第6話 尊敬する彼
次が最後の打者だ。俺はその彼に同情する。数万人に、自分が敗北する瞬間を見られてしまうからだ。晒し者とどう違うのか、いや、同じようなものだ。
ところが、ここで不思議なことが起こった。打者が出てくる気配が無い。これ以上無い責任重大な場面に耐え兼ねて、怖気ついたのだろうか?
あ、出てきた。いや、正確に言うと、本来出る者とは違う者が出てきた。聞けば、選手交代らしい。
決して大きくない体。本日初めて試合に出るためか、汚れの無い綺麗なユニフォーム。十八という二桁の番号を背負っているのは彼だけで、これらの情報からでも、彼がスタメン入りできるほどの実力が無いということは窺えた。それでも、この大事な局面で出てくるということは、彼が実は、秘密兵器なのかもしれない。
信じられないほどに落ち着いた足取りで、左のバッターボックスへ歩みを進める。到着すると浅く一礼した後、呼吸を整えることも無く、静かに構えた。
彼から出る威圧感やら何やらが、どれほどのものかはテレビでは伝わらない。しかしテレビ越しに、俺は彼を、奇人であると受け取った。それは彼がこの状況で、笑みを浮かべていたからだ。
おそらく相手のバッテリーも、彼から奇妙な様子を感じ取ったのだろう。その証拠に、二球続けてボールを選んだ。
代打の彼は、それに釣られることも無く、一ミリも動かない。これだけ追い詰められているにも関わらずそれは異常だった。普通であれば、ただ単に手が出なかったと考えるべきだが、彼を纏うオーラというのか、そういった類のものが、それを否定させる。並じゃない選球眼を携えていると思わせた。
それでもバッテリーは追い詰められるのを嫌ったのだろう、彼らは三球目にストライクをを選択した。
その選択の良し悪しに関しては分からない。しかし、決して甘くないコースで、あれは仕方なかったということだ。それは、この後に語るアナウンサーと解説者の語りから知った。
彼の、一切の迷いの無いスウィングは、ボールをバットの真で捉え、ライトとセンターの頭上を越えフェンスに直撃した。
やっとのことでセンターがボールを掴んだ時、既にランナーは二人が帰り、三人目がホームに向かっているところだった。それを見てセンターはホームを諦め三塁に返球する。ところがそれも間に合わない。代打の彼は、悠々と三塁ベースに辿り着いた。
スタンドがお祭り騒ぎのように沸いた。それは間違いなく彼一人に対してのもので、異議があるはずも無かった。ところが彼は、それに見向きもしないで険しい顔付きでホームを睨んでいる。彼が、三塁打という素晴らしい功績に満足していないのは一目瞭然で、ホームランしか狙っていなかったことが窺えた。
俺は、あの彼の顔を見て鳥肌が立った。今まで生きてきて、彼ほどのストイックな人間を見たことが無い。目指すべき人が見つかったような気がした。
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