悲しいくらいの憧れとギャップ
いつだろうか、目覚めたのは。いつから求めて、執着するようになったのかは分からない。少し前としか言えないが、吉祥寺のおもちゃ市場を見てから憧れるようになったのは覚えている。およそ子どものおもちゃにふさわしくないような、可愛らしいお人形は私がいつか手に入れたいものの一つだ。側から見れば恐ろしいモノなのだろうが、私にとっては美しいモノであり、他人に勧めたいモノである。
耽美な世界というのは一度ハマったら抜け出せないもので、自分がとろとろに溶けていってしまう。少年漫画よりも遥かに自分を溶かすその世界観は、退廃的で黒と紅とほんの少しの儚い白で形作られていた。眩しいくらいに昏く、苦く、甘く。そんな世界を、オリジナルでも作りたいというのが本音。そして、思い知った。こういう作品を作るには、視野を広げてもっと沢山の知識を知らねばならないと。
二次創作の方が耽美な世界を作るにはちょうど良かったのだが、何故だか世界観に合わない。かといって一から作ろうと思えば、精神力も体力も二倍以上消費する。もう、憧れは憧れのままにしておいた方がいいのだろうか。
この関係で、何度も横浜人形の家に行っている。人形は耽美な世界を作るのにはいい材料もとい資料になるから。展示物であることが分かっているから話しかけはしない。自分だけのモノになれば出来なくはないのだが。ちなみに、相方を連れてきた時は「意外」という反応をされた。いや、人形の博物館があるのって意外か?
人形が好きなのは、祖母の家にある人形と西洋への憧れ(特にヴィクトリア朝)があるからだと思っている。小さい頃から絵本などの中に出てくるドレスは可愛らしかったが、周りが少年漫画大好きばかりだったこともあり、メルヘン好きが理解されることはなかった。いつかはペチコートをスカートの下に穿いてみたいと思っているが、貧乏な私にそれが叶う筈がない。そもそも、髪の色が黒で目の色が茶色という時点で負け組かもしれない。容姿は。
だからお絵描きばかりしているし、小説だって書くのだ。その為ならばどんなことでもするし、何だって手に入れる。憧れを形に出来たなら、ウケを狙うなどどうでも良くなる。
不気味でかわいいし、美しいから西洋人形が大好きなのだと改めて感じた。虚ろなる毒と、壊れゆく儚さと。子どもの傍に寄り添えるような可愛らしさが一緒くたになっていて、今でも欲しいと思う。小遣いを貯めて、いつか買うんだと思わせるくらいに、高嶺の花なのだから。
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