認識バイアス

 「天使みたいな人」「悪魔のように冷酷な人」という比喩表現をよく耳にする。沢山の人がそんな風に言われているのだろうが、この認識は危なっかしいと同時に幸せなことでもある(知らないということは罪だが、知らない方がいいこともこの世には数多くあるのだ。余計なことを知り過ぎると、却って余計な心配をすることもある)。

 天使も悪魔も根っこは人間と同じだから(人間はキメラだから汚い部分と綺麗な部分が共存している。どちらか一方に偏っている人間は一人もいない)、一概に決めつけることは本来出来ない筈である。にもかかわらず、天使は善で悪魔は悪という認識が世の中には浸透しているのだ。必ずしも正義というものは一方通行ではないというのに。昔から「勇者が悪の魔王を倒すゲーム」は数多く世に出されているが、この一方通行が必ずしもいいとは限らないということは、生まれてから大分後に知った。モンスターはただ倒されるだけの存在ではないのだと。彼らも、ゲームの世界の住人だからこそ喜怒哀楽があるし我々と同じようにご飯を食べる。悪など、人間の都合で決めているに過ぎないのだ。

 全ての事象はニュートラルであると私は考えている。誰かの不幸は誰かの幸せでプラマイゼロだから。罪は自分とその周りだけの認識で、大部分の人から見れば罪ではないのかもしれない(日本の常識は海外から見れば非常識なのと同じか?)。

 宗教というのは何故か一方的なバイアスを植え付けがちで(ある意味道徳規範の指南書でもあるからだろうか)、異なる考え方を認めない傾向にある。ただ神の教えを受け入れ信じるというのは、私にとって毒になること。時には(私はいつもそうだが)ズレた角度から見ることが新しい発見につながり、世界も広がっていくのだ。可能性をいくつも考えた上で、敢えて斜め上から攻めてみるのも必要なことだから(確率的には二分の一だとしても例外が存在するパターンも中にはあるから)。

 型にはまった考え方は確かに多くの人に受け入れられるだろう。しかし、それは「羊に草を食わせる」のと同じことだ。予め用意されたシナリオ通りに従っているだけというのは、私から見たら異様に映る。ゾンビのように見えるのだ。考察できるほどに面白く、難しい世界は確かに受け入れづらいが、少し経ってから評価が一転することを私は切に願っている。沢山の経験と知識、そして空想を糧にして作り上げた世界を、そのまま捨てて欲しくないのだ。

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