結局あの後どうなった?

突風やら桜吹雪やらが日々続いているが、保育園の子供達は変わらずにはしゃぎまわっている。が、こっちは物凄く眠かったり、そもそも朝が苦手なのに身体に鞭打って働きに行っているのもあり、今でも眠い。午後には多少緩和されるとはいえ、眠い。

 周りを見渡すと、昼だからというのもあるが、少し前に、暴走車が駐輪場に突っ込んでくるという事故があって、その証拠にステンレス(?)のポールが、ぐにゃりと曲がって抉れている部分がある以外は極めて平和だった。私自身、急かされるのが大嫌いな性分だから、もう少しのんびりしていてもいいと思うのだが。

 まだ銭湯に行っていた時のこと、ウクライナが爆撃されているというニュースがテレビに映し出されていたことをよく覚えている。連日連夜、家を失った人達が地下鉄の駅などで過ごしていたこと、街に戦車が跋扈していたことなど、平和とは程遠い光景がそこにはあった。

 普段、ニュースのことに関心を持たない私であってもこのことには多少なりとも関心が持てた。あちらこちらで募金箱が置かれ(隣街のコンビニにもあった。母と病院に行く途中、コンビニに立ち寄った時。確かに見たから)、この街でも大なり小なり動きがある。平和を祈るプロジェクトが立ち上げられているし、市長もメッセージを述べている辺りからして、それだけ衝撃的だったのだろう。何処ぞのクソゲー風味にいうならば、「永遠に続くと思われた世界の平和が、理不尽にも吹き飛んだ」といったところだろうか。

 そして今現在、ウクライナの情勢は変わっているのだろうか。少なくとも、ロシアの側があの強硬な姿勢を崩さない限り(=ウクライナを屈服させようとする姿勢をやめないこと。独立国として認めないのはおかしいと思う)、このような情勢は続きそうな気がしてならない。

 なんか気のせいか、国家間のマクロな喧嘩に見えなくもないのだが、どうなんだろうか。人間関係で例えるならば、今まで世話を焼いてきた幼馴染が急に一丁前になって面白くないからいじめる、といった感じだろうか(違うならいいのだが)。

 どちらにせよ、巻き込まれる人達はいい迷惑である。権力をもってしても、洗脳などをしない限り人の心は変えられないので、争いを続けるだけ無意味な気がしないでもない。

 同じ人がいないのと同時に、同じ国なんてないのだ。個人間の喧嘩とは訳が違う(デカい戦争だと、弱者が犠牲になりまくる。さらには生き残った人にも後遺症が残る)のに、何処に戦争を続ける必要があるのだろうか。

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