特徴のレア度

 地元のお寺にある仏像が国立博物館に(企画展)展示されることになったことを今日の昼ごろに知ったのだが、その像はなんと国宝だったのだ。本物の国宝が地元にあるだけでもびっくりだが、天下の国立博物館に展示されることになったのもかなりびっくりである。上司曰く、どれだけすごいのかというと「ソシャゲのガチャのRくらい」らしいが(内訳としては、SSRが教科書に載るレベル。SRで沢山の観光客が来て、Rでちょっとした特色があるような感じ。それ以外はN)。考えてみれば、国宝が自転車で行ける距離にある、イベント会場が近いというのは案外すごいのかもしれないが、私にはあまり分からない。

 レアな特徴は、何もものだけに適用される訳ではなく、人などにも適用される。基準は難しいものの、主に中々見ないコレクションを持っている人や普通ならしないような習慣、こだわりなどを持つ人は中々に珍しいといえるだろう。ちなみに私は高校時代「そこそこレアな人」と言われたが、レアリティは今変わっているのだろうか。小さい頃から「普通じゃない」と言われてもう十数年以上経っているし、私の目から見ても普通の人以外は見かけないのもあって、私の友達は少ない(創作に打ち込みたいというのもあるのだが)。

 地球全体で見ても私のような者は少数だろうことは分かるし、もしかしたら同じことをしている人間はいないかもしれないとも思っている。もっというなら、部分的に同じ人はいるのだろう。しかし、どこか細かいところで枝分かれした末に私はいるのだ。同じ人がいないのはそういうことなのだ。

 インターネットは狭かった私の世界を広げてくれた。同じ趣味を持つ人が沢山いるから、友達が増えたしファンもいる。少しずつだが、私を理解してくれる人も増えてきて、ネットは自由だなと思った。もはや今の時代、リアルだけで生きることはできないだろう。楽しいことを求めるならなおのこと。今のところ一度も炎上が起こっておらず、好意的なコメントが多いというのもあるが、平和ボケしそうなくらいのんびりとした暮らしをネットの中でもしている気がする。それが望みというのもあるが、少し物足りない。他にも沢山悩みはあるが。

 そのせいか、私が「普通」になることは一生できないような気がしてならないのだ。どこかで自分の素が出てくるから、結果として「個性的」と言われる。私を普通の人として扱ってくれる人は、ネットの中にいるから、私はネットの世界で生きて行きたいと思う。

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