第8話 月日集落(ロ)

 やっぱり神官のような恰好で現れるのか。

 俺はそう思っていたのだが違った。

 屋敷を訪れた月日集落の指導者――猪瀬が言った神主は、着古した茶色いジャケット姿だった。白い蓬髪ほうはつに白い髭の背が丸まった老人だ。

「私が月日集落の代表を務めている百目鬼直永どうめきなおひさですわ。NPC狩人組合員のみなさん、今回は定年組のお見送り任務、たいへんなご苦労をされたようで」

 土間から囲炉裏に寄ってきた百目鬼老人が膝と手をついて挨拶した。

「あなたが猪瀬の言っていた集落の指導者か?」

 天乃河隊長が言った。笑顔はなかった。囲炉裏を囲っていた俺たちも笑顔ではない。この場にいる全員が銃へ手をかけそうな態度だ。

「はい、まあ、そうなりますわ」

 百目鬼老人が笑った。顔も首回りもしわが多く、肌の浅黒い丸顔の老人だ。黒目がちの目に力があって表面にある老いが根深く浸透していない印象だった。

「うん、俺はNPC狩人組合の天乃河礼音だ。この警備小隊で隊長をやっている。先にこちらの事情から話すのが礼儀だろうな。この雨で俺たちの帰り道は土砂崩れで塞がれてしまった。その道が復旧するまで月日集落に何日か――」

 天乃河隊長を右手を上げて遮った百目鬼老人が、

「ああ、ご心配なさらずに。それはもう猪瀬から聞いておりますわ。遠慮せずに帰りの道が復旧するまで月日集落に滞在してください。定年組を受け入れるために空けておいた家も多いですしな――」

「――百目鬼さんよ」

 俺は唸り声で呼びかけた。

「ああ、はい?」

 百目鬼老人が顔を向けた。

「俺たちが気になっているのは土間にいる二人組だぜ――」

 俺は土間へ顎をしゃくった。百目鬼老人と一緒に土間へ入ってきた二人組がそこに突っ立っている。青い瞳と緑色の瞳の男女だ。どう見ても日本人ではない。二人ともスラブ系の白人だった。

「ああ、そうだ、お前らもこっちへ上がって上がって、組合の方に自己紹介をしなさい――」

 百目鬼老人が身体を捩って手招きをした。

 囲炉裏の近くへ寄ってきた青い瞳の男が、

「おれ、ペドロヴィッチ・マクシムツェヴァ」

 緑色の瞳の女が、

「ワタシは、ハンナ・パウリュークです」

 それぞれ名乗って百目鬼老人の後ろへ腰を下ろした。それぞれ地味な色合いのジャケットにジーンズ姿だ。ペドロが短く刈り込んだ銀髪で、ハンナが金髪のボブヘアだった。

 銃で武装している気配はないが――。

「――あんたらロシアの人間だな?」

 俺は訊いた。

 俺は身構えていた。

 横のリサも身構えていた。

 囲炉裏を囲った人間は全員、身構えている。

「おれはそれロシアだ」

 ペドロが言った。

 外人の話す下手な日本語だ。

「ワタシはウクライナの出身です」

 ハンナは比較的に流暢な日本語だった。

「ファッキン――」

 宍戸はSG553を手にした。

「おいおい、冗談じゃないぜ――」

 三久保が低い声で言った。

強制収容所ラーゲリの関係者かよ――?」

 腰を浮かせた姫野はロシアの二人組に掴みかかりそうな体勢だった。

「私たちを拉致しにきたの?」

 秋妃さんが腰のホルスターにあるグロッグへ手をやった。

「安心したおれたち強制収容所の看守とは違ったのだ」

 ペドロが言った。

 意味の通らない日本語だ。

 少し時間が止まったあとで、

「――ミナサン、安心をして。ペドロとワタシはロシア領にある居住区の民間人なのです。強制収容所がやっている仕事とは関係がない」

 ハンナは意味の通る発言をした。

「百目鬼さん、このロシアから来た彼と彼女が気になる。これはどういうことだ?」

 天乃河隊長が百目鬼老人を見やった。

「このペドロとハンナはロシア支配地域の居住区から月日集落に派遣されてきた通商役でしてな。まあ、この月日集落は説明するのに少々面倒な状況に置かれているわけですわ。だから、ペドロとハンナをここへつれてきたほうが話が早いだろうと、私は考えたわけですがな――しかし、どうもこれは、組合のみなさんを驚かせてしまったようで、いやいや、申し訳ないですなあ――」

 百目鬼老人は苦笑いのような顔を見せた。

 顔は笑顔だ。

 しかし、目には感情らしい感情がない。

 やはりこれは苦笑いの「ような」顔だろう――。

「月日集落はロシア側と取引をしていると言っていたな。猪瀬からそれは聞いてるが。この信用のならんロシア人どもと取引をして本当にいいのか?」

 俺が言うと、

「おい、そこ、男――」

 ペドロが視線を送ってきた。

「――俺のことか?」

 俺は視線を返した。

 睨んでいたと思う。

「そうお前だ日本猿ジャップ。月日集落の住民の状況を考えろわかる」

 ペドロが言った。

 落ち窪んだ青い目元が笑っている。

「俺の肌が黄色いから舐めているのか、この野蛮なロシアの白豚野郎が。その足りない頭でも、これだけはしっかり覚えておけ。俺は丸腰の人間を撃ち殺すのだって遠慮をしねェ。白い豚がお相手なら尚更だぜ――」

 俺は唸って返した。

 宍戸と三久保と姫野は揃って「ケケッ!」と笑い声を上げた。

 リサもニンマリだ。

 天乃河隊長は苦笑いだった。

 秋妃さんだけは心配そうな顔で俺を見つめている。

 汚染後、日本から一時撤退した米軍の間隙をつき日本列島の北半分と西半分を占領したロシアと中国に対して好印象を持っている日本人は一人もいない。その上で、ロシア人と中国人は支配地域にいる日本人を奴隷として扱っている。

 誇らしい日本。

 美しい日本。

 愛国心。

 汚染前も汚染後もそんな気分とは――帰属意識とはまるで無縁で生きてきたこの俺だ。

 それでも気分が悪かった。

 一瞬、自制心を失うていどにはだ――。

 憤った様子のペドロは眉間を(眉間と言っても、銀色の眉毛はあるように見えなかった)凍えさせたが、

「ごめんなさい。ペドロは日本語、あまり上手くないのですヨ」

 ハンナは笑顔を見せた。ハンナは鼻の高い白人的な美貌の若い女だ。だが、その笑顔はまるで仮面のように見える。

 会話が途切れると、

「黒神さん、でしたな?」

 百目鬼老人が俺へ目を向けた。

「何だ?」

 俺は唸って返した。

「気持ちはわかりますが、そう怒らんでください。区外に追い出された定年組は大農工場へ近寄ることができませんからな。大農工場周辺にある集落の住人は、ここから北のロシア支配地域にある居住区と交渉をして生きていくしかないのですわ。まあ北西にある中国の支配地域が相手でもいいのですがな。そっちは少し距離も遠いわけですな――」

 百目鬼老人は言い含めるような口ぶりだった。確かにこの老人の言う通りだ。集落の人間に生きる手段を選ぶ余裕はないだろう。

「このロシア人どもが月日集落にいるのはどういう目的だ?」

 それでも俺は百目鬼老人をまっすぐ睨んでやった。

 あんたらの都合なんか俺の知ったことか。

 赤の他人が同情心を要求しても俺には一切通じない。

「――クロカミサン、ワタシ、ウクライナ出身」

 ハンナが言った。

 そんな細かいこと、どうでもいいだろ。

 そう苛立ちながらも、

「ああ、ロシア人とウクライナ人か?」

 俺は言い直した。

「ご存じでしょうが。本国のロシアはユーラシア大陸の東から広がりつつあるゾンビ・ファンガスの汚染対応で忙しいです。極東の支配地域へ移送される筈の援助物資は、いつも滞りがちです」

 ハンナが言った。

強制収容所ラーゲリの生産効率もかんばしくなく」

 ペドロが頷いて見せた。

 しかし、いちいちおかしな日本語を喋る奴だな――。

「――日本列島にあるロシアの支配地域では飢饉ききんが発生しているのか?」

 俺は訊いた。

「んっ――」

 ペドロが微妙に視線を泳がせた。

「キキン、飢えた状態――クロカミサン、それが近いです。極東におけるロシアの食料不足は深刻です」

 ハンナが頷いた。

「ロシアは昔からそれがお家芸だろ。懲りない連中だな」

 俺は鼻で笑ってやった。

 仲良し三人組はニヤニヤしていた。

 天乃河隊長の口元も少しだけ歪んだ。

 瞳を伏せた秋妃さんの反応は微妙だった。

 リサもフフンと笑っている。

 たぶん、リサは何となくの笑いだろう。

 学校へ通ったことがないリサは、ロシアの歴史を知っているとも思えないし――。

「ミナサン、駒ヶ根強制収容所ラーゲリがNPCの襲撃で壊滅したのご存じ?」

 視線を落としていたハンナが顔を上げた。

「――ああ、それは知ってる」

 俺は頷いた。

 リサも小さく頷いた。

 他の面々は顔を見合わせていた。

 これはまだ隠ぺいされている情報だったのかも知れない。

 軽はずみな発言だったかも知れん。

 俺は内心で舌打ちをした。

 俺へ視線を送って頷いたハンナが、

「――ハイ。食料供給元だった駒ヶ根強制収容所を失った周辺のロシア居住区は、南側にある集落――日本再生機構の支配地域にある集落も、頼らざるを得なくなりました」

 俺は返事をせずに黙っていた。ハンナは俺を警戒し始めた。緑色の瞳の奥に出現した光でわかる。冷くて躊躇ためらいのある輝きだ。これ以上、俺は喋らない。俺の経験上、土壇場まで無知無能を演じていたほうが面倒事を楽にやり過ごせることが多い。敵対する相手はできるかぎり油断させておく必要がある。

 ま、今回はもう手遅れかも知れないけどね――。

 沈黙した俺に代わって、

「月日集落の物資が――この場合の物資はここで生産されている食料だな。ロシア側でそれが入用だという話なのか?」

 天乃河隊長が口を開いた。

「そういうことです。確かにワタシタチ――ロシアと日本はこれまで敵対をしていました。でも今はお互いがお互いを必要としている。ロシア居住区側からは燃料や塩・砂糖、それに武器などを月日集落へ提供してます」

 ハンナが言うと、

「滞在したおれ段取り決める」

 ペドロが頷いて見せた。

「なるほど、物々交換だな」

 天乃河隊長も頷いて返した。

「組合員のみなさん。大まかにですがな。月日集落が置かれている状況をこれで理解していただけましたかな?」

 百目鬼老人が俺たちを見回した。

 俺たちのほうは無言だった。

 このロシア人の男女はまったく信用ならない。

 だが、そうだとしても文句を言える立場にない――。

「――この集落が置かれている状況はわかった。しかし、百目鬼さん、勘違いをしてほしくはないんだ」

 天乃河隊長が長い沈黙を破った。

「ああ、はあ?」

 百目鬼老人が目を開いた。

「月日集落の運営方針に我々のほうから口を挟むつもりはない」

 天乃河隊長が微笑んだ。

「それは、ありがたいですわ――」

 百目鬼老人が溜息を吐くような調子で言った。

「ペドロとハンナもだ。ギスギスした空気だったが気を悪くしないでくれ。俺たちが君たちへ危害は加えることはない。ここで約束をしよう」

 天乃河隊長が白人の二人に視線を送ってキラッと笑った。

「ああ――」

「だ、大丈夫です――」

 ペドロとハンナはそれぞれ呻き声で応えた。威圧的なイケメンオーラだ。白人が持つ外面上の優位性など、天乃河礼音が持つ美貌の前では無に等しい。俺は顔を背けて声を出さずに笑った。

 そのあとの沈黙がこの場を少しだけ和ませたところで、

「――ところで、百目鬼さんは汚染前、大学で先生をやってたらしいね。では、教授と呼んだほうがいいのか?」

 天乃河隊長が当たり障りのない話題を向けた。

「いやいや、天乃河さん。集落の住民からは『神主様』と呼ばれておりますわ」

 百目鬼老人が顔面のシワを数えきれないほど増やした。

 おそらくは笑顔だろう。

「神主様?」

 天乃河隊長が呟いた。

「猪瀬もそう言ってた。おかしな呼び名だ。気になってた。どういう経緯でそんな呼ばれ方をしているんだ?」

 俺が訊いた。

「ええ、私は元々、この村の――月日村の出身なんですな。私の実家は代々、ここの神社の――月日神社の神主をしておったわけです。汚染前の仕事は、東京の大学教授をしておりましたがな。私の実父が死んだとき――九十歳の大往生でしたわ。まあ、そのとき、大学の教職を辞めた私が、この月日神社の神主を継いだわけです。ま、神主をやりながら、趣味の研究を続けておりましたし、依頼された原稿の執筆なども細々とやっておりました、理想的な隠居生活ではありましたわ。その隠居生活中ですな。日本の汚染に巻き込まれたという形で――」

 百目鬼老人は語りながらペドロへ視線を送った。無言で立ち上がったペドロが部屋の隅にあったログラック(※薪を収納する棚)から薪を持ってきて、それを囲炉裏へ放り込んだ。立ち上る白い煙が多くなる。

「――汚染前のご専門は?」

 煙に目を細めた秋妃さんだ。

「私の専門は文化人類学でしたわ。もっとも、この呼称は大まかな分け方ではありますな。まあ、人類学は学問領域が広い世界ですから――」

 百目鬼老人が手を囲炉裏へかざした。専門的な学術の話題を持ち出されて受け答えできる人間が俺たちのなかにはいないだろう。今ある沈黙がそれを物語っている。リサは完全に目を泳がせていた。

 こいつの反応が一番わかりやすい――。

「――へえ」

 俺は頷いて百目鬼老人の話を促した。

 頷いて返した百目鬼老人が、

「あとは、本業の延長線上で民俗学をやっておりましたな。むしろ、こちらの方で私の名は知れておりましたわ。出版社を通して本なども何冊か出しておりますよ。みなさんのなかで、ご存知ないですかな。『庚申こうしん信仰の系譜』という私の本などは、学術書としては珍しくですなあ、当時は何万部も売れましてな。その印税で結構な金が転がりこんできたのですわ。その金を使って、月日神社の脇に書斎を建てましてな。蔵書の置き場所にも少し困っていたところだったので、これは渡りに船というわけでして――」

「――すまん、その本は知らない。とにかく、汚染前の百目鬼さんは偉い学者だったんだね」

 天乃河隊長が百目鬼老人の話を遮った。老人の話は始まると長くなりがちだ。警戒をしたのだろう。俺たちもそれを警戒していた。囲炉裏を囲んでいるなかで、「ふぅ」と溜息を吐いた奴までいる。これは安堵の溜息だ。溜息の出元は俺の横にいるリサだった。リサは冷めたお茶をごくごく飲み干した。

「いやいや、偉くはないですな。少しばかり世間に顔を知られていただけでしてな。それも副業のほうですわ。ああ、話はその――神主のことでしたな。私は月日神社の神主になるわけですわ。この屋敷の裏山のてっぺんに月日神社がありますな」

 百目鬼老人は碁石のような目に囲炉裏の炎を映していた。

「それで、あなたは集落の住民から神主様と呼ばれている?」

 天乃河隊長が言った。

「ま、そうなりますわ――」

 百目鬼老人が緩慢な動作で頷いた。

 頷いた天乃河隊長が、

「うん。月日集落の状況はだいたいわかった。百目鬼さん、猪瀬から話を聞いていると思うが――」

「――ああ、はい。むろん、それはまったく構いません。帰り道が復旧するまで、月日集落へ滞在してください」

 今度は百目鬼老人が素早い動作で頷いた。

「――料金はいくら出せばいい?」

 天乃河隊長が訊いた。

「ああ、いやいや金は必要はないですわ」

 百目鬼老人が顔の前で手を振った。

 天乃河隊長は頷きかけたが、

「何故、金がいらない?」

 俺は唸り声を聞かせた。

 囲炉裏の周囲にいた人間の視線が全部、俺に集まった。

「――あ、はあ?」

 百目鬼老人は気の抜けた声を出した。

 囲炉裏を睨んだまま、

「対価を取らない親切には必ず裏があるものだぜ」

 俺は吐き捨てた。

 リサは大きく二度も頷いて同意した。

 他の連中は困惑している様子だった。

「――それも、そうですな。黒神さんの懸念はごもっともですわ。天乃河さん、黒神さん。他のみなさんも聞いてください。集落に住む私どもとしては大農工場を敵に回したくないわけですわ。当然、そこで働いているNPC狩人組合もですな」

 居住まいを正した百目鬼老人は囲炉裏を囲んだ面々を見回した。

「皇国軍はどうなんだ?」

 うつむいたまま俺は訊いた。百目鬼老人は見ない。この老人の顔面にもロシアの二人組同様の仮面がついている。これは真意を隠すための仮面だ。警戒している相手を常に観察をしても、さらに警戒されるだけで徒労に終わる。百目鬼老人の真意を知るには機会を窺って「情報を盗む」必要がある。

 俺の視線は囲炉裏のなかに置く――。

「――皇国軍ですか。それだけは、ロシア側に協力を仰いでいる私ども集落としては、複雑な心境になりますわなあ」

 百目鬼老人が呟いた。視線が落ちた気配だ。そこで俺は奴を盗み見る。百目鬼老人の目の奥に憤りがあった。どんな種類かはわからない。ペドロとハンナが視線を一瞬だけ交換した。だが、言葉は交わさなかった。

 外の雨はまだまだ振り続けることを耳に主張している――。

「――月日集落は不必要な人間を――定年組を押しつけられている形だ。しかし、それが迷惑ではない。むしろ歓迎だと、あんたは言うのか?」

 俺は訊いた。

「はい、黒神さん、先ほど説明した通りですわ――」

 百目鬼老人がペドロを見やった。

「月日集落に労働力を求む」

 ペドロが言った。

「集落には医療施設がない。だから集落の人手は減り続けるのです。減少する労働力を止める――止める。あっ、『テダテ』が定年組を受け入れる他にない」

 ハンナが足りない言葉を補足した。

「――手立てか」

 俺が呟くとハンナは頷いた。

「周辺にある村と比べた場合ですな。平地の多いこの月日集落は恵まれた土地なんですわ。それでも、住民はNPCの襲撃で常日頃から減り続けておりますからな」

 百目鬼老人が淡々とした口調で言った。俺は天乃河隊長へ視線を送った。俺が訊きたいことはひと通り終わりだ。ここで質問者は交代をする。

「それで月日集落では大農工場から排出される定年組を積極的に受け入れて、住民を補充する必要があるというわけか?」

 頷いた天乃河隊長が百目鬼老人へ目を向けた。

「ええ、多かれ少なかれ残酷ですし、私どもとしては少々不本意ですがな。そういう話になりますわ」

 百目鬼老人はのろい動きで頷いて見せた。

 見ている人間にわかるよう工夫された仕草に見える。

 どこかわざとらしい――。

「――百目鬼さん?」

 顎に手をやった天乃河隊長が視線を落として呼びかけた。

「はあ、天乃河さん、どうしました」

 百目鬼老人はのろい動作で首を捻った。

「猿どもだ」

 天乃河隊長が言った。彼はこの場にあるものを見ていない。

 天乃河隊長は、ここにいないもの、ここからは見えないものを睨んで、その瞳を燃やしながら、

「月日集落のNPC被害状況を知っておきたい。しばらく滞在をするとなると、それは俺たちにだって無関係ではないだろう。特に知りたいのは猿型NPCの被害だ。俺たちは森区の周辺で奴らに散々手を焼いていた」

「ああ、はい。ヒト型NPCの襲撃は頻繁にありますな。当然、集落の消防団が――若い連中がそれを警戒してもおりますわ」

 百目鬼老人が頷いた。

「いや、猿型NPCの話だ。変異種ミュータント・NPCが使役する強力な動物型NPC。全長は二メートル半以上。木の上を飛ぶようにして移動する」

 天乃河隊長が鋭くなった目で百目鬼老人を見つめた。

「猿型のNPCは――」

 百目鬼老人がゆっくり首を振って左右のペドロとハンナを見やったあとで、

「――この集落では見たことがありませんなあ?」

 俺が見たところ、その老人の顔面はやはり仮面だ。

 そこには真意が無い――。

「――見ていない? 森区周辺から消えたあのファッキン・エテ公どもは北へ移動したんじゃないのか。それがちょうどここいらだよな?」

 ずっと黙っていた宍戸が声を上げて三久保へ視線を送った。

「あの猿型NPCが一匹もいないってのは、少しおかしいぜ」

 頷いた三久保が姫野を見やった。

「あの狂暴な猿型の群れが、この集落へはまったく被害を与えずに通り抜けたのか? 信じられんな――」

 姫野が呟くように言った。

「それは変よね――」

 秋妃さんが囁き声と一緒に頷いた。

 天乃河隊長は沈黙したまま百目鬼老人を見つめていた。

 俺たちも百目鬼老人を見つめた。

 その視線に押されるような形で、

「――そうですなあ。その猿は――猿型NPCですか。その猿型NPCは月日集落を『襲うことができない』のかも知れませんな」

 百目鬼老人は背を丸め囲炉裏の炎を見つめていた。

 薪を足した炎は強くなっていた。

「それはどういう意味だ?」

 俺が促した。

 のろい動作で頷いた百目鬼老人が、

「私の神社――月日神社でまつられているのは猿の神様なんですわ。大元を辿ると猿田彦神。まあですな、古事記や日本書紀に登場するこの猿田彦神は国津神ですからな。あくまで、八百万やおよろずの神のうちの一個なわけですわ。本来、猿田彦神という神様は猿とまったく関係がない。しかしですな、あらゆる生命体と同様ですわ。人間が持つ超人の概念――神の概念も変化を――ああ、いやいや、時代を経ると一緒に、人間の概念も『進化』していくものでしてなあ――」

「――ちょっと待ってくれ、百目鬼さん。それは月日神社に祀られているらしい猿の神様に、猿型NPCが遠慮をしたって話なのか?」

 天乃河隊長が老人の長話を遮った。

 囲炉裏の火から顔を上げた百目鬼老人が、

「はい、そうですわ!」

 と、大声で言った。満面の笑顔だ。黒目がちの目が子供のように輝いている。これは仮面ではない。しかし、まったく理解ができない態度だった。俺は違和感で顔を歪めた。囲炉裏端にいた人間はみんなそうだった。ペドロとハンナも妙な表情を見せている。

「まあ、そうなりますわ。天乃河さん」

 笑顔をのろい動作で消した百目鬼老人が今度は落ち着いた声で言った。

「そんな、馬鹿な――」

 天乃河隊長が唸った。この優男が不信感や不快感を表情に出すのは珍しい。そうなってしまうのも無理のない状況だったが――。

 言葉を失った天乃河隊長に代わって、

「百目鬼さん、その説明では納得がいかないぞ」

 俺が言った。百目鬼老人の反応はない。俺をじっと見つめているだけだ。これ以上、この老人から得られる情報はなさそうだ。

 そう判断をした俺は、

「まあ、それは置いておこう。その狂暴な猿型NPCは月日集落の周辺に出現したことがないのは確かなんだな?」

「ええ、そうですわ」

 百目鬼老人はのろのろと頷いて見せた。

 そのあと何度訊いても、

「いやいや、滞在に対価は必要ございません」

 百目鬼老人は言った。

 しかし、滞在をするためには条件がひとつあると言う。

「天乃河さんたちは、できるだけ屋敷の外に姿を見せないでほしいのですわ」

 百目鬼老人はシワがびっしり刻まれた笑顔のまま説明をした。

「定年組を受け入れている月日集落は、大農工場で心身を削られた住民が多いわけですわ。天乃河さんたちもご存知の通りですな。複合企業体は人間を人間として扱っておりません。会社の飼う畜生。社畜として扱っていますわ。居住区で活動するNPC狩人とは違って、今の天乃河さんたちは大農工場勤め――複合企業体に使われている立場なわけですな。これに反感を抱く住民も集落には少なからず――」

「俺たちを軟禁するつもりか?」

 俺は唸ってその話を止めた。

 百目鬼老人は仮面の笑顔の前で手を振って、

「――ああ、いやいや、黒神さん。そう捉えてほしくない。それで、こうやって説明をしているわけですわ。これは、あくまで面倒事の予防的な措置でしてな。私どもとしても、天乃河さんたちの滞在で共同体に波風を立てたくはないのです。納得してもらえますかな?」

 言い終わると、百目鬼老人は俺たちへ視線を巡らせた。

 顔をうつむけた俺たちが無言でいると、

「百目鬼さん、俺たちの武装はどうするつもりだ?」

 天乃河隊長が質問をした。

「ああ、いえいえ、それはとんでもない。そこまで無理は申しません――」

 百目鬼老人は頭と手をのろのろと振った。

 武装解除を要求しているわけではないようだ。

「話はわかった。滞在中の外出は控えよう。それで特別な不便もない筈だ――」

 天乃河隊長は俺へ目を向けた。

「ああ、そうだな――ああ、いや、不便はあるぞ。集落の住民との接触は実質禁止なんだろ。滞在時間が伸びたらめしはどこから調達するの?」

 俺は仲良し三人組へ視線を送った。

 囲炉裏に温められて居眠りをしていたリサもはっと顔を上げた。

 結構これは重要な問題だと思う。

「あっ、黒神さん。それをすっかり忘れてた。めしの心配かあ――」

 宍戸が顔をしかめた。

「あんな少ない量の携帯食レーションで足りるか?」

 三久保が長い髪の毛を掻きむしった脇で、

「あと一日前後が限界じゃないか?」

 大食漢の姫野が情けない声を出した。

 泣きそうな顔でもある。

「大丈夫よ。水さえ飲んでおけば、人間って一週間ていどは生きることができるの。ダイエットにもなるし――」

 秋妃さんが顔を上げてはっきり言った。この彼女にしては珍しく強い声音だ。目を丸くしたリサが秋妃さんを凝視した。少し身体が震えてもいる。食べ物への執着心が強いリサはごはん抜きに耐えられない。秋妃さんは体重を気にしているのかな。秋妃さんはつるぺた気味のリサと違って文句のないボディラインに見えるけどね――。

「――ああ、いや、秋妃さん。空腹で帰れなくなったら意味がないと思う」

 俺が言うと、

「それも、そうよね――」

 秋妃さんがふっとうなだれた。ここで「てへぺろ」とでもしてくれればいいのだが、彼女は本当に打ちひしがれた様子なので始末が悪い。俺はゆっくり視線を落とした。

「その心配は無用ですわ。実はもう、天乃河さんたちの食事を準備させておるのです。権蔵と友里がやっている筈ですな――」

 百目鬼老人が言った。

「そこまでしてもらっていいのか?」

 天乃河隊長が怪訝な顔になった。

「はあ、まあ、気にせんでください。言い方は悪いですがな。天乃河さんたちが食べるのは捨てる予定だった余りものですわ。私どもは定年組を出迎える為に食料を二百人分を用意してあった。しかし実際に使うのは三十人前。雨と土砂崩れの所為で――」

 うなだれた老人は、ズボンを両手で掴んで、残念そうな態度だった。

「ああ――」

 生返事の天乃河隊長はそのまま百目鬼老人を見つめていた。

 俺たちは揃って怪訝な顔だ。

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