かみさまと君

南沢甲

かみさまと君

大きな銃声のような音で僕は目を覚ました。

 散らかった衣服を隅にまとめて洗面所に向かうと、君が鏡に向かって真剣な顔をしていた。

「じゃんけんをしているんだよ。今、三戦三勝さ」

 鏡の中の君はひどくやつれた顔で僕を見ていた。



「木苺のアップルティーはいかが?」

 大人びた口調で僕にポットを差し出してくる。カップに注がれた液体の上には満足げな君の顔がはっきりと写っていた。

「ありがとう」

 その時には君はもう僕の方を見ていなくて、窓から遠くを見つめていた。

「ねえ見て! 鯨が空を逆さに泳いでいるよ!」

 君の弾んだ声が聞こえる。桃の香りのする液体を一口飲んで、僕は窓を見た。

「ああ、明日は晴れるな」

「最近はよく天気予報が外れるね。昨日は海月の予報だったのに、蛙が降ってきたじゃないか」

「天気予報なんてそんなもんだ。かみさまの気まぐれには誰も逆らえないのさ」

 君は口を尖らせた。わざわざ海月の大きな水槽を用意していたから、君がそんな顔をするのも無理もなかった。



 隣の家から怒鳴り声が聞こえる。躾と捉えるにはあまりにも恐ろしく、大きな声だった。

 陶器の割れる音。君は小さく震えていた。



「今日は何をしようか」

「僕はテレビのチューニングをするよ」

 黒い箱は砂嵐を映し続けていた。

「じゃあ僕は外に出てくるね」

 君が去った家で僕は黒い箱をドライバーで突き刺した。

 黒い箱は煙を吐いて、鈍い音で鳴いている。

 雑音の中で、微かに人の声が聞こえた。どうやらどこかの町に鯨が降ってきたらしい。

 天気予報は当たらないものだ。



 硝子の破片を拾い集める。触れると小さく音を立てて、割れた。

床に散らばった星屑は、空の彼方の深淵へ君を連れ去ろうとしている。



 赤、黒、ピンク、紫の花を抱えた君が家に帰ってきた。それを僕に差し出してくる。

「名前がわからないんだ」

「アネモネ、クロユリ、シャクナゲ、ヒヤシンス」

「じゃあこれは?」

 君は白い花を取り出した。

「エンドウ」

 僕は花を握りつぶした。



「おなかがすいたよ」

 君の悲痛に歪む顔をこれ以上見ることはできなかった。



 君が部屋で一つの皿を見つめていた。

「目玉焼きのね、卵をね、スプーンでつついたんだ。そしたら、黄身が溢れて、戻らなくなったんだ」

「破壊と創造の繰り返し――世界はそうやって生き長らえてきた。それでも永遠なんて言葉は存在しない。それは君にだってわかるだろう?」

 君は恍けた顔で僕を見つめていた。片手には汚れたフォークを持って。

「わかんないよ」

 悲しそうな笑顔で君は言った。



「創ること。君にはわかるはずがないよ。僕と君は初めからそうだった」

 君に似た誰かが、僕の夢の中で呟いた。



眠る君の肌に触れる。

窓の外で向かいの家がガラガラと崩れていく。火柱が上がり、荒れた地で人々は祈りを捧げている。


彼らは君という救世主を求めていた。


君の愛した世界は、もう目を覚ますことはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かみさまと君 南沢甲 @Gackt1030

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る