第十一話 暗闇の中の妖

 辺りが賑わう……という程でもないが、今いるこの市場はこの森の中で一番賑わっている場所だ。市場には仙狐様の話に出てきたエルフや猫族など、その他にも様々な種族がいる。


「いやぁーわしとしたことが、まさか茶を買い忘れるとは思わんかったわ」

「せめて歩いて行ってください。何度も何度も乗せていく俺の身にもなってください。しかも二人も」

「すみません……」


 油揚げなどは買ってきたくせして茶葉を買い忘れるなんて、仙狐様は意外とドジなのかもしれない。いや、ただ私のことがあったので急いで帰ろうと考えていたからかもしれない。


 そして、何故私がここまでついて来ているのかと言うと、「この森に住む者達と少しは会っておかんか」という仙狐様の提案からだ。

 確かに、この先間違いなくこの市場には来ることになる。今のうちに対面しておいて損は無いだろう。まあ、私自身が市場がどんなのかという好奇心を持ったからでもあるが。


 何かに好奇心を持つなんていつぶりだろうか。


「ん、おぉ仙狐様じゃないですか」


 市場の通りを少し歩いていると、低くて中々に渋い声が聞こえてきた。声のした方を向くと、そこにはダンディーな髭と日焼けした肌。そして何よりも、他の種族よりも一際長くて先が尖っている耳を持つ男が地面に布を敷いて座っていた。

 その布の上には、リンゴにもみかんにも見える果実があったり、紙などの消耗品が置いてあった。


 この市場は人間の町のように建物は一つもない。あるとしても雨天時用のテントだけだ。

 基本的な売り方としては、布の上に食料や風に飛ばされやすいもの、まとめておかないと売りにくいものなどは箱に入れて。それ以外の売り物はそのまま布の上に置いて売られている。


「午前中も来てませんでしたか?」

「わしとしたことが茶を買い忘れてな」

「そうですか。……それで、隣のそっくりさんはどなたでしょうか?」

「あ、えっと……」


 仙狐様との会話中に突然私についての話になり、何も備えてなかった私はかなり混乱してしまう。私はそこまでワイワイ系では無い為、こういう形で話を振られるのは苦手だ。


「わしの神子じゃ。つい今朝に儀式を終わらせての」

「なるほど、だから少し急いでいたんですか」

「その通りじゃ」

「……それで茶葉を買い忘れたと」

「うむ、だから今買いに来た」

「意外とドジなんですね」

「うんうんって、誰がドジじゃ!」


 仙狐様は男性の言葉に見事なノリツッコミを入れる。なんとも場が和む光景だ。


「それで、茶葉でしたっけ?」

「そうじゃ。ある程度はストックしておきたいしの……」


 仙狐様は茶葉が入った箱をじっと見る。そしてボソボソと独り言を呟いている。


「……あ、そうじゃ。神子は軽くこの辺りを軽く散策しておくのはどうじゃ?」

「この辺りを……ですか?」

「ただ待っとくというのも暇じゃろう。ウルもついて行かせるから万が一迷った時は頼ればよい。集合場所は……そうじゃの………この通りのわしらが来た方の入口はどうじゃ?」


 ここに来たのは仙狐様の提案だけでなく、私自身の好奇心もある。市場がどんな場所なのかを知るためには市場自体の構造を覚えておきたい。一人で来た時に迷子なんて恥ずかしいことにはなりたくない。


 それよりも、この辺りの散策を提案する仙狐様は一体茶葉の購入にどれくらい時間をかけるつもりなのだろうか。


「そうさせてもらいます。道とか覚えたいですし」

「決まりじゃ。それじゃあウル」

「わかりました。……出来るだけ早く終わらせてください。最近この辺りでよくない話をよく耳にします」

「茶葉は量と質の両方が重要なんじゃがの……まあ、そういうことなら出来るだけ素早く買い終えるとするかの」


 仙狐様がそう言って再び茶葉を見つめ始めると、狼が私の足をつんつんと鼻でつつく。そして「こっちです」と狼が言うと、市場の通りを私達が入ってきた方とは真逆の方に向かって歩き始める。

 私は茶葉を見つめる仙狐様に一礼した後、先に歩いて行く狼の後ろをついて行った。


 狼の後ろをついて行くと、突然狼が私の隣に来る。何かを話したげな表情をしている。


「神子様……でよろしいのでしょうか?」

「……別に改まらなくてもいいのに」

「立場上、先程までの話し方は出来ないので」


 立場上の関係。私ははっきり言って、こういう上下関係というのは嫌いだ。

 立場が上の者は下の者を表面上では仲間として、本心ではただ使える駒として扱う。僕の知る人間とはそういうものだ。そう思いたくなくても、弱肉強食であるこの世界では勝手に成り立ってしまう。


 そして、わかっているのに何も変えようとはしない。それもまた、この上下関係から来ているものだ。だから嫌いなんだ。


「……出来れば、そういう上下関係はなしにして平等でいたいな」

「それはまた遠い話になりそうです」

「そう……」

「俺のことはウルとでも呼んでください。ちなみに種族であるウルフから来ています」

「本当の名前はあるの?」

「いえ、ありません。しかし、俺とわかる名前があれば十分です」

「…………」


 平等なんて所詮は綺麗事。叶えたくても決して叶わない。今の私の言葉も、結局はただの理想だ。最初から無理だってことくらいわかっていた。


 それからしばらく歩いていると、一つだけ変わったものを売っている店を見つけた。その店には水晶玉が一つ置いてあるだけの、そもそも店と呼んでいいのかがわからなくなる店であった。

 水晶玉の前にある木の板には『貴方の想像力、調べてみませんか?』と書かれていた。しかもその隣に小さく『無料』とも書いてある。


「貴方の想像力からして、いつも楽しい日々を過ごせているようですね」

「そうなのよー。心から楽しいって思えてるみたいで嬉しいわぁ」

「みたいではなく実際にそうなのです。これからもその日々が続きますように」


 あの女性を見る限り、想像力はあの水晶玉を使って調べるらしい。それも、当てずっぽでしているようには見えない。どうやらかなり腕利きのようだ。


「お嬢さんも、一回どうですか?」


 女性が店を離れたと同時に店の店主と目が合い声をかけられた。店の店主は恐らく青年だ。先程の声が渋い男とはまた声質が違う。

 私はゆっくりとその店に近づいていく。


「仙狐様……ではないですね。神子様か何かですかな?」

「えっと、はい」

「やはりそうですか。性格以外は仙狐様そっくりですね」

「あ、そうですか……」

「……それで、一回どうですか? 趣味でやっているものなのでお代なんてのもいりませんし」


 人の想像力を調べることが趣味だなんて変わった人だ。しかしまあ、別にお代がいる訳では無いのでやってもいいかもしれない。それに、中々に歩いたので少し休憩も兼ねておきたい。


「……それじゃあ一回だけ」

「毎度! それじゃあまず年齢を教えてください。そこからこれからのことをアドバイスできますから」

「えっと……十三です」

「随分と若いですね。それでは、この水晶玉に手を置いてください」


 青年の言うことに従い、私は水晶玉にそっと手を置く。すると、水晶玉が光り始める……というのが普通の流れである。しかし、今私の目の前にある水晶玉には何も起こっていない。


「……なんと、これは珍しいですね」

「どうしたんですか?」

「……貴方には、という想像力が全くないです。それどころか、夢に対してかなりの拒絶意識があります」

「……そうですか」

「貴方くらいの年齢なら光そのものなのではと言うほどに眩しい人もいるんですけどねー……」


 はっきり言って心当たりしかない。十三歳という年齢はまだまだ子供だ。本来ならば、まだ人と遊び楽しみほどの余裕がある年齢だ。

 しかし、私は人と遊ぶということ自体が嫌になっている。人間と遊ぶくらいなら何もしない方がマシだと思うほどに。


 そう。私の心は既に、を失っていたんだ。

 だから、遊ぶことや楽しむことすら無駄なことだと思ってるんだ。だから、夢というのを想像しないんだ。


 夢というのは、自分が寝ている時に見る夢と将来の夢と大きく分けて二つある。私にある夢は、眠っている際に見る夢のみ。

 私にはあの時から、この先を生きる目的というのが壊れていたんだ。夢なんて馬鹿馬鹿しいと思うほどに。


「……大丈夫ですか?」

「……ぁ……はい」


 少し考え事をしていた。目の前に人がいるんだ。この行為は失礼極まりない。


「とりあえず、今は自分の生きている意味、というのを探してみてはいかがでしょうか? 所謂自分探しというやつです」

「自分探し……」

「まあ、ゆっくり考えればいいんです。焦る必要なんてありせん」


 自分の生きる意味を探す、というのは何も知らない普通に生きる人には面倒なことで組み立た積み木を壊すくらいに簡単なことだ。

 しかし、一度生きる意味を見失った人にとってはとても難しいことだ。探そうとしても、普通の人の勝手な考えの押し付けによって余計道は遠退くし、日頃そういう機会はない。

 生きる意味を再び見つけるというのは、私みたいな人にとっては不可能に近いのだ。


 しかし、今いるこの場所ではその機会がある。ゆっくりと考えてみるのもいいかもしれない。


「ありがとうございました」

「いえいえ。ゆっくり自分のペースでいいんですよ」


 私は青年に一礼すると、ウルさんを連れてその店から離れた。


 あの青年は一度も「頑張って」という言葉を言わなかった。無責任な言葉だという認識があったのか、それともただ使わなかっただけなのか。

 私はこんな誰もがどうでもいいと思うことに疑問を抱いた。私は私なんだ。どんな疑問を持ったっていいじゃないか。


 まただ。また自分勝手な考えをしてしまった。これでは人間と同じだと何度言えばわかるんだ私。いい加減にしろ。


「神子様、先程から何やらボーっとしていますが大丈夫ですか?」

「はい……少し考え事をしてまして……」

「そうですか。なら、そろそろ集合場所に行きましょう。そろそろ日も暮れてきました」

「わかりました」


 そして私とウルさんは人が行き交う市場の通りではなく、市場の周りを通って集合場所に移動した。


 集合場所に着くと、既に仙狐様が待っていた。かなり立っていたのか、その場にしゃがみこんでいた。


「遅いぞぬしら!」

「すみません。人の多さから少し遠回りをして来ました」

「はぁ……なら仕方ないの。ほれウル、さっさと乗せんか」

「嫌です。流石に俺も何回も乗せられるほど体力はないです」

「うーむ仕方ない、歩いて帰るかのぉ」


 帰りはウルさんの体力がきついとの事なので歩いて帰ることになった。私はこの日が暮れて真っ暗になった森をどう進めば帰れるなんてわからない。仙狐様とウルさんを見失うということは、確実に遭難するということだ。注意して進むことにしよう。


「そろそろ見えなくなってきたのぉ」


 そう言いながら仙狐様はどこからともなく火の玉を出現させる。森の木や草に燃え移らないかと心配になったが、何故かその火の玉は木に触れても燃え移らなかった。どうやら、本当に明かりの確保ためだけの炎のようだ。


「…………」


 それにしても、よくこんな森の中を迷いなく進めるものだ。それだけこの森の構造と道を理解しているのだろう。


「……ケ……オ……」

「……声?」

「ん、どうかしたか神子?」

「いえ、声が聞こえたような気がするんです」

「声?」


 何を言っているかはわからなかったが、呻き声のような声が聞こえた。苦しんでいる、そう誰もが思うほど弱々しい声だった。


「ミ…ケ………マ……」

「ほら、また……」

「……確かに聞こえとる。それも、どうやらこっちに向かって来ているようじゃ」


 ガサガサと足を引きづっているのか、地面に落ちた葉が掠れる音が聞こえてる。そしてその音は次第に大きくなっており、段々近づいて来ているのがわかる。


 そして、私は見た。木と木の間から覗かせるその顔を。全身が影のように真っ黒で、赤く光る目と口。しかし、何故か手足がない。まるで幽霊のような姿をしている。


 私が見ていると、その人型の何かはこっちを向いて……、



「ミツケタ、オマエ」

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 心臓がドキッとした。決して恋とかそういうのではなく、あの目がこっちを見ていると思うと何故か心臓がドキドキする。緊張に近いドキドキだ。

 それに、アレを見ていると何故か──


「っ……!?」


 突然、私に頭痛が襲った。今までに感じたことの無いほどの激痛だ。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!


 アレを見ていると今までに感じたり体験したことを思い出す。忘れたかったことを、心の底から抉り返すようにフラッシュバックされる。


「やめて、何で、何したって言うんだ……」

「どうした神子!?」

「……仙狐様、アレが見えますか?」

「あれじゃと?」


 仙狐様があの黒い何かを見る。その瞬間に仙狐様は顔をしかめた。


「ここまで黒い妖とはの……。ウル、神子を乗せて今は逃げるぞ! 今は奴の方が有利じゃ!」

「了解!」


 頭を抑えて四つん這いになる私をウルさんはすくい上げて、急いで仙狐様の家に向かって走り始めた。そして、仙狐様も狐に姿を変えてウルさんを追うような形で走る。


 私が襲って来る激痛と思い出したくない出来事のフラッシュバックを耐える中、黒い何かはこっちを見て何かを呟いていた。しかし、その言葉は風の音によってかき消される。そして、激痛に耐え切れなくなった私は次第に意識を失っていった。


 あの黒い何かは本当にただの妖だったのだろうか。特に理由はないが、私にはそうは思えなかった。

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