京都にて

最強のうさまる

1. 2020年1月6日

 シャンシャンシャン…という音で目が覚めた。夜の11時くらいだろうか。

「あー、兄貴のせいでコンボが!」

そろそろベッドで寝ようかと炬燵こたつから出たはずみでさとしのiPadが動いてしまったらしい。

「すまん」

ソーシャル音楽ゲームにおいてノーミスでのクリアはもはや至上命令であるから、とりあえず謝っておく。騒ぐ慧を背に洗面所へ向かった。明日は朝の便で京都に戻らなければならない。2019年から2020年にかかる年末年始の休暇は1月4日が土曜日だったことで例年より長いものとなった。父はきのう単身赴任先に戻っていったが、月曜も京都での予定がなかったぼくは父をニコニコ見送った後も長い正月休みをさらに延長して実家で自堕落に過ごしていた。だが、ついに年貢の納め時である。京都には一般向けの空港がないから、神戸経由で戻ることになる。伊丹への便は高額で手が出なかった。ついでにいうと、長崎に新幹線がやってくるまでにはあと3年ほどかかるそうだ。

 途中、大阪で入社前健診を受けてから京都に戻る。研究室に顔を出したらバイト先の塾に赴き、いまと同じくらいの時刻に帰宅することになるだろう。夕飯は冷凍チャーハンだろうか。何を食べるにしても今日のカニ鍋からの落差に今からため息が出る。そして、翌日以降は修士論文に振り回されることになる。

 「一人暮らしを満喫したい」という知人は両手では数えきれない程度にいるが、6年の経験をもとに大学生に関していえばこの考えはふつう間違っている。ふつう、と注意したのは家庭環境がふつうでない場合にはこの限りでないからであるが、ぼくの中で一人暮らしの明らかな利点なんて彼女をいつでも連れ込めることくらいではないかと思う。確かに友人と麻雀に明け暮れても咎められることがないとか、そういう細々したアドバンテージはあるのだけれど、その程度であれば一銭も稼がない成人男性に掃除洗濯炊事すべてが提供されるという、考えてみればとんでもない、母の存在が一蹴していく。というわけでそんなことをいう学生たちには例外なく、とても仲のいい恋人がいるのだろうと学部2年の終わり頃には思うようになった。そうとでも考えないと納得がいかない程度には実家というのは素晴らしい。やはりできるなら明日も長崎でのほほんとしていたい。

 大学での6年間、それまでの18年間とは比べ物にならないほど多くの「きっかけ」があったように思う。きっかけに出会うたびにぼくの考え方は更新されていった。この6年をレビュー論文みたいな形にしておきたいという気持ちはしばらく前からあるのだが、いまからそんなことを始めてしまうと1月6日でなくなってしまう。今日のところは「一人暮らし論」くらいでやめておこう。明日は健診なのだろう?

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京都にて 最強のうさまる @usamarazu

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