マイノリティじゃいけないの?

 私達は当たり前のようにそれぞれの性別に合ったトイレに行く(男女兼用や、多目的トイレにも)。男子トイレにも、女子トイレと同じように鏡があるものの、女子トイレよりも設備が充実しているとはいえない。

 というのも、女子トイレにはパウダールーム(利用したことはないが、化粧直しをするスペースらしい)があるのだが、男子トイレにはソレがない。他にもベビーチェアや、オムツ替え用の台が女子トイレにはある。普段から疑問を抱かない人にとってはコレが普通なのだろう。今時はメイクをするとまではいかずとも、お肌のケアに気を遣う男の人もそれなりにいる。また、今は赤ちゃんを連れた男の人もたまに見かける(バイト中に見かけた)。女々しいという人もいるだろうが、私の目にはただのありふれた日常としか映らなかった(完全にモブ扱い)。

 日本のトイレは世界的にも高い評価を得ているが、その一方で使う性別が固定されている。結論から言わせてもらうと、人によっては割と不便なのではないだろうか。今は昔(昭和まで)とは違い、全体ではなく一人ひとりが幸せを求められる時代になっているし、その為の配慮もなされる時代である。だからだろうか、トイレを性別で分けるのは時代遅れだと感じられるのだ。

 トイレ以外にも、娯楽の多様化やジェンダーレスという概念があるからか、従来の狭くて苦しい価値観は崩れつつある。恐らく、もう少し時代が進めばみんなが今より少しだけ優しくなれる世界が広がるだろう、と私は勝手に想像している。

 ステレオタイプは確かに分かりやすいし、従来の価値観で生きている人もまだまだいるだろうことは容易に想像がつく。けれど、ソレがある日突然破壊されたならば。信じていたものに裏切られたならば。何に縋れば生きていけるのか。その答えは見えない。

 大切なのは、自分の価値観を押し付けてはいけないということ。皆が皆一様に違うのだと理解すること。狭い世界から抜け出すこと。ソレが、幸せになる近道だと私は思う。

 だが、日本はまだまだマイノリティには優しくなっていない。都会ならまだいいが、田舎は未だに偏見が根強い人もいるだろう。強固に固まった時代錯誤な考えを持った人だっているし、一概にソレが可笑しいとは責められるだろうか。

 トイレの話が回り回って大きくなってしまったが、要するに柔軟な思考を持っていれば時代には追いつくし、幸せになりやすいということである。コレに気づいている人はどれだけいるだろうか。

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