見ちまったモンはしょうがない

 最近羽村に行った時のことだった、もう空が暗くなっていたのに、鮮やかな振袖を着てファーを首に巻いたお姉さんたちが通り過ぎていったのだ。手には桜色の淑やかなバッグを持ち、普通に階段を降りていく。ソレを見た私は、「よかったね」と思ったのだ。ただでさえコロナの感染拡大が懸念されている今の世の中、漸く成人式が執り行える環境になったのはとても喜ばしいことである。

 思えば、私の成人式はまだコロナ禍にもなってなくて、(服装を間違えたとはいえ)同窓会にも出席できた。その時はお酒が怖くて最大でもカクテルを半分しか飲めなかったことをよく覚えている。その前には、振袖のままリフレクビートをプレイしてお気に入りの曲をフルコンボしたし、さらにその前にはアトラクションとしてパペットマペットのお笑いショーもあった(NHKで見た記憶があるのだが、まさか実際に来てくださるとは‼︎この時だけは、成人式来てよかったなあ、と思えた。あんなに行きたくないとぐずっていたので、ここで印象がひっくり返ったともいえる)。それだけでとても恵まれていたのだ、ということを後から知ることになる。

 翌日、事務所に顔を出すと空調の効いた建物の中では上司が白いノートパソコンに向かって、事務作業をしていた。割と(声はテンションが低めというのもあり、落ち着いている)元気よく挨拶をしてから席に着いた後、私は今時の成人式事情を聞いてみた。というのも、ニュースでやっているし、弟は成人式に行けなかったからである。上司曰く、

「今年の成人式はアトラクションも何もない、40分くらいで終わったよ。ゲストもいない」(意訳、一部編集済)とのことだった。つまり、(同窓会はあったとしても)何もない、つまらくて素っ気ない成人式だったのだ。粗品らしきモノは贈呈されただろうが、それでもつまらないイベントであることに変わりはない。リモートや、行けないよりはマシだが、「行かない方が良かった」という人も出るだろうと思う。一生に一度しかない思い出に傷がついたようなものだ。しかも全国で同じことが起こっている。

 成人式に行けないなら、成人式がつまらないのなら。何の為の振袖だろう。思い出を彩る為に振袖があるというのに。どうせ振袖を着るならば、楽しい思い出を残して欲しかった、というのが本音である。煌びやかな振袖は写真の中で輝き続けているけれど、その時というのは「今」しかないのだ。本当に残念なことだった。

 その後。

「また新成人が何か起こしたようですよ。ニュースで見ました」

「そんなのいっつもでしょ」

割と通常運転であることに安堵した。

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