子育てエゴイズム

 昔むかし、といってもそれなりかちょっとなのか分からないが前のこと。とあるアニメに出てくる女の子のフィギュアのレビューを見ていたのだが、その中に気になる一文があった。

「女の子が産まれたらこういうの着せてみたい」と(誤解のないように言っておくと、普通にありそうな服であり今の季節なんかにぴったりな格好である)。これを見た私は心の中で毒づいた。買ってあげても着たがらなかったらどうするんだ、そもそも好みと合っているのかと(私自身、好みではない服を着せられたことも結構ある)。

 子育てというのはエゴの連鎖だと私は思う。小さい頃から「ああしなさい、こうしなさい」と親から言われてきたということ、それとニュースなどで児童虐待が報道されることがあるからだ。都会でも田舎でも、外国でもそれは変わらない。そのエゴをどこまで受け入れるかが勝負なのだろう。習い事を習わせるのだって先行投資と言えば聞こえはいいが、私にとっては自由を奪う枷にしかなり得なかった(一応、習字については後に役立つ面もあったが……)。自由にさせて貰える子が羨ましく映った。だからだろうか、空想の中では私自身自由になれたのだ。

 親にとっての当たり前が子供に通じることは稀で、大きくなって漸く理解して貰えるならマシと思った方がいいかもしれない(実際私自身、未だに理解できないことはあるし矛盾した生き方をしている)。厳しいと可能性を封殺する場合もあるからだ。だからといって甘やかし過ぎてもいけない。子育てはバランスをとるのが難しい。結局のところ、自立するには自分(と外部)の力を使わなければ、立つことすらままならないのである。それが出来るならまだいいが、世の中にはそれが出来ない子供も大勢いるのだ(余談だが、私は我慢ができない性格である。だからこそ誰かに話さないと気が済まないのだ)。

 子供というのは温かく育てられる存在ではなかったのだろうか。田舎では固定観念のせいで終生苦しんでいる子供がいると聞くし、いじめで命を絶つ子供もいるという(あまりの不思議ちゃんっぷりに私自身、いじめを受けていた)。子供の為のサービスが行き渡っていない地域もあるし、この世はあまりにも子供に優しくない。

 子供のことを親はどれくらい理解しているのだろうか。育てにくい子というのは一定数いるが、彼らのことも理解できる人は稀だ。俗に言う「親ガチャに失敗した」パターンである。だからといって自分が恵まれているとは思わない(思えない)。家の中に居場所がないから。

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