地味に一つじゃない「going my way」

今ほど多くの世界を知らなかった頃は、目の前に広がる世界が輝かしく見えていた。手術の為に入院した病院で見た本ですらも、6歳の時は未知のエリアを探検しているようで楽しかった。しかし……。

 今もまた、どんどん沢山の情報を取り込んでいるが(一部は吐いている)、世界をある程度知った弊害が出てきている。

 というのも、あちこちに飛び火しまくった結果、予期せぬモノが出来上がってしまうことがあるのだ。「どう考えてもそうはならんやろ」というパターンが異様に多い。何回も日本古来の浮世絵(量産された浮世絵の中には、ネコがひらがなの形を作っていたりして異なる要素の組み合わせが少なくない)みたいなパターン(組成⁇)の組み合わせを考えてしまい、結果として「キャッチーなもの」が出来上がってしまう(ポプテピピックでいうところの「なっとるやろがい!」)。

 二次創作でもそれは同じで、東方プロジェクトで許されたことが別の作品では許されない(というか、セオリー通りでなければ二次創作って許されない風潮あるよなあ)。結果的にとんでもないことになったことも一度や二度ではない。

 結果として我が道を行くという選択肢もあるが、それをするのが怖いという人も多い(叔父にはしっかり指摘されました)。迎合して二次創作を書く方がマシだというのだ。どっちつかずの私にとっては、妬ましいことだというのに。

 上に述べたのは寧ろまだマシな方で(元ネタがパーツ単位という時点で絶望感マシマシとはいえ)、オリジナルだと何も見えない。元ネタを公表しない限り、全く見えない。隠し味を入れていることも少なくないし、直接的な引用を避けているというのもあり、何が元ネタかは一切わからないという罠が毎回仕掛けられている。

 元カレは(あまりにも被害者意識が高すぎて話にならないので、本日ブロックしました)我が道を行くにはあまりにも臆病で、無謀過ぎた。履き違えている箇所が多くて変えようがないのだ。私は幼いが(書いている時点で二十歳超えとはいえ)、変わる余地は充分にある。現に、微妙に変わっている箇所はあるから。気づかない人は気づかないものの。

 カクヨムの読者は優しいが、それだけに物足りない。元カレからは「偶像視されているのでは」と言われているが、それだけではないと思う。確かにグループ内ではマスコットめいた扱いを受けこそすれ、一応は自分の実力で勝負しているのだ。不正をする方法を知らないからというのもあるが。もしかしたら、私は少しだけ自信を持っていいのかもしれない。

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