この世で一番欲しかったもの

 共感覚というものをご存知だろうか。世界でも持っている人は少なく、その上様々な種類のものがある特殊な感覚である。私が欲しいと思ったのは文字やら数字、音楽のどれかに色がついて見えるタイプの共感覚。このどれかが有れば私自身、絵を描く時に重宝するだろうと思っていたのだ。私は元々(2歳頃から)絵を描くのが好きで、将来的には絵を描くことを仕事にしたいと思っていた。しかし、描くことは出来ても恐ろしく不器用で、物語やエッセイ(場合によっては複数ネタが思い付ける)を書くこと以外はこれといってパッとしない才能しか持たなかったのだ。絵が上手く描けないことは私にとってとても(絵本のようだ、癒されると言われても……)ショックだった。だから、共感覚を持っていればある程度は誤魔化せると思ったのだが。

 肝心の私には共感覚がない。だから誤魔化したくても誤魔化せない(ツイッターでも小説を書く人という扱い)。周りを見渡すと、漫画やイラストでも上手い人は沢山いる。年下でも同い年でもそんな感じだから、悔しくて悔しくてたまらない。以前はストーリー性のある絵が上手だと言われたが、私にとっては当たり前のことで、近年は謎も仕込むようになった。また、上からライトで照らしたり背景だけリトグラフを使うようにもなった。そうでもしないと自分の世界は表現できないので、私自身は本気である。それでも、絵が上手い人は絵を見るたびに羨ましいと思ってしまう。どんなに身近な人でもそれは同じ。少しでも近づきたいからこそ共感覚を欲するのだ。

 ちなみに、私が描いた絵(オリジナルキャラクターのイラストも含む)には、恐ろしく細かいながらも全て元ネタ(インスパイア元)が存在するのだが、このカラクリは私が言わなければまず気がつく人はいない(去年悪友兼元カレに伝えたらかなり驚いていた)。それもそのはず、元ネタとはわざと離して描いていることが多いのだから仕方ない。その上、元ネタに選ぶのも大体そこそこの知名度の作品ばかりを選ぶので分からないのも無理はないだろう。去年の暮れ、親友からは「オリジナリティしかない」と言われてしまったし、お世話になった児童館の人からも同じようなことを言われてしまったのでこればかりは諦めるしかないのだろう(全く異なるモチーフを組み合わせた上でアレンジを施している為だろうか。多くの場合、元ネタを構成する要素からは一つないしは二つ抜き出して混ぜている)。

 そんな私だが、パクリをちゃんとすると後ろめたい気持ちになる。中学の頃までは出来ていたのだが、高校になってしばらくすると知識が増えたこともあり出来なくなってしまった。大学に入ってからは音ゲーを始めた影響で更に元ネタ探しが難しくなったことを肌で感じている(自分でも時々見失いそうになるレベル)。

 このまま教養を更に身につけたら更にパクリがバレにくくなるのは目に見えている。だからといって前のようには戻れない。いっそそのまま突っ走るのもありかもしれない。

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