100パーセントがあるならば

 この間、地元の大学の体育館にてワクチンを打ちに行ったのだが、生理中だったのもあるのか生理が長引いてしまい、体力的には厳しい状態だった。副反応もあるのだろうが(ちなみに同じところで母もワクチン接種を受けているが、私よりもう少し後)。漸く今日、体力が戻ってきたような感じである。それ以外の薬にも、副作用があるものはあり私は何度もそれに苦しめられてきた。場合によっては効かない薬もあるし、わざと薬を飲まないこともある(渋々飲むこともあるが)。

 これに限らず、何事も百パーセントになるということはあり得ないのだが(私のフルコンボでさえ、実はランクも含めて完全には程遠いものが多い)、何故人は完璧を求めるのだろうか。完璧主義は心身を共に縛るものでもあるから、私は忌み嫌っている。それでも、自分だけで実行するならばまだいい。体当たりをして傷つくのは自分だけだから。それを他人に強いる人間は(虐待に走る人間は特に)罰せられてもいいと、私は思う。なんなら、別の命に作り替えられてもいいかもしれない(フィクション限定)。

 完璧主義者になる理由は人それぞれだが、プライドの高さがおおよその理由だろう。小さい頃から何かに秀でている、もしくは家庭内で権力が強いというのも理由の一因としてはあり得る。また、世間知らずというのも少なくはない筈だ。また、時代遅れの思考を持つ家族がいるというケースもある。これらを全て断ち切る方法は、一人暮らしをして家族との距離を取るという以外にもあるのかもしれないが、今のところ有効な方法は見つからない。

 完璧主義が有利に働く場面(パッと思いつくだけでも職人技などだろうか)というのは限られている。ついでに言うと、その時は完璧だと思っていても、後から完成させたものの方が完璧により近い場合があったりするので、完璧というのは「目指してもいいがそこに至るまでの道は果てしなく遠い」という認識で間違いない。そういう意味では最初から目指さない方がいいのかもしれない。

 結局のところ、百パーセントというのは理想でしかない訳であり、人間は己の中に形のない理想を創り出して行動しているともとれる。それが虚無なのか、それとも何かを生み出しているのか、今の私には分からない(篩にかけるという行為に意味がないとは思わないが、それでも得られる成果は限定される)。

 出来ることなら理想の世界に生まれたかったが、この地にいる以上それは出来ない。ついでに言うと今でさえ恵まれている部類に入るらしい。私が欲張りなだけだろうか。

 

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