改・十の国恋奇譚

こしあん

序章 吾子

 我らの吾子よ。


 憐れで愛しい、我らの吾子よ。

 猛々しさと慈愛の混沌を、その裡に抱え走れ。

 そなたの望む道を往け。


 蒼く高い天は、何時でもその背を見守っている。




 ◇



「男子であれば、さぞ立派な武官になったでしょうに」


 眼前の者を眺め、我の横に起立し控える部下は言う。


「…そうだな」


 勿体無い―、そう言いたげな彼の言葉に一応の同意をみせる。だが、我の本心はそうでは無い。

 娘で良かったと、心底思っている。

 女子(おなご)であるが故、その振る舞いに目くじらを立てる者もいるが、男子であればもっと過酷な運命が彼の者を翻弄していたであろう。そう考えると、この選択が一番良かったのだと思う。

 

 視線の先にいる男装の娘はここ数年の鍛練で腕を研き、今では師範と同等。否、それ以上の腕前になった。自分が管轄している兵部の人間でも、剣術を修めていない者などは全く歯が立たなかった。

 十五の娘に負ける武官など、何と情けない事か…。

 長い戦の時代がひとまずの終結を迎えてから、およそ二十年が経った。一時の太平が都に春を呼んでいるが、国境周辺の火種は今も燻っている。平和呆けした武官など、有事には何の役にも立たない。

 まだ若い、士官したばかりの男が剣を汗に滑らせて落とした。


「握りが甘いぞ!しっかりせい!」


 発破をかけ、溜息をひとつこぼす。


子舜ししゅん様。なぜ、姫君はあえて医官を選んだのでしょう?」


 そう尋ねたこの部下は、曽舟そしゅうという。

 文官の家系に生まれたが、ひとり武官の道を選んだ変わり者だ。目の前で剣を振り上げては下ろす娘を見て、疑問を口にした。この質問はもう数え切れない程、我も答えたものだ。


「手に職だ。医官なら辞官した後も実家で仕事が出来る。あの親も昔、軍医だったから」

「親の跡を継ぐと…。とんだじゃじゃ馬娘だと思っておりましたが、意外にも孝行ですね」

「そうだな。その親が居なくなってしまったがな―」


 あれの父親は二年前から行方不明だ。

 娘が生まれると軍を退官し町医者をしていたその男は、長い間共に戦場を歩いた腹心の部下だった。

 ある日、皇城に出掛けてくると娘に言い残して家を出た後、消息を絶った。

 兵部と刑部、御使台の精鋭を総動員し追ったが、足取りは掴めなかった。意図的にかつ巧妙に消された、と思われる程、手がかりは何も残っていなかった。

 

 彼が消えた理由―。

 恐らくそれは、この娘の出生に関わる事だろう。この国の権力争いの火種にもなり得るそれを、我等は隠し続けてきた。そして、ずっと憂いていた。本人さえ知らないその血筋は、その眼差しに何よりも貴いあの御方と同じ色を与えていたが、その事に気づく人間はいなかった。


「私を男として、一族の姓で推挙頂けないでしょうか」


 あれはもう一年前の事だ。

 吾子から頼みがある、と切り出された時、その心は薄々分かっていた。家で大人しく待っているだけの人間ではない。きっと、自分の足で父の手がかりを探しにいくだろう。そう予想はしていた。

 我の一族は「子」といい、宮廷では名の知られた部類に入る。この名を持つことは宮廷に出入りできる身分を得た事と同義だった。


「官位はいりません。医学校に行きたいのです」


 恭しく席に着き、口を開いた吾子はにこっと笑顔を見せ、そう告げた。意外にも自力で宮廷入りを目指す、と。


 この国では先帝の代から、女であっても官職を得ることができるようになったが、まだほんの一握りだった。その多くは楽士や舞踊家など、宮廷音楽の聖地である梨園(りえん)に属する者が多い。その他は皇帝の住まう宮城の女官や省庁の補助役が殆どだ。


「父を探すのだろう。官位を得て、文官として入ったらどうだ?」


 通常は官吏登用試験である科挙を受け、それに及第すると晴れて官位を得るために必要な品位を得ることができる。だが、一定の品位以上の家の子弟は国士学という教育機関に入学し、卒業と同時に官位を得るのが通常であった。子家はもちろん、後者の対象だった。


「私の見た目では、周囲を欺けるのは二年程が限界です。二年後、医工であれば辞しても目立ちませんし、老師のご負担をこれ以上大きくしたくはありませぬ」


 それに、と続ける。


「戻っても、診療所があります」


 この実家は父が始めた町医者家業がある。今は西市の近くで診療所を営んでいた。


「―愚問だと、わかっているが」


 前置きをして、一応の確認を取る。


「そなたも十五になる―。縁談を受ける事など、ついぞ考えてないんだな」

「もちろんです」


 美しい顔をほころばせ、花は無邪気に微笑んだ。


 その後の吾子の努力は、称賛に値するものだった。

 見事に医学校を首席で卒業し、医工に採用された。子の一族だから、と見る周囲の目もあったが、実際には実力で掴んだものだった。


「新年から出仕ですね」


 曹舟が言う。

 新年の祝日が終わると、太常寺という祭事を取り仕切る庁に入る。その一部門である太医署という機関で医工という医療業務に奉職することが決まっていた。

 その前に剣術の稽古をしておきたい、と吾子が申し出た。自分の身は自分で守る、そういう意思表示だろう。


 全く、何でも一人で抱え込まずともよいのに。

 もう少し、甘える事を覚えてもよいのに。


 だが、口をついて出た言葉は胸の裡(うち)とは違っていた。


「あれを職場で見ることができるのは、嬉しい限りだ」


 曹舟がはは、と笑う。


「孫のようなお可愛がりですしね」

「孫だと思おとるよ」


 あやつの、娘が生んだ子だ。

 紛れもない、我らの吾子だ。

 だから余計に、我は思い煩う。


「医局にいるほうが、我は安心だ」

「安心、ですか?」

「あぁ」


 あれは吾子がまだ十になったばかりの頃。

 街で破落戸に絡まれた友人を助けようとして、三人の男を半死半生にしてしまったことがある。

 止めに入った男も、あれを取り押さえようとして腕を折られた。騒ぎに駆け付けた金吾衛に状況を聞かれたその男は、怯えながら言ったそうだ。

 〝哪吒(なたく)〟が来た、と。

 神話にある、荒ぶる子神だ。血が滾ったその目は、まるで鬼だったと。

 手を血に染めて無言で立ちすくむ子供を前に、大人達が出来ることは何も無かった。


 その一件の夜に、あれの父と二人で酒を仰いだ。

 屋敷の庭から眺める月は、冷たい光で地を照らしていた。

 その父は沈痛な面持ちで天を眺めていたが、溜息と共にぽつりと呟いた。


「彼の御方の血、なのでしょうね」

「あぁ」

「何ともですね…」

「あの瞳は、あの方のものだ」


 全てを吸い込むような琥珀の眼差しの、その奥深くに瞬く、獰猛な光。

 その出生を秘しても、滲み出るその血。あの身体は母の面影そのままに愛らしい姿を見せるのに、何故、その裡に彼の方と同じ物を飼うのか―。


「天命でしょうか」


 見守る父の言葉はどこか諦めに似た、切なさをそこに包み隠している。

 だが、我らの思いは変わらない。時が過ぎ、遠い昔になったとしても、三人で交わした約束は今生を終えるまで守り続ける。

 覚悟は出来ている。必ず、命に代えても、今度は守り抜いてみせる。


「そんなもの、我の刃で切り刻んでやる」

「天の差配を、越えていかれますか」

「あぁ。その為の、我が命だ」


 何千何万の、屍に背を向けて進み続けてきた。幾千の命の上に成り立つこの国と、逝った者達が遺した者を守るのが、我が使命。


「あれに不幸が訪れるなら、諸共に潰してしまえばいい」


 こういう時の酒は、どうして旨くない。杯を仰ぎ、天を眺める。

 その父は眉を寄せ、我を見る。


「ただただ、普通の幸せを見つけてほしいと。それだけなのですが」


 剣の能も、生まれ持った才覚に違いなかった。その父は武術とは縁遠い男だ。母は言うまでもない。

 どうしても透けて見えるその血に、苛立ちを隠せない我がいた。

 稽古をつける度に、腕を上げる。剣を振り下ろす数だけ、誰よりも美しく風を斬る。誰しもが認める、凛々しい剣の使い手となっていく。

 そして、ついには星を得るまでに来た。

 

 子家の五星―。

 剣を手に取る者が皆憧れる、その星。伝説にも謳われる名剣を携える地位は、望んで得られるものではない。

 剣が、使う者を選ぶ。

 自らに相応しい持ち主を、自ら招く。

 南の星が、あれを選んだ。

 そんな事は、させたくないのに。

 本当はこんな場所が見えないように、遠くに留めておきたいのに。

 握る者を待つ殺戮の刃は小さな主を呼び寄せ、その手に収まった。


「そなたの跡を継ぐと言ってくれて、我は良かったと思っておるよ」

「そうですね」


 同じように夜空を眺めながら、育ての親は言う。


「あれは自分を癒せぬ故、人を癒そうとするのです」


 心の裡にあるものは我々には見えない。だが、ずっと、何かを抱え、何かに怒り、何かを嘆いている。


「私はただ、あれを救ってくれる方に、出会えるように祈るだけです―」



「最後の一人も負かしましたよ!」


 曹舟の声に視界は現実に戻った。

 試合終了の合図に頭を下げると、汗が飛沫のように舞い、土の上に落ちた。

 顔を上げ、袖で汗を拭くとこちらを向き、照れたように笑う。


「おぉ、よくやった!」


 駆け寄って、その華奢な身体を抱き上げる。


「老師っ!今の試合、如何でしょうか?」

「流石だぞ、子釉―」




 愛しい吾子よ。

 どうか、そなたの上に、幸運の星が瞬くように。





************************


ここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。


この話は以前、某ラノベ系レーベルの新人賞で佳作を頂いた同名の物語に手を加えて、再度こちらに載せたものです。


普段、小説は読まないのですが、無駄にある古代史の知識を使って暇潰しに書いてみたらこうなったよ、というものです。


本当は戦記物を書きたかったのですが、誰に向けて書けばよいのかが、いまいち分からず…。

とりあえず可愛くて自活しようと奮闘する女の子が好きなので、子釉という主人公を決めてこの物語をスタートさせました。


私の中の主人公のビジュアルイメージは、刀剣乱舞というゲームの鯰尾藤四郎なのですが、読んだ皆さんはどんな姿を想像されていたでしょうか?

(ちなみに、ゲームはしたことないです。)

性格は一生懸命に仕事に励む、新卒入社の後輩ちゃんを元にしました。


その他の登場人物は、大体いちごだいふくの周囲にいる、ちょっと変で愉快な人々です。

こんな人いるなーと思った方、もしかしたらそれ、本人かもしれません(笑)。


これからも、ちょこちょこと前作を手直ししつつ、アップしたいと思っています。

気が向いた方は、またお付き合い頂ければ幸いです。


最後までご覧下さり、ありがとうございました!


こころからの感謝を込めて。





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