現代ほど人生の意味を問いたくなる時代もない
意外なことに、世の中には好きなことがない人が一定数いるらしい。
きっかけはバイトが終わった後、事務所の鍵を戻しに行ったことだった。クッッッソ厳しい言葉を上司から投げかけられて、涙目になっていた私は、思わず、
「わたしのいいところって何ですか?」と職場の人に聞いたのである(ちなみにこの時は地味に休憩時間であり、事務机にはお弁当が広げられていた)。
すると、件の人たちから「ひとつの、好きなことに対して続けられることが凄いよね」「目のつけどころが違うっていうか、独創的っていうか」(意訳。ちなみに今回取り上げるのは前者)と言われたのだ。
「いや、どう考えても好きなことがあってソレを続けるのは当たり前だろが!楽しいから好きになれるし、続けられるんだからさ!あと、意図してモチベーション上げてるところもあるンだよ‼︎」と心の中で反駁したが、実際のところ「そうなんですか……?」としか言えなかった。
小さい頃から絵を描くのは好きだった。自分の世界を不器用なりに形に出来るから。小説だって同じ。しかし、多くのひとはそんな風に捉えることはない。それが寂しかった。
誰しもマンガみたいな絵は当たり前に描けると思っていた時期も確かにあった(だからこそ、「こんなの落書きだよ」と言った奴の絵を褒めたのだ)。私はそこからは明らかに外れていた。
今の人はゲームばかりしているところが目につきやすい気がする。もちろん、ゲームそのものをある種のスポーツとして楽しんでいる人もいない訳ではない。だが、好きなものがないとはどういうことなのだろうか。
最初に断っておくと、私自身は父方の親戚を含めた場合でもかなりの異端児であり、「普通そうはしないだろう」ということさえしてしまう(犯罪行為を除く。地味にこれが原因で墓穴を掘ったこともない訳ではない)。少なくとも、人と比べられたことは数えきれないくらいあるし、自分の弱さから目を背けたくても出来なかったことは記しておこう。
好きなことがない人生は、私にとっては虚無と同義である。にもかかわらず私が好きなことを見つけられた理由は、小さなきっかけだった。母が色々なものを描いてくれたこと。私が2歳の時に本当に起きたことだ。
どんな小さなきっかけでもいい。楽しいと心から思える出来事さえあれば好きなことはきっと見つかる。楽しい経験を増やしていって、(デジモンじゃないけど)余計なことさえ(その時だけ)忘れりゃマシになる。
……思ったんだけど、なんで大半の人はこんなことに気づかないんだ?
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