日常魔王

熊ノ翁

VS勇者(その1)

「魔王様、ご報告です」


 魔王城謁見の間。

 竜や巨人ですら身をかがめる事無く入れるほど余裕のある大広間に、低く落ち着いた声が響く。

 声の主は、品の良いタキシードを見事に着こなした一人の魔族だ。

 白手袋をはめ、胸に手を当てて玉座に向かいお辞儀をするその仕草は、さながら貴族に仕える人間の執事のようであった。


 だが、いかに二本の手、二本の足に人型の体を持っていようとも、誰もが一目で人間では無いとわかる異形がある。

 それは頭部だ。

 見る者の顔が映り込むほどに磨き抜かれた黒の革靴に、鴉の羽根を思わせる黒一色のジャケットとズボン。

 そして対照的に、打ち捨てられた白骨のように見える不吉な白さのシャツといった出立ちの魔族は、その頭部が牡牛の頭蓋骨さながらの髑髏であった。

 髑髏の目に眼球は無く、代わりに青白い光が双眸となって揺らめいている。


 牡牛の頭蓋骨が頭を下げる先には、身の丈2メートル半はある巨躯を玉座に預け座っている魔王の姿があった。

 黒竜の皮をなめして作ったマントに身を包む魔王は、その分厚い胸板と鍛え抜かれた腹筋を惜しげもなく衆目に晒していた。

 下に履いている丈の短い、膝の出る革製のパンツからは丸太のように太く強靭な脚が伸びている。

 その力強さは、大広間の壁に飾られている武骨な全身鎧の数々が貧弱に見えるほどだ。


 筋骨隆々、堂々たる体躯を誇る魔王は、豊かに蓄えた髭を撫でながら鋭い眼光で執事服姿の魔族を睨んだ。

 獅子のたてがみを思わせる魔王の頭髪が、炎の如く揺れ動く。

 強大な力で魔族を束ね、人間たちの治める国々と争いを繰り広げ、魔界にこの者ありと謳われる魔を統べる王が、厳かに口を開いた。


「何の報告だ、参謀。言ってみろ」


 魔王の割れた腹筋が、呼気に合わせて上下する。

 主の許可に、参謀が恭しく一礼して告げた。


「新たな勇者が現れました」


「ふん、退屈しのぎにはなるな。で、今回の勇者はどのような奴だ?」


 魔王が黒いヒゲを撫でながら、参謀に先を促す。

 勇者とは、人間族の間に稀に生まれる人間離れした強大な力を持つ者の事を指す。


 生まれながらに尋常ならざる知能や魔力を持つ天才や、ある日突然異界の神からの祝福を受け超常の力をその身に宿した者、常識はずれの努力と鍛錬を重ね、人の限界を遥かに凌駕した身体能力を有する者など、勇者には様々なタイプがいる。

 巨人や竜、吸血鬼といった魔族と比べて人間は遥かに脆弱な存在だが、勇者は例外だ。

 火を吹く竜に、怪力を誇る巨人に真っ向から戦いを挑み、ねじ伏せる力を勇者は誇る。


 数千、数万年という長い時を生きた名のある魔族達が、人間の勇者に打ち倒されたというケースも少なくない。

 魔族を束ねる王ですら、それは例外ではない。

 今こうして玉座に座っている魔王もまた、勇者達と激闘を繰り広げ深手を負わされた経験が幾度もあるのだ。


「今回現れた勇者は、転生者です」


 頭を上げ、青白く揺らめく炎の瞳を魔王に向けて、牛骸骨の参謀はそう言った。


「ほお。転生者か」


 魔王の眉がピクリと動く。

 転生者とは、既に一度世に生を受けた者が記憶や能力を受け継ぎ人の身に生まれ変わった者を指す。

 まさに読んで字の如く、転生をした者というわけだ。


 別世界から来た者、異界の知恵や能力を持つ者、この世界では考えられぬような強力な武器を持つ者など、勇者として称えられる転生者はとにかく個性的な者が多い。

 転生者が相手と分かり、魔王が口元を不敵に歪めた。


「ふふふ、ならば楽しめそうだな。前に異界より転生してきた勇者は、見たことのない剣技をふるう者であったか。名は確か……」


 かつて死闘を繰り広げた強者の姿を思い出しながら、太い眉をしかめる。

 そんな魔王を見て、参謀が言葉を継いだ。


「ミヤモトムサシ、だったかと」


 名前を聞いた魔王が得心いったとばかりにパチン、と指を鳴らす。


「そう、そいつだ! 確か、二本の剣を同時に扱うという妙技を持った武芸者だったな! 転生前の世界でも名のある剣士だっただけはある。あれは賞賛に値する強敵であったわ。最も、最期には我が力の前に倒れ伏したがな」


 果実を握りつぶすかのように、開いた手を中空で握りしめる。

 その掌にどれほどの力が込められているのであろうか。

 ギシリ、と空気の軋む音が聞こえてきそうであった。


「ククク! 今回もまたあのような者と戦えるかと思うと、血がたぎるわ! 参謀、今度の勇者は転生前はどのような奴だったか、情報はあるか!?」


 魔王が闘争への歓喜に、玉座の手すりへと拳を振り下ろす。

 手すりは、その硬度の高さから魔王軍近衛兵の鎧の材料にも使われる頑強なブラックミスライル製であった。

 だが、振り下ろされた魔王の拳の力には耐えることが出来ず甲高い音を立ててヒビが入る。

 見る者を震え上がらせる魔王の迫力だったが、傍にいる参謀は臆する事なく淡々と答えた。


「はい。先週死んだ魔王様の父君になります」


「……は?」


 予想外の参謀の返答に、魔王が思わず聞き返した。


「先週国を挙げて葬儀をいたしました先代魔王様が、この度見事転生されまして。勇者となったようですね」


「え、マジ? 父ちゃん勇者になっちゃったの?」


 予想外の報告内容に素っ頓狂な声を上げ、魔王が玉座から身を乗り出して聞き返す。


「はい。そのようで」


 参謀が直立不動で答えた。

 これはもしや冗談を言っているのではないかと疑る魔王が、参謀の顔を覗き込む。


 だが、眼窩に青白い光を浮かべる参謀は、相変わらずの無表情だ。

 もっとも、牛の頭蓋骨に眼球の無い顔面をしている参謀に、表情もへったくれも無いだろうが。

 これは本当だなと判断した魔王が、眉間に皺を寄せて頭を掻く。


「あー、それで人間どもに勇者としてヨイショされて良い気になってるのか。まあ、父ちゃん相手なら話し合えば争う事も無いか」


 一人うなずく魔王に、参謀が口を挟んだ。


「いえ、それが。どうも先代魔王様は人も魔族も敵も味方も全く区別がついてないようでして。目に付いた町、村、城を、生前そのままの膨大な魔力と腕力で片っ端から叩き壊しながら、我が魔王城に向けて現在絶賛爆走中でございます」


「……父ちゃん死ぬ前ボケてたからなー」


 あちゃー、と魔王が目を覆った。



VS勇者(その1)……END

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