して見せろ!


「うあっ──!」

「ぐっ……、ぬぅ……」

「はぁぁアア──!」


 彼を倒す、それだけを考えろ。他は何も考えなくていい。ただ倒すためだけに、ありったけの拳をぶつけろ。


「お前──いい加減に──!」


 彼の言葉を封じるかの如く、私はひたすらに拳を叩き付ける。腰が入っていないだとか、威力が足りないだとかは気にするな。ただ、今出せる限界を彼にぶつけろ。


 たった一撃ではない。二撃、三撃、四撃、五撃、六撃、七撃───


 彼に攻撃させる余裕を無くす程に殴れ。全力で彼に傷をつけろ。これが最後の攻めどきだ。ここを逃せば、私は何も果たせないまま崩壊する。

 だからこそ、今ある命を燃やし尽くせ!


「──っ、うぐ……!」


 一瞬の隙を突かれ反撃を受ける。

 当然だ。はいどうぞと殴られる生き物はいない。誰しも反撃くらいする。

 強力か強力でないかなんて関係なしに、今の私と彼ではどの攻撃も殆ど致命傷に近い。確実に崩壊へのカウントダウンを進めている。

 だからこそ、お互いに素早く怯ませトドメを刺そうとしている。


「……ぁ……う……」


 たった一撃で再び動きが止まる。視界のノイズもさらに酷くなる。

 もう私としての存在はほんの少ししか残っていない。私を形作る魂の殆どが砕け散った。もう自分の名前すら思い出せない。

 そんな私に再びトドメを刺そうと彼は近づいてくる。


 ──だが、まだこの体は動ける……!


「、あぁ──」


 既に左足は動かない──ならば、右足を使って動け。まだ倒れるな、私の倒すべき相手はそこにいる。


 トドメの一撃だと迫り来る拳に合わせて、最後の抵抗と言わんばかりに、私も渾身の右拳を彼めがけて突き出した。回避することもなく、お互いに出せる最後の一撃は──



「──ぇ?」


 私のだけが、彼の胸に届いていた。

 そして、彼の拳は私の顔へ届く直前で止まっていた。


「……タイムリミット……さっきの連打で削られたか」


 彼は自身の体を見る。その体は既に殆どが黒く染っている。

 ほんの少し、彼の方が影に侵食されるのが早かった。体を動かす為の場所が、恐らく侵食されたのだろう。もう彼は、自分の意思では動けない。


「──お前は、己との戦いに勝利した。ただそれだけだ」

「………」

「早く目的を果たせ。その体が、完全に崩壊するまでに」


 彼は何か安心したような暖かな声で告げる。やりきった、ということなのだろう。何も後悔はしていない顔だ。


「……『分離』」


 メシアと私の結合を解除させる。

 私の手に握られているのは、あの時彼が折って投げ捨てた翡翠色の刀の剣先。それが今、彼の胸に突き刺さっている。


『──光闇分離』


 その一言をトリガーに、剣先は光を放ち彼はその光に包まれていく。その時に見せた彼の表情は、笑顔であった。


「もう、お前には必要ない」


 そして、彼は影と分離させられると同時に姿を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る