フェイクなインテリアの話

(コロナは茶番だとかいう人もいますが、ご存知の通り世界中でコロナは流行っています。しかし連日コロナで暗い話題ばかりなので、明るい話をひとつ)

 


 フィギュアでもアクリルスタンドでも小さいものばかりを好む私だが、数年前に手に入れたフェイクの香水ビンは結構気に入っているものの一つで、青と紫の二つがある。青はビンそのものが宝石みたいになっていて、センターにはシンデレラのイラストが刻印されている。紫はシンプルなビンで、フタの部分が宝石になっていて、ラプンツェルのイラストが刻印されていた。両方とも頭の方に穴が開いていて、そこからボールチェーンを通すことが出来た。

 これらのビンは購入したものではなく、クレーンゲームの景品である。いつだったか忘れたが、少なくとも紫は青の前に取ったことは確かだ。どちらもメルヘンで可愛らしいが、キーホルダーとして使うのは躊躇われる。寧ろ眺めていた方が失くさずに済むからずっといい(埃は被るが)。香りはせずともきらきらしていて可愛いから、とても大事なものなのだ(個人的には紫の方が好き)

 世の中には、ニセモノが数多くあるが私は本物ばかりを求めていても意味はないと思っている。ニセモノにも味があるからだ。アイスのいちごフレーバーと本物のいちごは違うが、私は両方とも持ち味があって好きだ。そもそも、何が本物で何がニセモノかなんて私には考えるだけ無駄なものだとも思っている(ブランドもののニセモノやら、偽札などがあるので一概にそうは言えないが)。

 ビンの話に戻るが、使えないし開けられないからこそ空想のタネになって物語が作れる。そういう意味ではフィギュアと同じだが、だからこそ自分には必要なものなのだ。空想のタネになるモノがないと作れるものも作れない(机が散らかっているように見えるのはそのせい)。恥ずかしいことだが。

 使えないモノの価値は私だけが知っている。美しいと思ったもの、かわいいと思ったものは気に入って部屋の中に飾る。それ単体で輝いているもの、仲間を欲しがっているもの、使えはするが実用性には欠けるものなどがある。琴線に触れないものはそもそも部屋に置かないし入れない。私の部屋がかわいいものばかりで埋め尽くされているのは、こういう理由があるからなのだ。気に入ったものは壊れたら治す。それがどんな理由であれ、捨てることはしない。買い換えるのは面倒くさいし、思い出がどこかへ行ってしまう気がして嫌なのだ。

 フェイクの中で物語や詩を書くのは落ち着く。外で書くこともできなくはないが、やはり自分の部屋だからゆったり寛げるというのがあるのかもしれない。


 

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