春色のそらごとに
堀切政人
第1話 経過報告(1)
確かに僕たちは、同じ門を潜り、同じ校舎で時間を過ごし、同じ門から出て行った。
そこで学んだことや、歌った校歌、給食で食べた物まで同じだったはずなのに、皆んな別の人間になっていた。
それは、真っ白なスケッチブックに書いていた絵は同じ風景だったはずなのに、書き終えた絵は其々が違うものを書いていたように思えるほど、僕たちの色形は違っていた。
青々とした空に浮かんでいる太陽の光は眩しくても、窓を開ければ冷たい風が入り込んできた。
居酒屋で深夜のアルバイトから帰宅して、昼過ぎまで寝ていた佐野正樹は、起き上がってベランダに出ると、煙草に火を付けて空に煙を吐いた。
自宅が駅から近いのは良いが、ベランダから見下ろすと踏切が見えるほどでは、遮断機の棒が降りる度に鳴る警報音や、電車が発車する時に聞こえるインバータ音が煩わしい。
『これからどうしようかな……』
大学を退学した正樹が、いつも起きてから最初に思うのはこの言葉。
単位不足で留年が決定すると、勢いで退学したものの就職先か見つかるわけでもなく、深夜のアルバイトと家にいるだけの生活が続いて一か月が経とうとしている。
これまでも、特にやりたいことや目標を持って生活していたわけではないから、大学生という肩書きまで失うと、先の人生までを繋ぐ時間が無くなったように思えていた。
風の冷たさに身を震わせて部屋に戻ると、灰皿に煙草を押しつけて火を消す。
その横に置いてあったスマートフォンを手に取ると、通知があるのを見て、顔を顰めた。
『今日、絶対に来いよ!絶対だ!』
『Messey(メッセイ)』というSNSアプリに届いていたメッセージは、中学時代の友人である高木茂雄からであった。
中学時代に所属していた吹奏楽部の同窓会が今晩あるのだが、正樹は出席するのを気乗りしなかった。
高校を卒業して直ぐの頃にも同窓会は開かれたが、それから三年近く経った今では、皆の生活環境も更に変わっている。
きっと専門学校を卒業して就職している者もいれば、大学卒業後の人生に向かって励んでいる者もいる。
その中で、自分は大学を中退して実家暮らしのフリーター生活であることを公表しなければならないのは、自尊心が傷つくだけのこと。
けれど、年明け前から誘いを受けていたのに、今更になって断る言い訳も思いつかないので、仕方なく『わかったよ』と、メッセージを返した。
行くとは言ったものの足取りは重く、正樹は集合時間よりも三十分遅れて、皆が集まっている居酒屋に着いた。
『陵南中学校吹奏楽部・同窓会』と予約名を店員に告げると、店の奥にある座敷の宴会場に案内される。
「お連れ様がいらっしゃいました」と店員が広間に向かって声を張ると、五十人くらい集まっている皆が正樹に注目して、一斉に手を打ち鳴らした。
「おっ、やっと来たな!天才トランペッター」
茂雄が掘りごたつの座敷を立ち上がると、ビールの中瓶とグラスを持って正樹に寄ってきた。
正樹がグラスを受け取ると、茂雄はその場でビールを注いで勧めた。
「遅れて来たんだから、駆けつけ一気な」
正樹はグラスに注がれたビールを一気に飲み干すと、茂雄に案内された席へ座った。
今日の集まりは同級生だけではなく、年代の近い先輩や後輩も来ているが、座っている席は当時に仲の良かったグループで別れている。
正樹の隣には茂雄、中学時代の担当楽器は正樹と同じトランペット。その正面にはチューバ担当の伊藤純一郎、その隣にホルン担当の田中陽子が座っている。
茂雄が改めて正樹のグラスにビールを注ぐと、四人でグラスを当てて乾杯をした。
陽子は久しぶりに会った人間への決まり文句みたいに『最近どうなの?』と正樹に尋ねたが、それにはっきりと答えるわけでも、嘘をつくわけでもなく、「どうって……普通だよ」と、正樹は答える。
陽子は保育士の専門学校を卒業後、地元の保育園に勤めている。
純一郎は音大に通っていて四月には四年生になるが、プロのオーケストラに合格できる可能性は低いから、教員免許を取得して音楽教師を目指すと言っている。
茂雄は管楽器リペアの専門学校を卒業後、都内の楽器店に勤めながら、地元のアマチュア吹奏楽団に入っている。
皆、変わらぬまま地元に住んでいても、こうやって時間を合わせなければ忙しくて顔を合わせることもない。
正樹も地元の友人と接触するのを避けて、アルバイト先は電車に乗って二十分ほどの場所を選んだ。
正樹は人に話すような経過報告もないから、三人の話しを聞きながら手酌でビールを注いで飲む。そして、皆が話しに夢中で余っている料理に箸をつけながら、食べることに集中して話す暇がないような態度をとる。
「でも、あと春美先輩がいれば『金管五重奏』全国大会、金賞メンバーが揃うのにね」
陽子の言葉を聞くと、茂雄と純一郎は目を合わせた。それは正樹のことを不機嫌にさせる話しだと思ったからだ。
心配になった茂雄が横目で正樹を見ると、話しは聞いていなかったようにして、皿に運んだ卵焼きを箸で半分に割っている。
正樹が乗り気ではないのを知っている茂雄は、無理矢理来るように言った建前、機嫌を損なわぬように注意していた。
「でも、正樹はもったいないよね。高校でもコンクールで全国大会行ってるのに、大学では楽器吹いてないんでしょ?ねぇ、何で?」
場の空気が読めない陽子の発言を止めようとして、純一郎は話に割り込んで入った。
「別に、必ずしも楽器を吹いてなきゃいけない決まりなんてないんだからさ、いいだろ」
慌てたように話す純一郎とは違い、正樹は意外にも冷静だった。それよりも、大学を辞めて何をしているかなどを訊かれたり、他人の現状話しを聞いている方がよっぽど窮屈だったからだ。
「疲れたんだよ。毎日、毎日、トランペット吹くのに。ただ、それだけ」
正樹がポケットから煙草を取り出して一本口にくわえると、陽子はそれを取り上げた。
「おい!何するんだよ!」
「正樹は楽器やめたかもしれないけど、他の人はまだ続けているんだから、ここは禁煙」
流石に腹が立った正樹は、陽子から煙草を奪い返すと、大きく溜息を吐いて席を立った。
「おい、来たばっかりだろ?もう帰るのかよ」
茂雄は腕を掴んで正樹を引き止める。
「違うよ、外で煙草吸ってくるだけだ」
そう言って正樹は、煙草を吸わなくたって充分に空気が悪いと思いながら、不貞腐れた態度で席を離れた。
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