第三十一話 闇に染まった猫族

 ──悲鳴が聞こえる。助けてとひたすらに許しを乞う姿が見える。


「くだらない」


 そんな人間を容赦なく妖化した影で瞬時に取り込む。その行為を幾度となく繰り返し、近くにいる人間達を一掃する。


「どうしてわからないの。貴方達が何もかも悪いんだって。謝っても遅いって」

「やめろ、死にたくな──」


 こんな頭の悪い種族に対して慈悲はない。最後の言葉なんて聞く必要も無い。ただ私が食べて、存在そのものを抹消する、それだけだ。


「………」


 周りに誰もいない。少し前までは喜んで近づいて来た可愛い生き物達も怯える。

 そうだ、これでいいんだ。元々私が望んでいた光景がこれではないか。楽しかったあの時は泡沫の夢でしかなかったんだ。


「あれ、なんで一人なんだっけ……」


 おかしいな、さっきまでは沢山人がいたのに。何だかぼーっとしていて記憶が曖昧だ。


 ──もう、よくわからない。


 ここはどこで私は人間を殺していて……。そうだ、早く人間を殺してこの森を平和にしないと。


 どこに行けばいいのかがわからないまま適当に歩き始める。そうしていれば、いつかは向こうから近づいて来てくれるだろう。


「──そこまでだ」


 そう思っていた矢先に背後から女の声が聞こえた。振り返ると、そこには人間ではなく猫族がいた。


「……誰?」

「お互い初めましてだな。もしかしてとは思ったけど、まさかホントに会えるなんてな……!」


 その猫族は剣を片手に持ち、矢立どころか矢すらないのにもう片方の手に弓を持っていた。そしてその弓を私は一度見た事があった。


「この弓は持ち主と繋がっててね。魔力自体は消失したけど、契約が魔法を使用しないからその繋がりは絶たれてなかった。食われても食った生き物の追跡くらいならこの弓だけで簡単にできる」

「……何の話?」

「とぼけんなよ。この弓、見覚えあんだろ。レーナさんを殺した張本人の仙狐様の神子さんよ」


 その瞬間、猫族は剣を私の方へと向ける。その行動は要するに、私を敵とみなしたということなのだろう。


「私は人間以外に興味はない。攻撃もしてないし敵対される理由もないと思うんだけど」

「いいや大いにある。その力は危険過ぎる故、今ここでお前を止めなければならない。それが、あたしが猫神様と大エルフ様から与えられた命令だ」

「……ふーん。まあ、どうせ何も知らない人達は理解してくれないと思ってた」


 私を理解してくれるのは仙狐様だけ。だから、他の種族の人達のために人間を殺してきたわけでは無い。私は仙狐様が好きなこの森を守るために人間を殺した。しかし、それを邪魔するということは仙狐様が幸せになることを邪魔していることになる。


 ──ならば、その邪魔な要素は取り除かなければならない。


「レーナさんを殺した仇、ここで討たせてもらう!」


 殺気のこもった眼差しで私を見ながらこちらへ走り始める。


「ふーん、そんなにもあの人のことを想ってたんだ。じゃあ……」


 ──なら、折角だから会わせてあげなくちゃ。


 その瞬間、私の目の前に影が伸びて行きどんどん広がっていく。その光景にこちらに向かって来ていた猫族は動きを止める。

 そして、


「なっ、あなたは……!」


 黒い猫耳に黒い尻尾。そして腰にある剣と背中にある矢立。その特徴は、私自身も知っているし目の前の猫族も知っている。


 影の中から現れ、しばらくしない内に閉じていた目を開く。その瞳は真紅の瞳へ変色し、昔のような優しいものではなく、まるで希望を失った人のような冷徹さを感じさせるものだった。


「──これは」

「こんにちはレーナさん」

「お前は確か、神子だったか」

「覚えていてくれたんですね」

「……それより、この状況は一体?」

「説明なんて必要ないです。

「………」


 ここで説明するべきことは呼び出す際に影を経由して脳へ流し込んだ。少し意識すればすぐにその情報が脳内から引き出される。

 その情報を理解したのか、レーナさんはずっと身構えている猫族の方に向けて手を伸ばす。


「──え?」


 瞬間、その猫族が手にしていた弓が独りでに動きレーナさんの手元へ渡る。いや、戻って来たと言った方が正しいだろう。


「ルカ、私の弓を持って来てくれたことには感謝する。だが、どうやら私はお前とは敵対する運命にあるらしい」

「ど、どういうことそれ」

「言葉のままだ。私は神子の味方だ」

「……神子って、そいつのこと?」


 ルカと呼ばれた猫族が震えた声でレーナに質問する。そしてその質問に対してレーナは無言で頷く。


「どうしてそこまでそいつの味方をする!? そいつは、この世に存在する生き物にとっての敵だぞ!」

「本当にそう言えるのか?」

「は?」

「彼女の考え方は、見方によっては誰もが夢見た理想の世界を作れるかもしれない」

「だからって、たくさんの生命が失われるなんて間違ってる!」

「なら、他に手段があるなら教えてくれ」

「………」


 確かに大抵の者達は「誰もが死なずに世界を平和にする手段」を優先的に提案して実行させる。


 だが、そんな考え方をしている時点で平和にはならない。例えこの森が平和だとしても今のように外部が争えば自然と巻き込まれる。


 ──だからこそ、その外部の生き物である人間を殺すのだ。


 人間だけではない。同じく争う魔族達も同じだ。いや、もっともっとこの森の外には様々な種族がいる。この森の人達以外は敵であり消えるべき存在。


 誰もが死なずに平和になるだなんていうのは、ただの妄想に過ぎない。平和とは数多の犠牲の元に成り立つものだ。


 ──だからこそ奴らを殺せ。武力でしか証明できずこの森を汚す奴らを。


「それが彼女の言いたい事だ。犠牲なくして争いは止められない」

「そんなの」

「──そこまでですレーナさん。少し話し過ぎです」

「すまない」


 こんな話をさせるためにわざわざ影の中から抽出したわけではない。それに、レーナさんは私の力があってこそ今生きている。いや、生きているというよりも動いているという方が正しい。既にレーナさんの心臓は止まっている。


「……レーナさんがそいつの味方をするってことは、あんたもあたしの敵だ」

「そういうことだ。だから私は、神子の敵となる者は排除する。それが、今の私の役割だ」


 彼女は私には逆らえない。なぜなら、現時点では彼女よりも私の方が強い。それに、その気になれば影との繋がりを断ちその場で再び殺すことが出来る。

 そして何より、バラバラになったレーナさんの精神と肉体を私が再構築した。その際に「私の敵は貴方の敵」という情報を組み込んでおいた。だから彼女には、私を攻撃するということすら考えない。

 言うならば、今のレーナさんは私の護衛のようなものだ。


「そいつを倒すことはここにいる全ての生き物を救うことになる。逆にあたしがレーナさんに殺られれば……」

「そう、あなたも私が食べてあげます。必要に応じてレーナさんのように出させてあげますけど?」

「それは御免だ。あたしは、何があってもレーナさんを倒してお前を殺す」


 ルカは下ろしていた剣を再び私とレーナさんに向ける。その瞬間、とてつもない殺気を放ちながらレーナさんは弓を手放し剣を構える。


「やめておけ。お前は私には勝てない」

「今まではそうだった。だけど、あたしは前のあたしじゃない。それに、あたしはここで負けるわけにはいかない」


 ここはレーナさんに任せようと私は少し後ろへと退る。私がサポートすることはレーナさんに対する侮辱だ。ここは私が出る幕では無い。


 ──風が吹く。その風はこの森には似合わない殺気が混じっており、とても気持ちのいい風とは言えない。


「…………」

「…………」


 突風が吹く。それにより葉が揺れ砂埃が立つ。そして、葉がゆらゆらと木の枝から離れ落ちていく。


 ──そして、その葉が地に落ちた瞬間に二人は同時に足を踏み出した。

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