2000年2月8日

<――正直ジョニーに誘われた時あんまり乗り気じゃなかったのですが、行かなかったら知り合えなかったのでホントによかったです。学校にも日本人はわたしひとりだけだったのでずっと寂しかったです;;。それにしても中国語も英語も話せるなんてスゴイ!もしよかったら今週放課後にお茶でもしませんか?今度はカラオケじゃなくて、静かなところでゆっくりお話したいです^^。


PS:ケンカになったときわたしを守ってくれてありがとう!すごくカッコよかった(キュン!)。日本で待っているカノジョさんは幸せですね~。あ、カノジョさんいなかったらゴメンナサイww>


 アヤコからのそのメールを、ジョニーから借りたパソコンで見ていた。ジョニーは眉間にシワを寄せていた俺に、「ご実家から何かあったの?」とマグカップを手に声をかけてきた。目を閉じて下を向いたが、心臓は早鐘を打っていた。


「パソコンはキッチンに置いておくからいつでも使っていいけど、エロサイトとか見に行ってウイルスとかもらってこないでね」


 俺は曖昧に微笑むと「そろそろ宿題やらなきゃ」とパソコンを閉じて自分の部屋に逃げ込んだ。これ以上ジョニーと同じ空間にいるのは耐えられない。


――日本で待っているカノジョなんていませんよ…。


 できるならメールを印刷して、部屋で何度も読み返したかった。

 しかしそれでいいはずがない。ジョニーは他ならぬ俺を頼ってきたのだ。彼が日本語を理解しないことをいいことに、こんなメールのやり取りを彼のパソコンで続けるのは明確な裏切りだ。そこも問題ではあるが、そもそもその前に消化しきれていないものがある。


 エマとは半年かけて少しずつ積み上げてきたと信じていた。小莉シャオリーとの壮絶な別れを埋める形にはなってしまったが、旅の途中で拾ったいい思い出としてそのまま忘れることはしなかった。

 やや頑ななところはあるが、エマはこの新しい恋にたくさんの刺激を与えてくれた。あまりにも不幸な過去について特に触れようとはしなかったが、どんな小さな約束でも必ず守ることで、この世界との繋がりを感じてもらおうとしてきた。

 あの夜も、彼女から触れてきた。彼女の部屋でスパークリングワインを鳴らし、触れ合えなかった半年間を長いおしゃべりで温め合った。エマは突然立ち上がると「ちょっと顔を洗ってくるわ」と部屋を出た。俺はソファの上で足を伸ばし、ミネラルウォーターのボトルを額に当てて天井を眺めていた。しばらくするとエマは体にタオルをまいて戻ってきた。


「…何も聞かないで」


 エマは胸元で留めていたバスタオルを外すと、部屋の灯りをパチンと消した…。

 事が済むと、エマは放心した目でしばらく天井のシミを眺めていた。たまらなく愛おしい時間だったが、やがてエマはこちらに向きなおると、俺の腕枕の中に転がり込んで短くつぶやいた。


「…We are over(終わりにしましょう)」


 エマは何事もストレートな表現をしない人なので、彼女の頬を撫でながら次の言葉を待った。ところが彼女は頬の上に乗せられた俺の手の平をやさしく外すと、もう一度ゆっくりと「We are over」と繰り返した。

 わたしたちの間にもう楽しみは残ってないから、という。その後の数日間、俺は毎日激しく彼女を罵り、悪い冗談は取り消せと迫った。しかしエマの結論は変わらなかった。


「――そんなにセックスがしたいならもう一回だけしてあげてもいいわ」


 エマは挑発的な視線を向けてきた。


「結婚にも子供にも興味がないの。あなたとセックスをしてしまった以上、この後どんな楽しみが待っているというの?」


 なぜそうも刹那的にこだわるのか――。

 エマの独特な論理は彼女の中でのみ凛としているものであって、その人生に多少なりと関わった者を絶望させ、容赦なく切り捨ててきた。

 たしかにたった半年であり、それも文通などという古風な手段ではあったが、エマのこだわりを否定せず、ひとつひとつ積み上げてきた。セックスというカードは拘束力を持つが、それについても力でねじ伏せたわけでは決してない。”あなたがしたくなった時でいい”と最初からその主導権を彼女に預けていたのだ。

 

 あまりにもバカげている。

 別に好きな人でもできたのかと問いただしたが、エマは小馬鹿にしたように首を振るばかりだった。


「そんなに終わりにしたいなら今日で終わりにしてやるよ!」


 とうとう彼女について考えることが面倒くさくなり、大声を叩きつけると荷物をまとめて彼女の部屋を飛び出してしまった。

 その後悔を振り切るように今は猛烈に勉強に打ち込んでいるが、やはりどこかでエマからのメールを期待している。<…わたしが間違っていたわ>。その一言ですべて水に流してもいいと思っている。ところがメールBOXで見つけたのはアヤコからの熱烈な内容だった。


「――ジョニー。もう一度パソコンを借りていいか?」


 彼はリビングでテレビに顔を向けたまま俺に手を振った。

 もう一度アヤコからのメールを読み返したい衝動を抑え、新たなメールを立ち上げるた。


<…Thank you, but good-bye(ありがとう。そしてさようなら)>


 もうエマからのメールを期待するのはやめよう。

 軽く息を吐くと、あまりにもサイコパスな元恋人への恨み節を書き始めた。

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